『原発はなぜ、どこが危険か』
ジョン・W・ゴフマン、アーサー・R・タンブリン(著)/
小山内宏(訳)/ダイヤモンド社1975年
表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。
「●すべての読者に訴えます−−小山内宏
原子力の“平和”利用と称するものの実体を、われわれはいまこそ、冷厳に直視し、冷静に分析しなければならない。“平和”利用という呼称にまどわれさて、視点を軟化させてはならない。平和の中にも危険は厳存する。むしろ、平和の中にこそ、ひそかに、しかも着実に人間を侵し、蝕む危険性は大きい。平和利用という名の原発こそ、その最大のものである。そしてその“危険”はてずに現実のものとなって、この日本でもわれわれの前に立ちあらわれようとしている。そのときになって、はじめて気がついたというのではもう遅すぎる。原子力の危険性は、いくら説いても説きすぎるということはない。原子力災害は起こしてならないし、起こってからではもう遅いのである。」

“容認できない”のに正当化しているという……。下「」引用。
「原子力発電の推進者たちは、“容認できる”線量の被曝による障害についてただされると、これからの“容認できる”(安全であることを意味する)線量を設定した“専門の科学者”のことを話にもち出してくるのだ。実際、電力公益産業は、“容認できる”線量の安全性を正当化しようとして、二ページの雑誌広告を買っている。
“容認できる”線量の公衆の被曝によって大量のガン−白血病ないし遺伝的疾患がもたらされるという証拠が、“基準設定者”に提示されると、彼等らは、「われわれは、公衆がこれらの容認できる線量まで達するとは意図していなかった」と返答する。」
“影響なし”ではない。下「」引用。
「このように、放射線許容量がきわめて危険なものだという見方はいろいろあるがもっと驚くべきことがある。それは子宮内の胎児がとくに放射線の影響を受けやすく、ガンや白血球になる危険性が成人の五○倍にものぼるということだ。これは、イギリスの偉大な研究者であるアリス・スチュアート博士が、しっかりした証拠をあげて明らかにしたことである。
“原子力を奨励する人たち”が影響なしとした放射線量によって、どれだけのガンと白血病が発生するか、その正確な計算はない。発表した科学者によって計算結果は異っている。しかし共通していることは、大きな危険があるということを指摘していることだ。」
テラーは悪の方程式をつかう。下「」引用。
「エドワード・テラー博士は、しばしば、水爆の父と呼ばれる人物でもあり、また、最も顕著なAECの支持者でもある。彼は次のように語っている。
「原子炉で大きな不幸が一つでも起きれば、大災害に発展する可能性がある。しかしそれは、爆発力のせいではなく、放射能汚染のせいである。今までわれわれは非常に幸運だった。しかし、産業化が進むにつれ、また、よくわかりもしないことを、いじくり回すサルの数が殖えるにつれ、いかに安全なシステムをつくろうと、やがては、愚か者に壊されてしまうだろう。」
テラー博士は、一九七○年九月十日、カリフォルニア州にある“専門家技術協会リバモア支部”で原子炉を安全なものだと語っているが、同時に、地下に設置すべきであるとも語っている。」
つまり、危険であるのはわかっているが、原発の事故はいつも現場でおきる。
現場で起きるならば、現場の責任にすればいい!
テラーでさえも、高速増殖炉に対して……。下「」引用。
「エドワード・テラー博士は、『ニュークリア・ニューズ』誌の中で、高速増殖炉に対する、多くの科学者や技術者の不安を、十分に代弁し、次のように述べている。−略−」
もくじ
しかし、先進国では我国だけが、今も断念していない。血税と世界一高いといわれる電気料金から奪っているといっていい……。
宣伝マンたちは、金で魂を売り、金で魂を奪う……。下「」引用。
「電力会社の宣伝マンたちは、敵の抵抗力を弱めるため、まず、小型社会の役人や商業会議所を説得し、彼らに不正行為をやらせようとする。いかなる社会でも、その中にお金の臭いが流れ込むと、それは魔術的効果を発揮する。小型社会の市民は、税金の軽減という期待が持てると、催眠術にかかってしまう。軽減されたぶんは原子力発電所が代わって支払ってくれるというのだが、それは表面上のことである。しかしこうした経済的動機が抗したがたいものであり、そうした魅力的なエサが投げられると、「原子力発電所はよき隣人”という、あの古典的なお世辞をもって歓迎される。−略−」
「“専門家”グループに委ねることはできない」
−−こういうタイトルの文章もありました……。
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目 次


ジョン・W・ゴフマン、アーサー・R・タンブリン(著)/
小山内宏(訳)/ダイヤモンド社1975年
表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。
「●すべての読者に訴えます−−小山内宏
原子力の“平和”利用と称するものの実体を、われわれはいまこそ、冷厳に直視し、冷静に分析しなければならない。“平和”利用という呼称にまどわれさて、視点を軟化させてはならない。平和の中にも危険は厳存する。むしろ、平和の中にこそ、ひそかに、しかも着実に人間を侵し、蝕む危険性は大きい。平和利用という名の原発こそ、その最大のものである。そしてその“危険”はてずに現実のものとなって、この日本でもわれわれの前に立ちあらわれようとしている。そのときになって、はじめて気がついたというのではもう遅すぎる。原子力の危険性は、いくら説いても説きすぎるということはない。原子力災害は起こしてならないし、起こってからではもう遅いのである。」

“容認できない”のに正当化しているという……。下「」引用。
「原子力発電の推進者たちは、“容認できる”線量の被曝による障害についてただされると、これからの“容認できる”(安全であることを意味する)線量を設定した“専門の科学者”のことを話にもち出してくるのだ。実際、電力公益産業は、“容認できる”線量の安全性を正当化しようとして、二ページの雑誌広告を買っている。
“容認できる”線量の公衆の被曝によって大量のガン−白血病ないし遺伝的疾患がもたらされるという証拠が、“基準設定者”に提示されると、彼等らは、「われわれは、公衆がこれらの容認できる線量まで達するとは意図していなかった」と返答する。」
“影響なし”ではない。下「」引用。
「このように、放射線許容量がきわめて危険なものだという見方はいろいろあるがもっと驚くべきことがある。それは子宮内の胎児がとくに放射線の影響を受けやすく、ガンや白血球になる危険性が成人の五○倍にものぼるということだ。これは、イギリスの偉大な研究者であるアリス・スチュアート博士が、しっかりした証拠をあげて明らかにしたことである。
“原子力を奨励する人たち”が影響なしとした放射線量によって、どれだけのガンと白血病が発生するか、その正確な計算はない。発表した科学者によって計算結果は異っている。しかし共通していることは、大きな危険があるということを指摘していることだ。」
テラーは悪の方程式をつかう。下「」引用。
「エドワード・テラー博士は、しばしば、水爆の父と呼ばれる人物でもあり、また、最も顕著なAECの支持者でもある。彼は次のように語っている。
「原子炉で大きな不幸が一つでも起きれば、大災害に発展する可能性がある。しかしそれは、爆発力のせいではなく、放射能汚染のせいである。今までわれわれは非常に幸運だった。しかし、産業化が進むにつれ、また、よくわかりもしないことを、いじくり回すサルの数が殖えるにつれ、いかに安全なシステムをつくろうと、やがては、愚か者に壊されてしまうだろう。」
テラー博士は、一九七○年九月十日、カリフォルニア州にある“専門家技術協会リバモア支部”で原子炉を安全なものだと語っているが、同時に、地下に設置すべきであるとも語っている。」
つまり、危険であるのはわかっているが、原発の事故はいつも現場でおきる。
現場で起きるならば、現場の責任にすればいい!
テラーでさえも、高速増殖炉に対して……。下「」引用。
「エドワード・テラー博士は、『ニュークリア・ニューズ』誌の中で、高速増殖炉に対する、多くの科学者や技術者の不安を、十分に代弁し、次のように述べている。−略−」
もくじしかし、先進国では我国だけが、今も断念していない。血税と世界一高いといわれる電気料金から奪っているといっていい……。
宣伝マンたちは、金で魂を売り、金で魂を奪う……。下「」引用。
「電力会社の宣伝マンたちは、敵の抵抗力を弱めるため、まず、小型社会の役人や商業会議所を説得し、彼らに不正行為をやらせようとする。いかなる社会でも、その中にお金の臭いが流れ込むと、それは魔術的効果を発揮する。小型社会の市民は、税金の軽減という期待が持てると、催眠術にかかってしまう。軽減されたぶんは原子力発電所が代わって支払ってくれるというのだが、それは表面上のことである。しかしこうした経済的動機が抗したがたいものであり、そうした魅力的なエサが投げられると、「原子力発電所はよき隣人”という、あの古典的なお世辞をもって歓迎される。−略−」
「“専門家”グループに委ねることはできない」
−−こういうタイトルの文章もありました……。
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