磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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母のヒロシマ原爆戦史 あの日から今もなお

2008年01月28日 | 読書日記など
『母のヒロシマ原爆戦史 あの日から今もなお』
   副島まち子・著/東山書房1956年

夫は神戸大学教授の芦屋夫人の書いた本として、当時話題になっていたようです。しかし、貧しい人、社会の底辺にいる人たちをやさしく見つめておられます……。



原爆投下された時、八月出産予定で妊娠中であり、四人の子供を育てておられたという。
--屋根が崩れてきたという……。
畳の上は泥だらけだったという。

デマが流れたという。下「」引用。

「『焼け残った街を狙っている……。皆殺しはまぬかれない……。早く広島を立ち退いた方がためになる。』
 こんなデマのため、少しでも親戚、知己のある人は、広島を離れていきました。爆弾の残虐さが次々とハッキリするにつけて、人々は新しい恐怖に脅え始めました。」

似島で亡き子供のことを思う親御さんのことを書かれてありました。

慰霊祭さんについて。下「」引用。

「去年の平和大会で、私が絹谷さんにお目にかかった時も、やはりこんなことをおっしゃっていらした。
『--あれから方々で批判の声が上がり、市ではその芋畑を買いとって散らばっていた遺骨も掘り集めて、りっぱな供養塔が建てられて、毎年市が慰霊祭を行なって下さいます。でも、私たちは、もったいないけれど割りきれなない気持です。まるで六日はお祭り騒ぎなのですよ。静かに、あの娘の冥福を祈ってやることもできないのです。慰霊塔の周囲のお祭り騒ぎなのですよ。静かに、あの娘の冥福を祈ってやることもできないのです。慰霊塔の周囲のゴッタ返し、夜の花火大会……。皆さんが浮々してらっしゃるのを見ると、かえって悲しくなります。いっそ私たち遺族の者は、そっとしておいていただいたほうがましなのですけど--。』
 私が、広島でお会いした遺族の方々は、ほとんどこれと同じことをおっしゃっていました。」

赤ちゃんと母……。下「」引用。

「産まれて五十日目の赤ちゃん一人を寝かせておいて、ミルクの配給をとりに四、五間家から離れた瞬間、あの爆弾にあい、匐うようにしてわが家に戻ってみたら、家は愛児の上に潰れていました。夢中で掘り起し、やっと赤ちゃんの小さい足が見えてきたところへ火が回ってきたので、みすみすわが家とともに愛児が焼けるのを傍観していた若いお母さんは、あの川岸の石垣の所で、泣き泣きお乳を絞って捨てていらした。」

当時の人たちの思い。下「」引用。

「平和な広島市に建てられた立派な公会堂、平和大橋、記念館などを眺めながら、あまりにも立派すぎて、あの日を思い出させる土塊(つちくれ)一つ無くなっているのに、かえって寂しさを覚えるほどでした。」

一人の女性であり母である方のこと。下「」引用。

「又、一人の自由労働者である未亡人は語られました。その人は当時肩から腕にかけて火傷を負い、片方の目を失い、現在は残る一方の目も放射能のため、視力が薄れておりながら、三人の子を育てるため、重労働をつづけていられるとのことでした。しかし、放射能を受けた体は疲れやすく、人並には働けないのです。それを、『怠け者、横着者!』
 と、監督から叱言を言われ、銭湯に行っても、汚いからと断られてしまう。道を歩いていても、
『お化けがきたの、乞食のおばん(小母さん)がやってきたのと、何も知らぬ子供までが、さげすんでわるさをします。苦しい体で働くわたしを、なぜ、皆はいじめるのでしょう。なぜ、助けてくれないのでしょう。貧しいわたしだって、偉い人と同じ人間です。』」(※)今では差別用語といわれる言葉もありますが、そのまま引用しました。

そして、苦労して育てた一人娘。
やっと育てたと思っていた婦人は原爆症で寝込む。下「」引用。

「娘さんは母の治療費を得るために、特飲街に身を売ったという話を聞きました。こうして、娘さんの血の出るようなお金で治療しても、ある程度重態となった原爆症は助かる見込みがないのです。」

そして貧しい被爆者はいう。下「」引用。

「『--あの、美しい花火を上げるその十分の一のお金でも、自分たちのに回してくれたら、どんなに助かるだろう。わたしたちの悲しみも考えず、まるでお目出度いことかのように、花火大会だ、なんだと騒ぎ回って……。こんな慰霊祭なら、むしろ、してくれない方がましだ--。』
 無理もありません。デパートや商店の人は、六日を大売出しに利用し、被爆者以外の市民は、何かの矢祭りと間違えて、美しく着飾りゾロゾロと歩いているのです。」

少しでもいいから、治療費をお届けしたいと、著者は「一円募金」運動をはじめる。

インドのシャー氏夫妻が、「一円募金」に協力。
--励ましの便りをくれたそうです。

この本でも「アカ」といわれて平和運動をやめていく人があったという。
--しかし、原水禁もはじめは、「アカ」の運動ではなかったのです……。
主婦の運動だったのです……。


下の本にも掲載されています。

日本の原爆記録9






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