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1945年のクリスマス 日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝

2009年02月13日 | 読書日記など
『1945年のクリスマス 日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝』
   ベアテ・シロタ・ゴードン(著)/
     平岡磨紀子(構成・文)/柏書房1995年

しかし、当時の日本の現状よりは、はるかに進んでいたことは書くまでもない。
--日本には、人権という言葉さえなかったという。人権を共産主義というのも間違いであることは、このことでも理解できる……。だけど、民権という言葉はあったという。



著者は六カ国語できるという。

ヒトラーの影響を受けたという。下「」引用。

「母の身内でスイスにいた者は無事だったが、オーストリアに住んでいた親戚は、みんなナチの強制収容所送りになったことを話した。収容所という言葉が出るたびに、父の皺は深くなった。父と私は、ヒトラーのユダヤ人迫害を、身内の死によって実感し、確認することになった。」

両親は東京にいたため、逢いたいがために、GHQに職を求めたという。下「」引用。

「民政局の仕事は、建て前としてはマッカーサー元帥を補佐して、連合軍の日本占領政策を立案、推進するという説明だったが、実際は、日本政府に次々と指令を出し、日本の軍国主義的組織を解体し、民主主義化しようという政策を推進する中心的な役割を果たしていた。」

ヒロイズムの日本人?……。下「」引用。

「また、日本の道徳は、犠牲的精神を発揮する人物を、必要以上に美化する。その中にヒロイズムを感じる人も、他の民族より多いように思う。日本人に人権という概念を話しても通じない。わがままとか、個人主義とかいう悪意のあることばに置きかえられてしまうからだ。」

軍国主義というのは、そういうものかもしれないと思う……。

近衛切り……。下「」引用。

「一二月一六日に、開戦前の首相で、戦後の東久邇宮内閣の副首相をつとめた近衛文麿公爵が服毒自殺している。この近衛公爵は、一○月のはじめマッカーサー元帥から日本の憲法の改正草案をつくるよう示唆を受けて、天皇側近の内大臣府を中心に、京都大学の佐々木惣一博士ら憲法の専門家を集めて憲法草案の作成にかかっていた。作業は、箱根で行われていたが、アメリカのニューヨーク・ヘラルド・トリビューンや、ニューヨーク・タイムズに、「戦争に加担した張本人に憲法を書かせるという馬鹿げたことが、東京で行われている」と書かれた。困ったマッカーサー元帥は一一月のある日、「日本政府の副首相としての近衛に指令したのであって、近衛個人に依頼したわけではない」と、まあ簡単に言えば梯子を外してしまっていた。その上、一二月六日、A級戦犯の容疑で逮捕状が出されていた。戦争開始時の首相だった東条英機大将らは、九月に逮捕され巣鴨に拘置されていたが、この時は、さらに九人の追加逮捕を指令したのだった。」

だけど、裏側までは通訳であった若い著者は理解しているように思えない。下「」引用。

「出来上がった文書は、日本側からマッカーサー元帥に承認を求めて提出されることになる。そして、マッカーサー元帥は、この憲法を日本政府が作ったものとして認め、全世界に公表するであろう」
 簡単に言えば、出来のわるい生徒の試験答案を先生が書いて、それを口を拭って生徒が書いたとして提出して及第点を貰おうというようなものだ。でも、そんなことは十分にあり得る状況に、当時の日本は置かれていた。-略-」

「非国民」と呼ばれたくないために……。下「」引用。

「ロウスト中佐は、人権に支えられた自由と民主主義を理想とするアメリカ人の考えを代表していた。
 確かに、将来の不届きな支配者が現われて、基本的人権まで奪う法律を制定したら、弱者である普通の農民や市民は、酷いことになる。実際にワイマール憲法のドイツが、簡単にヒトラーの手で変えられてしまったし、大正時代デモクラシーを謳歌した日本が、治安維持法という悪法で、軍国主義一色に染め上げられたという歴史がある。
 出征兵士を送る日本の妻や母親は、人前では毅然とした態度をみせていても、台所の片隅で涙を拭っていた。そのことはみんな知っていても、〈非国民〉という言葉の前はに、口を噤んだ。-略-」

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アメリカ本国でも、ブッシュのようなアメリカン・ファシストによって、人権は踏みにじられた……。

今も、そのために涙を流している母親がおられることだろう……。

国家神道の復活。下「」引用。

「国家神道が、日本の世界征服の侵略の精神的バックボーンになっていることは、GHQのメンバーのほとんどが民事要員訓練所のカリキュラムで学んでいる。ロウスト中佐が危惧しているのは、この〈国家神道ニッポン 〉の再生だった。」

靖国神社参拝はそれに関係するものであろう……。

しかし、それさえも悪用するのが、アメリカでは?
--南米でのことを考えれば、それも可能性としてありえると思う……。

1992年、テレビ・ドキュメンタリー「日本国憲法を生んだ密室の九日間」があったという。
この番組がこの本の原点だという。

そのテレビ番組をもとに、ビデオが作られたという。
私は男女平等を憲法に書いた』ドキュメンタリー工房。








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