『現代社会学体系12 権威主義的パーソナリティ』
T.W.アドルノ(著)/田中義久・矢沢修次郎・
小林修一(訳)/青木書店1990年、1995年7刷
テオドール・ルートヴィヒ・ヴィーゼングルント=アドルノはユダヤ人で、ナチスに協力した一般人の心理的傾向を研究したという。この考えを発展させる学者がいてほしいとボクは思います。
おもしろい(興味深い)考えですが、これはどうかな? と思うことが多々ありました。
でも、平和のために役立つと思われますから、これからも研究を続けてほしいと思いました。
潜在的ファシズムというのがあるという。下「」引用。
「私たちの主要な関心は、潜在的にファシスト的な個人、つまり反民主主義的な宣伝にとくに動かされやすい精神構造をもっている個人に向けられていた。」
日本人にもかなり、潜在的ファシズム……。
鬱屈したものがあるように思えて仕方がありません……。
ファシズムの反対は、民主主義としたら、反民主主義といっていいかとボクも思います。
ファシズムというのには、いろいろ定義があるそうですが、無視してはいけないとも思います。
民主主義とは「手続き」といった、ファシストなどは民主主義の敵だったと思います。
「ファシズム尺度」というのが二種類掲載されていました。
本とは違うようですが、ネットでもあります。
アドルノF尺度
権威主義的攻撃というのも、自ずとおきるものなのでしょうね……。下「」引用。
「基底的なよろこびをあきらめるよう強制され、厳格な抑圧の体系の下に生きるよう強制されてきた人間、したがってまたつねに強制を感じている人間は、自分が「腹いせをする」ことのできる対象をもとめる」
投射はファシストに多いメカニズムのようです。下「」引用。
「じっさい、ファシズム尺度の項目のほとんどが、ある意味では、投射的なのである。」
幼稚な思考パターンですね。たとえ大人ぶって四字熟語を連発していたとしても……。
権威主義にとって子どものしつけが重要だという。下「」引用。
「この権威主義はファシストのとる行動様式の周知の側面だからである。この権威主義を子どものしつけという文脈に移しかえることを意味したようだ。しかし、そのことがほんとうにそうであったか否かに関係なく、この項目は、絶対に見逃すことのできないファシズム哲学の一側面を突いているのである。」
しつけというよりも、抑圧といっていいかとボクは思いますが……。
なるほど、愛もないのに、愛国心など、驚くべきしつけをしようとされる……。
--まず、ご本人たちが持っていただきたいのですが……。
抑圧され内面に暴力をたくわえている人たちには無理かもしれませんね……。
アメリカの大統領、ルーズヴェルトはシニシズムがドイツや日本に対するとき、強かったという。
外的刑罰主義でもあるという……。
どこの国にもファシストはいるようですね。
マスコミにもおられるようです……。
良心とは超自我か、内面か……。下「」引用。
「超自我の外化をおこなうのは、両親との真の同一化が欠けていたり両親を恐れたりすることの結果であるように思われる。これとは対照的に、低得点者たちは内面化された良心を持つ傾向にあり」
やはり超自我ではなく、内面に良心があるという感じのジョン・レノンが平和的だと思う。
良心で人を殺すなんて、ジョン・レノンにはできそうにありませんね。
そして、ファシストたちは、平和のために戦争をはじめますね……。
貧乏人に対する無慈悲。下「」引用。
「「働くかざるものは食うべからず」といった格言の精神は、経済的にたくましい個人主義の伝統的な精神に属するものであり、自由なシステムが社会主義によって危険にされされているとみるあらゆる人びとによって強調されるものである。同時に、これに関係した緒観念は、懲罰と権威主義的攻撃性といった傾向によって色彩られており、こうした傾向が緒観念を、偏見をもった性格に典型的な心理的衝動の理想的な受け皿にしているのである。」
平和的な人は、やはり貧乏人にも慈悲がありますね。
--このような社会になっても、格差はないというえる人たちもファシストに近いでしょうね……。
ナチスの税! 下「」引用。
「ナチスは、「納税者のお金」コンプレックスをいかに利用するかを非常によく知っていた。彼らは、その支配の最初の数年間は、ゲーリングによって公表された一種の税金免除を認めるところまで進んだ。彼らは、以前よりも重い税金を頼らなければならなくなると、それをたくみに慈善や任意の寄付等々だと言ってごまかし、公的な租税立法というよりも非合法な脅迫によって大量の金を集めたのだった。」
消費税を3%から5%にあげたとき、福祉のためにといっていましたよね。
本当にそうだったのでしょうか?
ウソという人の意見は聞いたことがあります。
薄い冊子にまとめられるくらい研究していただきたいと思う。
目次
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T.W.アドルノ(著)/田中義久・矢沢修次郎・
小林修一(訳)/青木書店1990年、1995年7刷
テオドール・ルートヴィヒ・ヴィーゼングルント=アドルノはユダヤ人で、ナチスに協力した一般人の心理的傾向を研究したという。この考えを発展させる学者がいてほしいとボクは思います。
おもしろい(興味深い)考えですが、これはどうかな? と思うことが多々ありました。
でも、平和のために役立つと思われますから、これからも研究を続けてほしいと思いました。
潜在的ファシズムというのがあるという。下「」引用。
「私たちの主要な関心は、潜在的にファシスト的な個人、つまり反民主主義的な宣伝にとくに動かされやすい精神構造をもっている個人に向けられていた。」
日本人にもかなり、潜在的ファシズム……。
鬱屈したものがあるように思えて仕方がありません……。
ファシズムの反対は、民主主義としたら、反民主主義といっていいかとボクも思います。
ファシズムというのには、いろいろ定義があるそうですが、無視してはいけないとも思います。
民主主義とは「手続き」といった、ファシストなどは民主主義の敵だったと思います。
「ファシズム尺度」というのが二種類掲載されていました。
本とは違うようですが、ネットでもあります。
アドルノF尺度
権威主義的攻撃というのも、自ずとおきるものなのでしょうね……。下「」引用。
「基底的なよろこびをあきらめるよう強制され、厳格な抑圧の体系の下に生きるよう強制されてきた人間、したがってまたつねに強制を感じている人間は、自分が「腹いせをする」ことのできる対象をもとめる」
投射はファシストに多いメカニズムのようです。下「」引用。
「じっさい、ファシズム尺度の項目のほとんどが、ある意味では、投射的なのである。」
幼稚な思考パターンですね。たとえ大人ぶって四字熟語を連発していたとしても……。
権威主義にとって子どものしつけが重要だという。下「」引用。
「この権威主義はファシストのとる行動様式の周知の側面だからである。この権威主義を子どものしつけという文脈に移しかえることを意味したようだ。しかし、そのことがほんとうにそうであったか否かに関係なく、この項目は、絶対に見逃すことのできないファシズム哲学の一側面を突いているのである。」
しつけというよりも、抑圧といっていいかとボクは思いますが……。
なるほど、愛もないのに、愛国心など、驚くべきしつけをしようとされる……。
--まず、ご本人たちが持っていただきたいのですが……。
抑圧され内面に暴力をたくわえている人たちには無理かもしれませんね……。
アメリカの大統領、ルーズヴェルトはシニシズムがドイツや日本に対するとき、強かったという。
外的刑罰主義でもあるという……。
どこの国にもファシストはいるようですね。
マスコミにもおられるようです……。
良心とは超自我か、内面か……。下「」引用。
「超自我の外化をおこなうのは、両親との真の同一化が欠けていたり両親を恐れたりすることの結果であるように思われる。これとは対照的に、低得点者たちは内面化された良心を持つ傾向にあり」
やはり超自我ではなく、内面に良心があるという感じのジョン・レノンが平和的だと思う。
良心で人を殺すなんて、ジョン・レノンにはできそうにありませんね。
そして、ファシストたちは、平和のために戦争をはじめますね……。
貧乏人に対する無慈悲。下「」引用。
「「働くかざるものは食うべからず」といった格言の精神は、経済的にたくましい個人主義の伝統的な精神に属するものであり、自由なシステムが社会主義によって危険にされされているとみるあらゆる人びとによって強調されるものである。同時に、これに関係した緒観念は、懲罰と権威主義的攻撃性といった傾向によって色彩られており、こうした傾向が緒観念を、偏見をもった性格に典型的な心理的衝動の理想的な受け皿にしているのである。」
平和的な人は、やはり貧乏人にも慈悲がありますね。
--このような社会になっても、格差はないというえる人たちもファシストに近いでしょうね……。
ナチスの税! 下「」引用。
「ナチスは、「納税者のお金」コンプレックスをいかに利用するかを非常によく知っていた。彼らは、その支配の最初の数年間は、ゲーリングによって公表された一種の税金免除を認めるところまで進んだ。彼らは、以前よりも重い税金を頼らなければならなくなると、それをたくみに慈善や任意の寄付等々だと言ってごまかし、公的な租税立法というよりも非合法な脅迫によって大量の金を集めたのだった。」
消費税を3%から5%にあげたとき、福祉のためにといっていましたよね。
本当にそうだったのでしょうか?
ウソという人の意見は聞いたことがあります。
薄い冊子にまとめられるくらい研究していただきたいと思う。
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