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満州裏史-甘粕正彦と岸信介が背負ったもの-

2010年09月04日 | 読書日記など
『満州裏史-甘粕正彦と岸信介が背負ったもの-』
   太田尚樹・著/講談社2005年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「満州裏史 甘粕正彦と岸信介が背負ったもの
鬼憲兵大尉・甘粕正彦と昭和の妖怪・岸信介の人生は満州の地で交錯した。彼らは日本人が夢を託した大地でいったい何をしたのか? ふたりの男の生き様を辿り、あらためて国のあり方を問いかける渾身のノンフィクション。知られざるもうひとつの昭和史。」



岸信介の叔父は松岡洋右(満鉄総裁、外相)。

岸と2.26事件。下「」引用。

「これはまったく仮定の話だが、あの青年将校たちのクーデターが成功して新政権が樹立されれば、岸は間違いなく彼らから閣僚として、三顧の礼で迎えられたに違いない。岸信介は当時の日本が求めていた「時代の寵児」だったのである。」

陸士で甘粕の教官=東条英機。下「」引用。

「-略-東条中尉とは、もちろんのちに首相になる東条英機だが、甘粕が陸士の生徒時代、教練担当の教官として、中尉時代の東条から直接指導を受けていたのである。-略-」

芥川龍之介。下「」引用。

「そのころ久米宅に、一高以来の付き合いの芥川龍之介が、ひょっこり訪ねてきて、こう言った。
「君、大杉は相手を、はっきり云えば軍人を、誰よりも尊敬していた為に殺されたのだね」
 芥川が言った意味を、久米は直ぐには呑み込めなかったが、「まさか自分を殺すようなことは、如何に何でも為し得る所ではないと、甘く見縊っていたので、ムザムザああ云う目に會ったというのである。決して一理ない譯ではない」と、憲兵隊の追補を逃れようとしなかった大杉の心の一端を、解説している。」
 芥川の言い方も、久米の注釈も、たしかに憲兵隊への痛烈な批判であるが、ストレートな表現を避けている。治安維持法誕生前夜では、まずは、この程度しか書けなかったのかもしれない。」

「二キ三スケ」……。下「」引用。

「しかし「二キ三スケ」の五人は、鮎川の言葉を借りれば「みんな巣鴨大学の同期生で、全寮生活を楽しんだ仲間」ということになる。」

阿片……。下「」引用。

「官は星野・岸で、財が鮎川・松岡、そして軍が東条と陰に控えた甘粕である。しかも、いずれも阿片と無縁ではないのだが、とくに岸・東条・甘粕の三人は、阿片を巡って抜きさしならぬ関係にあった。」

阿片(禁止と販売を同時進行)。下「」引用。

「満州国政府は、専売局を通じて専売制にしてあるから、第三者に入り込めない。上海駐在の三井物産社員たちの間では、「熱河の阿片は、満州国政府と関東軍の背後にある甘粕がヒモだから、熱河産阿片に手を出したら命はない」と囁かれていたのは、そのためである。
 同時に政府は、禁煙総局を作って表向きは阿片を禁止しているから、価格が吊り上がる。今日でも、暴力団が麻薬を資金源にしているのは、厳しい取り締まりによって支えられていると言ってよい。麻薬が自由に売買できれば、彼らは手を出すことはないわけである。なんのことはない。満州国政府は、禁止と販売の双方を、同時進行させていたのである。」

蒋介石と阿片……。下「」引用。

「もちろん岸は、そのころから蒋介石と通じていたはずです。それは甘粕が国民党側に軍資金として、阿片の上がりの一部を提供していたからです。蒋介石は、自国の国民を阿片漬けにして得た金を受け取るのは抵抗があったはずですが、目の前の八路軍と、さらに日本軍とも対峙しなくてはならないのですから、背に腹は替えられなかった。」

阿片の歳入。満州国の国家予算の1/6。下「」引用。

「満州国の阿片による歳入は、年々ほぼ倍増で、三九年には十倍の一億二千万円という膨大な額になる。しかし、これは熱河省はじめ、主だったケシの生産地の栽培面積を、同じ時期に当てはめてみると、ほぼ横ばいになっている。取り締まりによって、単価が年々少しずつ上昇したこともあるが、それ以上に、阿片行政がより強固に一本化されて、横へ流れるのが防止され、結果的に満州国の金庫に納まる額が増大したからである。
 とくに建国当時の満州は農業が主体で、まだ産業が育っていない時期だったから、その分、阿片に頼らざるを得なかったが、三九年当時出、国家予算の六分の一が、阿片の上がりだった。」

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山本五十六暗殺計画。下「」引用。

「山本五十六の方はドイツ嫌いの上、陸軍の連中を馬糞呼ばわりして耳を貸そうとしない。甘粕としても、山本をヤル以外に打開策はないと思い詰めていたのでしょう」

テロリスト甘粕は、石原莞爾を恫喝しただろうという……。

松井大将を尊敬する甘粕。

爆弾テロをした甘粕。下「」引用。

「満州浪人しにしても、いずれも海千山千の男たちばかりだから、命がけの仕事をさせるには、結局、金が要る。ハルピンでは甘粕みずから爆弾テロをやっていたのも、当時の甘粕はまだ満州に来て日が浅く、軍資金の調達が思うに任せなかったからである。」

「岸暗殺」東条英機。下「」引用。

「場所が東京でなく、これが満州だったら、東条は間違いなく甘粕に「岸暗殺」を命じていたはずである。
 そのとき、相手が盟友の岸であっても、東条の頼みとあれば話は別。-略-
 これは東条と岸が袂を分かつ直前のことだが、岸の大臣官舎に四方諒二という東京憲兵隊長が押しかけてきたことがある。四方はいきなり軍刀を突き付けて「東条閣下が右向け右、左向け左と言えば、閣僚は従うべきではないか。それに反対するとはなにごとか」と、威したのである。だが岸は怯むことなく、「黙れ兵隊! お前みたいな者がいるから、このごろの東条さんは評判が悪いのだ。右向け右、左向け左と命令できるのは、日本には天皇陛下しかいない。さっさと下がれ!」と怒鳴りつけると、相手は黙って立ち去ったという。」

東条の持ち金、当時で十六億円といわれていたという。

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