『平和への願いをこめて4 広島・被爆その後編 ヒロシマの心・母の祈り』
創価学会婦人平和委員会・編/第三文明社1982年
ヒロシマの心、母の祈り……。
−−本気で思われていたら、苦しい時代ですね……。

「まえがき」に書かれてあります。下「」引用。
「−略−かつて核は「使えない兵器」として、核抑止論がまことしやかに論じられていました。ところが戦域核を欧州大陸に限定しようとする動きや中性子爆弾の開発によって「使えない兵器」から「使える兵器」として公然と戦略理論が練られているようにになりました。
ようやく、ヨーロッパやアメリカにおいても危機感が深まり、第二回国連軍縮特別総会を前に、核廃絶や核軍縮を求める運動が各地で高まってきております。−略−
ところで創価学会においては昭和三十二年九月八日、戸田第二代会長が横浜の三ツ沢競技場において、五万人の観衆を前に、歴史的な「原水爆禁止宣言」を行ないました。−略−」
父との悲しい別れ……。下「」引用。
「主人が見当たりません。通り合わせた看護婦さんに聞くと「その人なら心当たりがあります。前歯が四本入れ歯で『幸ちゃん、幸ちゃん』と呼んでおられましたよ」というので「この子が幸子です」というと、「あなたが幸ちゃんね、お父さんは今朝五時頃、幸ちゃん幸ちゃんと呼び続けて息を引きとられたのよ」と幸子を抱いて一緒に泣いて下さいました。
遺体安置所に行く途中、私は“お父さん! 職もなく、家もない、食べる者も着る物も何一つないお前達を残しては、絶対に死ねん、死にきれんとあれ程言っておきながら、私達四人を残してどうして死んでしまったのよ! どうして死んだのよ!”とそれだけを繰り返し繰り返し主人に言っていました。」
「踏みにじられたナイチンゲール精神」。下「」引用。
「死体は足元に横たえてムシロを被せてあげるだけが精一ぱいの看護でした。ワカメのように皮膚はたれ下がり、ザクロが口を開けたように傷口がパックリ口をうけ、そこから血が拭き出して血まみれになった凄惨な死体。どの人も全裸に等しく、男女の区別さえもつかぬ悲惨な姿でした。
食事といっても、竹の筒にうどん粉を糊のように焚いたものを配って歩くだけです。介助して与える看護婦の手が足りないので、気の毒でも動けない患者には、横に置いてあげるだけでどうしようもないのです。
“看護婦の精神に反している! これが看護婦のすることか! 動けない人こそ助けてあげなければならないのに”と我が行為を咎めつつ、心を鬼にして、只バタバタと走り廻るだけでした。
時間をおいて巡回する私達は、全裸でムシロを被せてある患者のムシロを一枚一枚めくって、生死を調べて歩き、すでに呼吸の止まっている人は、あたかも品物を扱うかのように無造作に担架で運び出すのです。」
「ケロイドに奪われた私の青春」 下「」引用。
「◇七歳の時、鷹野橋(爆心地から一・二キロ」で被爆。その瞬間から「ケロイドの娘」として好奇の視線を道連れに今日まで歩いてきた。そのため恋にも破れ、結婚を断念−−。」
−−「《座談会》ヒロシマの心・母の祈り」
《出席者》
今堀誠二(広島女子大学・学長)
磯野恭子(山口放送ディレクター)
松本ナツ子(松本ナツ子モダンバレー研究所・所長)
《司会》
徳間京子(創価学校婦人平和委員会広島編纂グループ)
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創価学会婦人平和委員会・編/第三文明社1982年
ヒロシマの心、母の祈り……。
−−本気で思われていたら、苦しい時代ですね……。

「まえがき」に書かれてあります。下「」引用。
「−略−かつて核は「使えない兵器」として、核抑止論がまことしやかに論じられていました。ところが戦域核を欧州大陸に限定しようとする動きや中性子爆弾の開発によって「使えない兵器」から「使える兵器」として公然と戦略理論が練られているようにになりました。
ようやく、ヨーロッパやアメリカにおいても危機感が深まり、第二回国連軍縮特別総会を前に、核廃絶や核軍縮を求める運動が各地で高まってきております。−略−
ところで創価学会においては昭和三十二年九月八日、戸田第二代会長が横浜の三ツ沢競技場において、五万人の観衆を前に、歴史的な「原水爆禁止宣言」を行ないました。−略−」
父との悲しい別れ……。下「」引用。
「主人が見当たりません。通り合わせた看護婦さんに聞くと「その人なら心当たりがあります。前歯が四本入れ歯で『幸ちゃん、幸ちゃん』と呼んでおられましたよ」というので「この子が幸子です」というと、「あなたが幸ちゃんね、お父さんは今朝五時頃、幸ちゃん幸ちゃんと呼び続けて息を引きとられたのよ」と幸子を抱いて一緒に泣いて下さいました。
遺体安置所に行く途中、私は“お父さん! 職もなく、家もない、食べる者も着る物も何一つないお前達を残しては、絶対に死ねん、死にきれんとあれ程言っておきながら、私達四人を残してどうして死んでしまったのよ! どうして死んだのよ!”とそれだけを繰り返し繰り返し主人に言っていました。」
「踏みにじられたナイチンゲール精神」。下「」引用。
「死体は足元に横たえてムシロを被せてあげるだけが精一ぱいの看護でした。ワカメのように皮膚はたれ下がり、ザクロが口を開けたように傷口がパックリ口をうけ、そこから血が拭き出して血まみれになった凄惨な死体。どの人も全裸に等しく、男女の区別さえもつかぬ悲惨な姿でした。
食事といっても、竹の筒にうどん粉を糊のように焚いたものを配って歩くだけです。介助して与える看護婦の手が足りないので、気の毒でも動けない患者には、横に置いてあげるだけでどうしようもないのです。
“看護婦の精神に反している! これが看護婦のすることか! 動けない人こそ助けてあげなければならないのに”と我が行為を咎めつつ、心を鬼にして、只バタバタと走り廻るだけでした。
時間をおいて巡回する私達は、全裸でムシロを被せてある患者のムシロを一枚一枚めくって、生死を調べて歩き、すでに呼吸の止まっている人は、あたかも品物を扱うかのように無造作に担架で運び出すのです。」
「ケロイドに奪われた私の青春」 下「」引用。
「◇七歳の時、鷹野橋(爆心地から一・二キロ」で被爆。その瞬間から「ケロイドの娘」として好奇の視線を道連れに今日まで歩いてきた。そのため恋にも破れ、結婚を断念−−。」
−−「《座談会》ヒロシマの心・母の祈り」
《出席者》
今堀誠二(広島女子大学・学長)
磯野恭子(山口放送ディレクター)
松本ナツ子(松本ナツ子モダンバレー研究所・所長)
《司会》
徳間京子(創価学校婦人平和委員会広島編纂グループ)
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