磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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木の葉のように焼かれて 第17集

2008年10月28日 | 読書日記など
『木の葉のように焼かれて 第17集』
   新日本婦人の会広島県本部・編/新日本婦人の会広島県本部1983年

一年のあゆみ(1982・7-1983・7):p81~82



中曽根はウソ……。下「」引用。

「選挙戦のさなか、中曽根首相は「安保改定をすれば戦争になる、と革新戦争はいって来た。しかし、戦後三十八年間、自民党政権を担当している間戦争になったことは一度もない。中曽根は戦争をしようとしている、などと宣伝されているが、それはウソだ。」という趣旨の発言をくりかえしています。
 しかし、日本はこの三十八年間に朝鮮戦争、ベトナム戦争というアメリカが引き起こした二つの戦争の前線基地として、戦争に巻きこまれてきました。朝鮮戦争の時には一万人もの日本人が直接戦闘に参加させられ、五十余名の戦死者を含む、四百名もの死傷者が出ております。
 ベトナム戦争でも、物資輸送等に日本人が参加させられ、日本の国内にあるアメリカ軍基地から、次々と爆撃機が飛び立ち、そして広島県内の呉や川上弾薬庫は、最大の補給基地となったのです。アメリカ軍の首脳部が「日本の基地がなかったら、朝鮮戦争もベトナム戦争も、遂行することはできなかっただろう。」と述べているのも当然です。」

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「手記 救護班として焼跡をゆく」前畠整子・著。下「」引用。

「-略-疲れた身体で保健所に出勤すると「広島へ救護班で行け」という命令です。医師、看護婦、保健婦、事務職員を含めて十五名前後で九日の早朝出発しました。列車は海田市駅や近所の民家の窓ガラスが割れたり、屋根瓦がずり落ちかけているので、広島の被害がこの辺までおよんでいるのを知りました。
 やっと広島に入ったのは昼前で、街は焼野原となり、一望千里見渡せるようになっていました。-略-」

それは8月8日のことだったという。下「」引用。

「駅裏の山の中へ入って行くと、一六、七才から五十才前後の朝鮮の労務者二十人ぐらいが、松林の中に倒れておりました。軍の命令で防空壕を掘っていたそうで、上半身大やけどをし、ズボンやパンツも焼けて、ぼろぎれが垂れ下がったのを身につけていました。赤チンをつけてあげるとき「アイゴー、アイゴー」と泣きながら両手を合わせて拝む格好をしました。その後、あの人たちのうち何人が無事、祖国朝鮮へ帰っていったことでしょうか、今でも気がかりでなりません。」

また、40キロも離れたところだったが……。
「直立のまま流れる死体」中村乾・著。下「」引用。

「昭和二十年八月六日、当時私は十八才で広島工専(現広島大学工学部)の学生であった。当日は学徒動員で広島市大竹市の三菱化成大竹工場(現三菱レーヨン大竹工場)におり、授業を受けていた。
 大竹は広島市からから四十粁以上離れているが、原爆投下爆発の瞬間はせん光が走り、工場内で事故が起きたような感じであった。
 -略-それらの死体は、すべて直立しており、頭の先がぎりぎり海面に接している状態なので可成り接近しないと確認できない状態である。
 最初の死体を発見して周囲を見渡した時、目に入った死体は四体であった。ところが五十米離れると死体が確認できない状況だったので、当時の江波沖には可成り大きな密度で死体が漂着したものと思われる。」

看護婦(現・看護士)も被爆されて悲惨だった……。
「忘れられぬあの日」キヌコ・ラスキー(カナダ在住)・著。下「」引用。

「当時、私は十六才で、逓信病院で働く看護婦でした。-略-他の死体と一緒に焼かれていたかもしれません。
 外科医は、たとえ麻酔剤がなくても、手術をしなければひどい顔になると話していました。そして、先生たちは、とても太い針で私の顔を縫い始めました。普通、あの種の針は厚い皮膚を縫うときにだけ使うものでした。とても痛くて「殺して、ほっといて下さい」と頼み続けました。
 手術後、私は扉の上に載せられて、廊下の床の上に置かれました。病院が燃えてしまって、ベットがなかったのです。床は負傷者と死体でいっぱいでした。足の踏み場がないので、通る人はみんな、扉の端を踏んで行きました。扉は取手がついたままだったので、人が踏むたびに揺れて、傷が痛みました。そこでも私は何度も気を失いました。」

「平和について発表会」(1982.11.29)。

「くすのき苑を訪ねて」入苑者の七割が被爆者。 下「」引用。

「地域の人々に長らく待たれていた、老人養護ホーム「くすの木苑」は、昨年十一月開苑されました。明るく清潔な建物には、五十人の老人が、理事長以下二十八人の職員が看られ、その七割が被爆者だということです。-略-」

「座談会 若者に学び語りつづける広島」
--名越操さんも参加。
《真剣に話せば子供たちも変わる》











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