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長崎朝鮮人被爆者実態調査報告書 第4集 原爆と朝鮮人

2009年03月15日 | 読書日記など
『長崎朝鮮人被爆者実態調査報告書 第4集 原爆と朝鮮人』
   長崎在日朝鮮人の人権を守る会・編/
     長崎在日朝鮮人の人権を守る会1986年

端島は「軍艦島」という方が、より理解できるのではないでしょうか……。
--この島も負の遺産ではないでしょうか?



【端島の沿革】 下「」引用。

「端島は、その昔、草木もなく地質は水成岩からなる第三紀層の瀬であった。
 そこに10m内外の岩壁を築き、その中にコンクリートの建物を上に上にと積重ねた人工の島である。-略-日本最高の原料炭を産出する雄姿は、戦艦「土佐」に似ているところから、言う人をして「軍艦島」と呼ばれ、広く世に知られ現在に至ったのである。」

「まえがき」に書かれてあります。下「」引用。

「このほど本会は、長崎県西彼杵端島(通称・軍艦島)(一九七四(昭和49)年閉山)で、一九二五(大正14)年から一九四五(昭和20)年までの、同島で死亡した日本人及び外国人(朝鮮人および中国人)の「死亡診断書」「火葬認証書」を発見した。
 この文書(通称・端島資料)は、強制連行された朝鮮人労務者や中国人捕虜たちが、いかに苛酷な強制労働を強いられ、日本人とどのように差別されていたかを知る上での、きわめて重要な資料である。-略-」

「第三部 未知への照射」長崎大学教育学部助教授 舟越耿一・著。下「」引用。

「-略-それにしても日本人および朝鮮人、中国人の労働者の死亡者数は驚異的である。日本人で年平均五○名から六○名が死亡しているし、とりわけ敗戦二年前から朝鮮人、中国人の労働者の死亡率が一挙に高くなり、日本人のそれを上回っていることは特筆される。さらにその死亡原因である。さまざまな病死とともに、それを上回る事故死(変死)の数の多さが端島における労働の実態がいかに低劣、奴隷的であったかを物語っている。
 また、分析によれば、事故死(変死)のうち少なくとも二一名は日本人による私刑、リンチ、虐待、暴行等によるものと推定しているが、これは本文中の林えいだい著『強制連行、強制労働--筑豊朝鮮人坑夫の記録』の記述に照らしてみても同意しうるところである。
 地獄の孤島から逃れんとした「溺死」者や自殺者も数多くあった事実を含め、端島における労働と生活がそこで働くすべての人間にとっていかに陰惨、過酷、非人間的なものであったか、それは今、現在、平穏な生活を送っている私達の想像をはるかに超えるところであったろうと思われる。」

「朝鮮人狩り」……。下「」引用。

「最後には徴用令(一九四四年)を敷いて「朝鮮人狩り」を強行した結果である。
 証言者は言う、「朝鮮人も〈勤労奉仕隊〉いうて五百人くらい来とった。わたしも朝鮮ボシュウ(募集)にいったよ。朝鮮総督府で三町ぐらい割り当ててもろうて、一町から四、五十人出させた。まあ、強制たい。」と-略-」

食事もひどい……。下「」引用。

「こんな重労働に、食事は豆カス80%、玄米20%のめしと、いわしを丸だきにして潰したものがおかずで、私は毎日のように下痢して、激しく衰弱しました。-略-」

「地獄の島」ともいわれていたという。下「」引用。

「東シナ海に浮かぶ孤島、かつて「地獄の島」といわれた端島(軍艦島は無人島になり、そのまま廃墟になった。露出炭が発見された一八一○(文化7)年から一六四年の長さにわたって、近代日本の繁栄を支えてきた海底炭坑は、今や“記念碑的な島”に変貌してしまった。-略-」

「(二)原爆の街で、朝鮮人に助けられた」というタイトルの文章もありました。


■「軍艦島」を見学して。その1■



■「軍艦島」を見学して。その2■







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