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重慶爆撃とは何だったのか-もうひとつの日中戦争-

2009年11月29日 | 読書日記など
『重慶爆撃とは何だったのか-もうひとつの日中戦争-』
  戦争と空爆問題研究会・編/
    荒井信一、他・著/高文研2009年

世界史上初、無差別戦略的爆撃を始めたのは日本軍。
6年にも及ぶ重慶爆撃の実態を解明。
アフガン・イラク戦争につながる「空からのテロ」の本質を明らかにするという……。



重慶大爆撃訴訟」 下「」引用。

「このうち「重慶爆撃」の方は、霞が関の「赤煉瓦」から発出された「大陸命」により遂行された。」

全面戦争のきっかけ。下「」引用。

「日中全面戦争のきっかけは北京郊外の蘆溝橋での日中両軍の衝突事件である(一九三七年七月七日)。」

南京毒ガス攻撃計画は不発。下「」引用。

「南京毒ガス攻撃案は不発に終ったが、日本軍は中国各地で毒ガス戦、細菌戦を行なった。毒ガスは主として地上戦闘でつかわれたが、空から毒剤爆弾を投下したり、毒剤を地上に散布したケースも多い。不完全な統計であるが、国民東軍政部の作成した統計では、日本軍の化学攻撃方法が判明している一一八二回のうち七%、七九回が空からの化学戦である」

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占領した南京に、傀儡政権(汪兆銘首席)を樹立すべく謀略戦(秘密工作)がすすめれた……。

そして、報復された……。下「」引用。

「そして数年後、日本軍の「重慶爆撃」は、何倍にもなる火の報復となって日本本土に降りかかってくることになる。B29爆撃機による初の日本空襲--一九四四年六月の北九州・八幡製鉄所爆撃は、重慶に司令部を置いたアメリカ陸軍航空軍が、おなじ四川省の成都(せいと)周辺に建設された基地から実行したものであった。これも思いがけない「歴史のめぐり合わせ」といえる。同年一○月、「南京渡洋爆撃」(一九三七年)の出撃地となった長崎県大村市(大村航空隊と航空廠所在地)も、おなじく報復を受けた。」

「ツツイラ号事件」4か月と1週間後に、日米戦争。下「」引用。

「日米関係の緊急を告げるバロメーターとなった。終わりの見えない重慶爆撃の成果、行き詰まった日米交渉、一方で、時々刻々と距離をちぢめるツツイラと爆弾の間合い……。」

日本側資料に攻撃目標を単に「重慶市外」と表記されているという……。

「無差別性を高めた爆撃高度の引き上げ」

エドガー・スノーの記録。

重慶爆撃は国際法違反の戦争犯罪。







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