磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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航空黎明期の先覚者草刈思朗

2009年11月09日 | 読書日記など
『航空黎明期の先覚者草刈思朗-日本軍国主義破綻への道-』
   篠崎勝・著/亀松吉昭・監修/光陽出版社2005年

図書館の説明文。下「」引用。

「大正時代の陸軍中佐・草刈思朗(1890~1919)は、欧州に長期滞在し、航空機関係の調査を行い、帰国してからは、飛行学校開設準備、陸軍航空部開設準備に奔走した。その業績を紹介する。」



フランス航空団来日。下「」引用。

「一九一八年フランスには対露遠征(シベリア出兵)の為に編成した航空部隊が残されていた。-略-思朗が市の床に伏していた大正八年一月の末にフォール大佐一行が来日した。-略-」

航空論?……。下「」引用。

「イタリアの「ドーウエ」やアメリカの「ミッチェル」などである。日本においても中島知久平が第一次世界大戦以前から航空機を主力とする戦略論を提唱していた。思朗の校空論は ドーウエやミッチェルのものとも異なる。彼も航空機を国土防衛上不可欠の戦略兵器として位置づけていた。しかし、彼の真骨頂は航空機の社会学的解析にある。」

メーカー、ルノー。航空機にも関わっていたようだ……。

飛行機ショーに集まった大観衆。下「」引用。

「明治四三年(一九一○年)の初飛行に始まり各地の飛行機ショーへの国民の関心は非常に高かった。代々木練兵所(現在の代々木公園)の飛行には五○万人の人たちが集まったという。-略-」

外人パイロット相次ぐ。下「」引用。

「国民の飛行機に関する関心は外国人パイロットの相次ぐ来日によっても一層高まっていった。一九一一年(明治四四年)にアメリカ人飛行家三人が、翌年にはアメリカ人が水上飛行を披露している。-略-」

「1 日本は兵器後進国(大戦前の陸軍の兵器装備)」

「技術の海軍」……。下「」引用。

「思朗の「陸軍は海軍に比し十年の幼きに似たり」という文言は滞欧中に思朗は親しかった海軍関係の将校との交友を通して得た感想でもある。-略-」

「4 鉄道連帯時代に培われた「技術の陸軍」」
「軍部に巣くう「藩閥と陸軍出身官僚」
「兵站の軽視(人力・馬力に依存した陸軍)」

石川島造船所……。下「」引用。

「一九二四年に石川島造船所が設立したもので、ドイツのアルバトロス社の技師長ラッハマン博士を招聘して陸軍用に偵察機や軍用機を試作した。-略-」









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