磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ナガサキの平和

2007年01月04日 | 読書日記など
『ナガサキの平和』
   長崎総合科学大学 長崎平和文化研究所・編/
       八朔社1996年

この本はチェルノブイリの後ですが、戦争以上の被害をもたらすこともある原発については一言も書かれいません。隣の県ではプルサーマルをしようとしているのですから、当然チェルノブイリ以上の事故も考えられるのではないでしょうか?



原爆のことは書かれてあります。

珍しく「御前会議」のことも書かれてあります。下「」引用。

「 一九四五年(昭和二〇)八月九日、天皇臨席の「御前会議」で、平沼騏一郎が「原子爆弾の防禦に自信ありや」と問うたのに対して、梅津参謀総長は「空襲の為に敵に屈服することはない」と答えた(『外務省終戦史録』保科善四郎手記、一九五二年)と伝えられている。」


屈することはない……。
勇ましいことを言うのは簡単ですね……。

でも、被害者たちには、どのようにされたのでしょうか。

この方は何の責任もとられなかったのでしょうか?
いいえ、責任はとれないでしょう……。


配給ごまかしたといって、刑務所にいれられた人は原爆で死亡。遺族は死刑と語られています……。


アメリカは捕虜がいたことも知っていました。下「」引用。
「一九四五年七月三一日、トーマス・T・ハンディ将軍はワシントンの参謀本部よりテニアン基地のスパーツ将軍あての至急電報で、標的地の捕虜収容所の有無について問い合わせている。−略−」


しかし、『原爆神話』をつくるために、マスコミも共犯者となっていました。その一人に『ニューヨークタイムズ』のウィリアム・H・ローレンス記者もいました。

捕虜がいたことも知っていたのに、日本軍が巧妙にも隠していたとしている……。しかし、学校も病院もナガサキの被爆地にはあったのです。言い訳にすらなという……。

広島以外にはすべて捕虜がいたので、広島が第一候補となったそうです。



どうして、平和学のなかに原発を入れない方々がいるのか不思議です。

原発と原爆はつながってもいます……。

チェルノブイリはこれからもいろいろなことを背負っていかねばなりません……。

長崎県の隣の佐賀県ではプルサーマルをするというのに、なぜ語られないのか?

ぜひ、加えてください。





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