磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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057日本の原爆開発

2006年05月14日 | Ra.
ラヂオアクティヴィティ[Ra.]
第一部ブロック・バスター

三、灯籠流し

057日本の原爆開発



「えっ!日本も原爆の開発をしていたの?」
勇気は驚いていた。

「もしも、ドイツや日本が原爆を開発していたら、
アメリカがヒロシマになっていた可能性があったのです……。
戦争というものは、そういうものです」

「日本じゃ……、実験だってできないよ」

「できる、そのころの日本ならね……。
満州があるし、今だって、海上という手だってあるさ。
それにさ、国民のことなんて関係なしに何処かで実験するものさ」
インド人の行者はインドで核実験が行われたことを思い出していた。

博士は意味深に笑った。
「ドイツだって、ポーランドがあった」
なにしろ、ポーランドの国土は広い。

あの有名なアウシュビッツ強制収容所の広さは
JR山手線の円の部分の三分の二という広さなのだ。

テレビの男は話す。
「オッペンハイマーが、原爆開発の担当になりました。
アインシュタインはそのころ、アメリカに移民していましたが原爆開発に蚊帳の外でした。
それは、アインシュタインが平和主義者だったからでしょう。
原爆は単なる抑止力とアインシュタインは考えていたそうです。
もし原爆を使用するなら、ナチス・ドイツと変わらないじゃないか!
いや、彼らよりも残酷になると主張したのです。
まさに、そのとおりの兵器と言わざるをえません」

画面はアインシュタインの写真。

「彼は原爆が落とされたとき悲しみのあまり、しばらく人と口も聞かなかったそうです。
単なる抑止力と考えていたからです。
また、シラードというユダヤ人の科学者もアメリカに移民しました。
彼こそが、原爆の父というべき男ともいわれているそうです。
彼が連鎖反応という核からその巨大な力が生まれると、理論づけた男なのですから……」

画面にはシラードの写真が写っている。

「シラードもまた、正義のために原爆は使われると信じていました。
そして、日本に原爆を落とすことを拒否しました」

シラードの顔写真のアップ。

「原爆は二種類ありました。
ウラン235を使用した銃式爆弾であるリトルボーイ、これは、広島に落とされました。
もう一つが長崎に落とされたプルトニウム爆弾、爆縮型がありました。
これは長崎に落とされました」








閑話休題

ほかの本では、
「原爆の父」を、
オッペンハイマーと
書かれている方もおられます。

こんな大量虐殺兵器の
父にはなりたくありませんね。

オッペンハイマーは、
広島・長崎の現状を知り、
ショックを受けたようです。
水爆実験については彼は反対した
と書かれている本もあります。

湯川秀樹、朝永振一郎が
ノーベル賞をもらったのは、
オッペンハイマーの力があった
と書く方もおられますね。





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