『放射性廃棄物-原子力の悪夢-』
ロール・ヌアラ(著)/及川美枝(訳)/緑風出版2012年
帯に書かれてあります。下「」引用。
「人類は数千年、数万年保管できるのか?
世界の核のゴミ捨て場からの報告」
表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。
「チェルノブイリが一つだけではなく、いくつもあることをあなたは知っているだろうか? また、過去に汚染された地域が何千年もの間、汚染されたままであること、使用済み核燃料の「再処理」は事実上存在しないこと、原子力産業は放射能汚染を「浄化」できないのにそれを隠していることを知っているだろうか?
本書は私たちを、原子爆弾誕生の地=米国ハンフォードから、フランスのラ・アーグ再処理工場、ビュール廃棄物埋設処理施設、シベリアのに果ての露天廃棄場など、世界の核のゴミ捨て場を巡る不安な旅に誘う。この長い旅の過程で、私たちが驚きと共に発見するのは、原子力産業が常に、原子力について議論する機会を、そして廃棄物を拒否する権利を、市民たちから奪ってきたという事実である。市民の意見を聞くなら原子力は生き延びられない。原子力は民主主義と共存できるだろうか?」
映画の調査より。下「」引用。
「Arteのためエリック・ゲレが制作し、2009年10月13日に放映されたドキュメンタリー映画、「放射性廃棄物、原子力の悪夢」のために行われた調査より。」
名言。下「」引用。
「「耐える義務は、知る権利を伴う」
知る人ぞ知る」
予言的な言葉……。下「」引用。
「二○○二年、フランスの哲学者、ジャン=ピエール・デュピュイは予言的な言葉を書いている。「技術の進歩は、抜け出すことがますます困難になるような好ましからざる狭い道に閉じこもる傾向が大変強い。警戒信号がともる時はもう遅すぎるのだ。不幸は我々の運命だというが、そうなるのは、人間が自分たちの行為の結果を認めないからにほかならない。そしてそれは、我々がみずから遠ざけることを選択することもできる運命なのだ」。
選択が迫られている。今日、そして今。」
事実は、アレバの社長とは一致しない。下「」引用。
「二○○八年九月のある朝。ラジオを聞きながら家で仕事をしていた私の耳に、突然、アレバの社長、アンヌ・ロベルジョンの声がとびこんできた。彼女は、原子力エネルギーの恩恵について書いた本を出版したばかりで、その著書のプロモーションのためにメディアめぐりをしているところだった。私はやりかけていたことをストップして耳をそばだてた。私は、ちょうど八カ月にわたって放射性廃棄物についての調査で、世界中の原子力のゴミ捨て場を回ってきたばかりだった。彼女の説明は、私が見てきたこととは一致しなかった。」
長い調査……。下「」引用。
「この長い調査で、私は、映像ディレクターのエリック・ゲレと共に、世界の原子力の二つの生誕地、アメリカとロシアをめぐることになった。私たちはさらに、イギリス、ドイツ、そして原子力発電の割合が世界一大きなフランスを回った。私たちは各地で、議員、専門家、様々な意見の異なる科学者たち、推進派、反対派、専門家、市民、事業主たちに会った。また、各地で、我々が踏んだ土、摂取した食物、飲んだ水の正確な汚染を知るために、独自のサンプルを採取した。-略-」
ノーベル賞受賞者20人が参加していた「マンハッタン計画」 下「」引用。
「参加した二○○人以上の物理学者のうち二○人は既にノーベル賞受賞者か、あるいは後に受賞する学者だった。そして何千人もの技術者たちが無我夢中で死の機械を作るために働いた。」
もくじ
アレバと日本。下「」引用。
「五番目の工場は日本にあるが、未だに稼働に至っていないし、今まで一度も稼働したことがない。ラ・アーグの双子の姉妹ともいうべきこの日本の施設は、本州の北端、下北半島の太平洋岸の寒村、六ヶ所ムラに建設された。二○○二年、その建設の時は、アレバも一部、指導にあたったが、現地で働いたフランス人技術責任者たちは一様に日仏の協力を誉めちぎる。当時の現地での責任者の一人、ジャン=リュック・アルヌーは言う。「理想的な協力だった。技術面の取引だけでなく、お互いにノーハウをやりとりしあって、相互の利益を引き出すことができた。六ヶ所村工場の稼働に向けて作業が進むにつれ、我々はこのシステムをますますよく制御できるようになった」。しかしその制御はむしろ遅々たるものである。なぜなら六ヶ所村工場はいまだに稼働に至っていないからだ。」
index
グーグルアースで……。下「」引用。
「私たちはトムスクに赴き、フランスの再処理ウランを見ようと試みたが、やはり、ここでも私たちの前に、門は閉ざされたままだった。私たちは、グーグル・アースの映像で、劣化ウランのコンテナのありかを探した。そして、たくさんのコンテナが巨大な列車駐車場に保管されているのを画面上で見つけた。EDFとアレバは再処理のプロセスから出たくずを送ったのはこの場所である。極秘裏に。」
index
リサイクルされた量と勘違いをしそうな表現。下「」引用。
「素材は確かに九六%リサイクルできる可能性があるが、二○○七年に実際にリサイクルされたのは二・五%であり、EDF自身の数字によれば二・四%である。これはいったいどういうことか。なぜ私たちは方程式全体を知ることができないのか。それはおそらく、九六%という理論上の数字は正しいからだろう。
暴れた事実はほんの言い忘れでしかない。ところで、ナチュラリスト、ジャン・ロスタンが書いているように「耐える義務は、知る権利を伴う」。再処理という産業的選択を受け入れる義務があるなら、私たちは、全体の正確な数字を要求する権利がある。可能なことと、実際のこととの間には、意図的にふれられていない、非常に高くつく脅威が存在し、この場合それは産業的な危険を伴うのである。」
「ユッカ、蛇の山」 下「」引用。
「ドキュメンタリー映画の制作は選択を強いる。調査で得た幾つもの貴重な場面を、構成の都合ですべてあきらめなければならないこともある。今回の制作でカットされたのが、アメリカの高レベル放射性廃棄物の埋蔵施設としてのユッカ・マウンテンと、ラスベガスである。ユッカ・マウンテンはフランスではビュール(オート・マルヌ県)に予定されている埋蔵施設に匹敵する。-略-」
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目 次
ロール・ヌアラ(著)/及川美枝(訳)/緑風出版2012年
帯に書かれてあります。下「」引用。
「人類は数千年、数万年保管できるのか?
世界の核のゴミ捨て場からの報告」
表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。
「チェルノブイリが一つだけではなく、いくつもあることをあなたは知っているだろうか? また、過去に汚染された地域が何千年もの間、汚染されたままであること、使用済み核燃料の「再処理」は事実上存在しないこと、原子力産業は放射能汚染を「浄化」できないのにそれを隠していることを知っているだろうか?
本書は私たちを、原子爆弾誕生の地=米国ハンフォードから、フランスのラ・アーグ再処理工場、ビュール廃棄物埋設処理施設、シベリアのに果ての露天廃棄場など、世界の核のゴミ捨て場を巡る不安な旅に誘う。この長い旅の過程で、私たちが驚きと共に発見するのは、原子力産業が常に、原子力について議論する機会を、そして廃棄物を拒否する権利を、市民たちから奪ってきたという事実である。市民の意見を聞くなら原子力は生き延びられない。原子力は民主主義と共存できるだろうか?」
映画の調査より。下「」引用。
「Arteのためエリック・ゲレが制作し、2009年10月13日に放映されたドキュメンタリー映画、「放射性廃棄物、原子力の悪夢」のために行われた調査より。」
名言。下「」引用。
「「耐える義務は、知る権利を伴う」
ジャン・ロスタン
知る人ぞ知る」
予言的な言葉……。下「」引用。
「二○○二年、フランスの哲学者、ジャン=ピエール・デュピュイは予言的な言葉を書いている。「技術の進歩は、抜け出すことがますます困難になるような好ましからざる狭い道に閉じこもる傾向が大変強い。警戒信号がともる時はもう遅すぎるのだ。不幸は我々の運命だというが、そうなるのは、人間が自分たちの行為の結果を認めないからにほかならない。そしてそれは、我々がみずから遠ざけることを選択することもできる運命なのだ」。
選択が迫られている。今日、そして今。」
事実は、アレバの社長とは一致しない。下「」引用。
「二○○八年九月のある朝。ラジオを聞きながら家で仕事をしていた私の耳に、突然、アレバの社長、アンヌ・ロベルジョンの声がとびこんできた。彼女は、原子力エネルギーの恩恵について書いた本を出版したばかりで、その著書のプロモーションのためにメディアめぐりをしているところだった。私はやりかけていたことをストップして耳をそばだてた。私は、ちょうど八カ月にわたって放射性廃棄物についての調査で、世界中の原子力のゴミ捨て場を回ってきたばかりだった。彼女の説明は、私が見てきたこととは一致しなかった。」
長い調査……。下「」引用。
「この長い調査で、私は、映像ディレクターのエリック・ゲレと共に、世界の原子力の二つの生誕地、アメリカとロシアをめぐることになった。私たちはさらに、イギリス、ドイツ、そして原子力発電の割合が世界一大きなフランスを回った。私たちは各地で、議員、専門家、様々な意見の異なる科学者たち、推進派、反対派、専門家、市民、事業主たちに会った。また、各地で、我々が踏んだ土、摂取した食物、飲んだ水の正確な汚染を知るために、独自のサンプルを採取した。-略-」
ノーベル賞受賞者20人が参加していた「マンハッタン計画」 下「」引用。
「参加した二○○人以上の物理学者のうち二○人は既にノーベル賞受賞者か、あるいは後に受賞する学者だった。そして何千人もの技術者たちが無我夢中で死の機械を作るために働いた。」
もくじ
アレバと日本。下「」引用。
「五番目の工場は日本にあるが、未だに稼働に至っていないし、今まで一度も稼働したことがない。ラ・アーグの双子の姉妹ともいうべきこの日本の施設は、本州の北端、下北半島の太平洋岸の寒村、六ヶ所ムラに建設された。二○○二年、その建設の時は、アレバも一部、指導にあたったが、現地で働いたフランス人技術責任者たちは一様に日仏の協力を誉めちぎる。当時の現地での責任者の一人、ジャン=リュック・アルヌーは言う。「理想的な協力だった。技術面の取引だけでなく、お互いにノーハウをやりとりしあって、相互の利益を引き出すことができた。六ヶ所村工場の稼働に向けて作業が進むにつれ、我々はこのシステムをますますよく制御できるようになった」。しかしその制御はむしろ遅々たるものである。なぜなら六ヶ所村工場はいまだに稼働に至っていないからだ。」
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グーグルアースで……。下「」引用。
「私たちはトムスクに赴き、フランスの再処理ウランを見ようと試みたが、やはり、ここでも私たちの前に、門は閉ざされたままだった。私たちは、グーグル・アースの映像で、劣化ウランのコンテナのありかを探した。そして、たくさんのコンテナが巨大な列車駐車場に保管されているのを画面上で見つけた。EDFとアレバは再処理のプロセスから出たくずを送ったのはこの場所である。極秘裏に。」
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リサイクルされた量と勘違いをしそうな表現。下「」引用。
「素材は確かに九六%リサイクルできる可能性があるが、二○○七年に実際にリサイクルされたのは二・五%であり、EDF自身の数字によれば二・四%である。これはいったいどういうことか。なぜ私たちは方程式全体を知ることができないのか。それはおそらく、九六%という理論上の数字は正しいからだろう。
暴れた事実はほんの言い忘れでしかない。ところで、ナチュラリスト、ジャン・ロスタンが書いているように「耐える義務は、知る権利を伴う」。再処理という産業的選択を受け入れる義務があるなら、私たちは、全体の正確な数字を要求する権利がある。可能なことと、実際のこととの間には、意図的にふれられていない、非常に高くつく脅威が存在し、この場合それは産業的な危険を伴うのである。」
「ユッカ、蛇の山」 下「」引用。
「ドキュメンタリー映画の制作は選択を強いる。調査で得た幾つもの貴重な場面を、構成の都合ですべてあきらめなければならないこともある。今回の制作でカットされたのが、アメリカの高レベル放射性廃棄物の埋蔵施設としてのユッカ・マウンテンと、ラスベガスである。ユッカ・マウンテンはフランスではビュール(オート・マルヌ県)に予定されている埋蔵施設に匹敵する。-略-」
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