磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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「戦争と平和」少年少女の記録6 いのちあるかぎり-島の病舎の子供たち-

2009年04月17日 | 読書日記など
『「戦争と平和」少年少女の記録6 いのちあるかぎり-島の病舎の子供たち-』
   秋山正美・編/日本図書センター1993年

--原本。
『望ケ丘の子供たち』長島愛生園教育部・編/山雅房1941年



大風子注射というがあったという……。下「」引用。

「「大風子」とは、アジアの熱帯地方に産する植物で、高さ二十メートルほどもある木。この木の果実からとれる油は、ハンセン病の治療に効果があるといわれ、注射薬として、この当時、使用されていた。作者も、大風子の注射をしてもらったのである。」

「慈岡寮」に住んだという……。下「」引用。

「わたしの初めてはいった家は「慈岡寮(じこうりょう)」と名づけられて、岡山の慈善婦人会より寄付になった家であった。病気の治療といっては一週に三回、大風子油(だいふうしゆ)を注射するだけであった。大風子注射のききめは大きかった。わたしは、入園した半年くらいもしたら、顔にできていた赤い斑紋は、目に見えて薄らいでいった。」

ハンセン病は遺伝病と信じられていた……。下「」引用。

「ライ菌に感染しやすいのは子供、特に三歳ぐらいまでの幼児や赤ちゃんなのですが、感染してもすぐには発病しないのがこの病気の特徴です。非常に早く発病した例では、六か月後というのもあるそうですが、普通は数年から十数年、長いものでは、二十年以上過ぎてから発病した例もあります。生まれて間もなく感染し、成人式のころに発病、というケースもあるわけです。
 ライ菌は、指先の小さな切り傷から人体に入ったり、患者の鼻みずのついたお菓子などを知らずにたべたりすることによって入り込んだりします。親がライ菌に感染していると、子へ、孫へと感染していきます。そのために、ハンセン病は遺伝するものだ、と信じられていました。-略-」

「解説」で書かれてあります。
「女医・小川正子が著した『小島の春』という本」 下「」引用。

「-略-昭和時代、特に戦時中の日本で、ハンセン病の恐ろしさや患者たちの悲劇的な身の上に深い関心が寄せられるようになったのは、一九三八年(昭和十三年)に発行された一冊の本のためでした。その本の題を『小島の春』といいます。本を書いたのは、小川正子という女医さんです。-略-」

映画にもなったようです。










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