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講談社現代新書1698 化学兵器犯罪

2009年07月23日 | 読書日記など
『講談社現代新書1698 化学兵器犯罪』
   常石敬一・著/講談社2003年

テレビに、ときどき出演している著者ですね。



いまも続く旧日本軍の遺棄毒ガス被害

--日本での井戸水汚染2003年
茨城、旧軍の毒ガス(くしゃみ剤)被害。
井戸水をやめ水道水にかえ、治療効果もあって男児が歩けるようになったという。

--中国黒龍省チチハル市で死者。
旧日本軍の遺棄化学兵器。

相模原2002年9月毒ガス被害。

広島でも……。下「」引用。

「かつて日本でもチチハルでの事故と同じようなことが起きている。それは一九五八年五月二九日、広島県三原市で死者一名と軽症者二十数名を出した毒ガス集団中毒事件だ。原因は鉄屑屋で扱った空容器に、青酸が残存していたのだった(『秘録大久野島の記』)。」

第一次大戦、ドイツ……。下「」引用。

「ドイツの軍人はいかに「効果」的にそれを使用し、敵を圧倒しようかと考えた。その最初の攻撃が、一九一五年四月二二日、ベルギーのイープルにおけるフランス・カナダ軍に対する塩素ガスの大規模放射だった。フランス軍の中心はアルジェリア兵だった。-略-」

対抗する英国……。下「」引用。

「英国がリーベンス砲を使いはじめたのは一九一七年四月九日、アラスにおいてであり、英国は「ガス発射(gas shoots)と呼んだ。ガス発射はリーベンス砲をずらっと並べ、一三・五~一八キログラムのガスを詰めたドラム缶を装填する。電気が流れ、ドラム缶は放出される。ドラム缶には火薬が少量入っており、敵の塹壕近くに落下すると、爆発してドラム缶を破壊し、中身が飛び出していく。敵は逃げる時間がほとんどない。つまり気付いた時には既に毒ガスが身の周りにあり、マスクなど防護手段を取るのが遅れ、被害がひどくなる。-略-」

ヒトラーは第一次大戦中の1918年10月13日に毒ガスによって被害を受けた。

--小泉親彦のことが書かれてあった。

ドイツから招いた日本……。下「」引用。

「日本は一九二五年一月にドイツ課ら毒ガスの専門家を招請することになった。三年間の試行錯誤の末に、日本も化学兵器軍備を整える、という決断をしたことだけは分かる。-略-」

星製薬が毒ガスの専門家を招く……。下「」引用。

「既に述べたW・メッツナーの採用は一九二五年の五月にはほぼ決まり、後は条件を詰めて契約をするだけとなった。生物・化学兵器の使用を禁じたジュネーブ議定書の調印はその翌月、六月一七日だった。名目的に彼を雇ったのは星製薬だった。星製薬は現在も企業活動をしているが、戦前の星製薬は製薬会社として大きな存在で、星薬科大学などを創設した企業だ。-略-」

当時・星製薬の代表者であった田丸節郎は東工大教授であり理研の主任研究員。
1908年、カールスルーエ工科大学のハーバーのもとに留学。

講義は有益だったという軍部……。下「」引用。

「-略-秋山は、「メッツナー博士を招聘し、爾後(じご)二年間に亘(わた)り海軍関係者と共に同氏の化学兵器講義を聴講し甚だ有益であった」と評価している(『陸軍科学研究所及第六陸軍技術研究所に於ける化学兵器研究経過の概要〈第一案〉』)。-略-」

「2--大久野島での毒ガス製造」 下「」引用。

「大久野島で最初のガス中毒死者が出たのは一九三三年七月だった。一六日午前中に青酸ガスを吸い込み、翌一七日午前○時一五分に死亡した。死亡したのはその年の春に入所したばかりの、いわば新米の二九歳の従業員だった。彼には妻子がいた。
 彼はサイクロームを製造する作業に従事していて事故にあった。」

サイクロームはチクロンB(*サイクロームチームがつくった。)に類似した農薬だという。

アメリカは日本軍が毒ガスを使ったら、報復攻撃すると宣言。下「」引用。

「しかし通常この警告は、米国は化学兵器の先制使用を行わない宣言、と捉えることが多い。だがそのような理解は、冷戦時に形成された解釈ではないか、と考えることができる。その解釈は、「恐ろしくまた非人道的な兵器」そのものである原爆から、それを使った唯一の国が米国であることから、人々の目をそらすために考え出されたのではなかっただろうか、とも思えるのだ。」






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