ラヂオアクティヴィティ[Ra.] 第二部・国境なき恐怖 141納涼床 鴨川の納涼床である。 「ここで食事だよ。今夜は涼しくってよかったね」 「蒸し暑いと困るよ」 「京都での食事、期待していたのよ」と李。 隣国の李はいろいろと京都のことを知っている。 「そりゃ、そうよ、私の両親も日本旅行したことあるのよ」 「床の下に川が流れているね。気分がいいねえ」 「涼しいよ」 お店の中年の女性が説明してくれる。 「昔はこういう床ではなかったのですよ。今はもう京阪電車が地上を走っていたころがあるのですが、そのときに床はこうなってしまったのですよ。川幅も、京阪電車がないころは広くて、納涼床も川にずっとあって、橋の下にあったそうです。」 「もう少しくわしく」 「足に水をいれて、納涼床まで歩いていくんです。舟もあったそうやから、それを利用もされていたでしょうね。食事したりしていても、水に触ったりもできるし、橋の下だから、直射日光も遮られているんです。でも、私たち現代の者にとっては橋の下というイメージはあまりよいとはいえないようですね」 「でも、自然を利用していて、案外賢いことじゃないかしら」 「それはそうです。昔は自動車も走ってもいなかったし、そう埃っぽくもなかったと思いますよ」 「京都の文化には独特のものがあります。みんなに食べてもらう、鱧料理、今では贅沢品なのですが、どうぞ食べてください」 「贅沢品か、ハモ料理、僕は食べたことないなあー」と勇気。 料理が運ばれてくる。 「この白身の魚が鱧ですか」 「そうです。あの有名なお祭り、“祇園祭”も別名は“鱧祭”と昔は言われていたのです」 「どっちのタレをつけるの」 「どっちでも好きな方を、こちらは酢味噌で、胡麻ダレです」 「健康にもいいものね」 「昔からのやり方で造られています」 「鱧って骨きりするのでしょう」 「プリプリしていて、美味しい」 「独特の味でしょう」 「鱧は骨が多い魚で、細かく骨きりがしてあるのです」 「カルシュームが豊富ってことね」 「京都は、海から遠く、鮮魚は手に入りにくかったのです」 「それは昔のことでしょう。今では、こうやって食べられるもの」 「昔も食べていましたよ。この鱧という魚は、骨は多いけれど、生命力が強くて、京都まで運ばれてきても生きているのです。それで、鱧がとれる地方の人たちは、そんな面倒なことはできないと食べなかったのです。でも、京都では、ありがたい魚ということで、この技術をつくりだして、先祖がわれわれに伝えてくれたのです」 「そうなの。他の地方で採れた魚なのですね」 「京都の板前さんの技術により、京都の名物になったことですね」 博士は料理の世界も科学に案外似ているような気がした。創意工夫が大切なことだろうと思う。 川の流れをみていると広島の灯籠流しを思いだした。 京都でも、そんなことがあると、勉はみんなに話した。 大文字の日に見ることができるのだ。
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