磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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新篇 私の昭和史1  暗い夜の記憶

2008年11月29日 | 読書日記など
『新篇 私の昭和史1 暗い夜の記憶』
   東京12チャンネル社会教養部・編/
      學藝書林s49年

東京12チャンネル、今はテレビ東京。
1973年に社名変更。



どうやら放送されたものを本にされたようです。

防空本部なんてものが東京にあったそうです。下「」引用。

「石川 警視庁の地下の防空本部に大きな管区図がありまして、つまり、東京都下全部の地図なんですが、爆弾が落ちますと赤いランプ、焼夷弾が落ちますと青いランプがそこへつくようになっています。警報がブーッとなりますと、総監以下幕僚、そういったものが全部ランプの前へ集まりまして、すぐそこから被災地へふっとんで行ったわけなんです。」

でも、国民を救えたわけではないようですね。

空襲の惨状を写真で撮影されたそうです。


この本を手にしたのは、永井隆博士の長男・誠一さんの名前があったからです。

ほかの本ですが、父親のことを尊敬しているという誠一さん。

昭和45年に、長崎医科大学物理的療法科当時の「原子爆弾救護報告」発見。

そのことについてインタビューをうけていることが記録されています。

救護隊長である永井博士が家に帰ったのは8月12日のことだったという。

誠一さんは、博士が比較的ユーモラスな面があったと書かれています。

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東京裁判がおかしいという人がいますが、ソ連はもっとひどいです、驚きです。

そして、シベリアの収容所にはドイツ人もルーマニア人もいたそうです。



「木を植える会」のことや、中国での俘虜虐殺のことも書かれてありました。


対馬丸のことも書かれてあります。

レッド・パージというのもMPがNHKにカービン銃をもって……などと記述されています。下「」引用。

「大阪のNHKなんかでは、カービン銃をもったMPが参りまして、銃をつきつけて被解雇者を社屋の外へ出した。また共同通信ではちょうど雨の降っているときには警官隊が動員されまして、いまで申します機動隊ですが、それが二列に列をつくっているなかを、被解雇者は主家を追われた犬のように立ち去った」


ボクの生まれる前の話しですが……。
この当時のことも無視したら、今の世の中がわからなくなると思います。







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