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長崎造船大学 研究報告 第16巻第1号別

2008年11月30日 | 読書日記など
『長崎造船大学 研究報告 第16巻第1号別冊』
   長崎造船大学・編/長崎造船大学1975年

「長崎における原爆の効果に関する「アメリカ合衆国戦略爆撃調査団報告」」大角良人、鎌田定夫・著。



第三次大戦への序幕だっという……。下「」引用。

「広島・長崎へ原爆が投下されてから30年になる。研究者たちは、広島・長崎への原爆投下を、単なる第二次世界大戦終幕への決定打としてでなく、来たるべき第三次世界大戦への序幕として意味づけている。たとえば、ブラッケットはその著書『恐怖・戦争・爆弾』のなかで、「原爆投下は第二次世界大戦の最後の軍事行動であったというよりも、むしろ目下進行しつつあるロシアとの冷たい外交戦争の最初の大作戦の一つであった」と述べているが、こうした見解は、今日では多くの現代史研究者の共通の見解となっている。だが、こうしたぶんせきや歴史意識は、まだ広島・長崎の多くの市民の認識となるまでには至っていない。」

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告発の声が……。下「」引用。

「あの日から30年、原爆の十字架を背負わせた証人者たちは、繰返し核告発の声をあげつづけてきた。たとえ、それら個々の反原爆の声をあげつづけてきた。たとえ、それら個々の反原爆の声がいかに微笑だとしても、朝鮮戦線で、台湾海峡で、ディエン・ビェン・フーやケサンで、それらの声がつねに世界最強の核権力の発動を抑止してきた基本的力を形成してきということは、今日まぎれもない事実である。そして、ここに現代の思想家や科学者が立ち向かうべき基本課題の一つがあることも、確かである。」

■施設の損壊■

ガスはやはり復興は遅かったようである。

市電は長崎と広島では異ったようである。下「」引用。

「(b)電車--電車系統はマヒした。部分的には軌道が直接損害を受けたためであるが、市の発電所が破壊されたのが主たる理由である。業務は11月23日まで回復しなかった。」

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電力のことも書かれてあった。

水道は浦上地区が大きな被害を受けたという。下「」引用。

「(d)水--市の水は通常郊外の四つの水源地から供給されていた。市南部の大浦、東部の西山、北東部の小ケ倉、北部の浦上がそれである。原爆後送水不能になったのは浦上水源地のみで、その影響が及んだのは浦上地区のみであったが、浦上地区事態が事実上跡形もなく消滅していたのであり、この損失は特に深刻なものとはならなかった。市の被災部分は、残った三水源地から十分な給水を受けた。」

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ラジオ放送は損なわれなかったという。
--これも広島とは異なる……。

「(g)鉄道運輸--1944年4月までに鉄道による輸入貨物は減少し、-略-7月にはわずか、1,500トンへとはなはだしく減少していた。-略-原爆による鉄道への影響は目に見える程のものは全然なかった。鉄道施設に対する産業上の需要は減少していたにもかかわらず、実際のところ7月に比べて8月には輸出入ともにわずかに増加を示しているのである。」

意外な数値もあるものですね……。

--長崎造船大学は、今では長崎総合科学大学というそうです。








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