『焦土の記憶-沖縄・広島・長崎に映る戦後-』
福間良明・著/新曜社2011年
戦中派ではなく、それよりは若い人が書かれたようです。
当時に生きていたわけではなく、文献から推察しているようです。
ボクと同じですが、ボクはイデオロギーに属してはおりません。
人類に属しているつもりです。
--この本から離れます。
フクシマに関連した反原発デモ。
左翼イデオロギーの輩が、その勢力を伸ばすために、幟をたて同じハチマキをしてという従来の方針をかえたとか?
以前から、このようにした方がいいと書いていて、左翼イデオロギーの人たちから陰険なコメントをいただいていますが、若い世代も集まってきたとか?
いかに共産主義が嫌われているか? そのくらい感じる能力はもっておいて欲しいものですね。
この本でも、右翼イデオロギーを非難・罵倒をしますが、左翼イデオロギーも同じですね。
両者は“合わせ鏡”ですね。
もっとあきれるのが、「平和勢力(陣営)の武器は平和の武器」と大量殺戮しかできない核兵器まで左翼のは平和の武器と主張しましたね。もちろん、一部の人でしょうが……。
この本ではそのような左翼に都合の悪くなるようなことは書かれてありません。
ボクの感じですが、山田かんも、その平和の武器で、ある左翼イデオロギーの人たちと対立した感じをうけます。山田かんは「すべての核兵器に反対」すると述べたのですから……。
山田かんの永井隆・罵倒の文章を何度も何度ものせてありますが、当時の状況を把握していないと思う。そればかりではなかった山田かんであることも文献を調べれば理解できるはず……。
左翼イデオロギーは永井隆などのカトリック教徒を、罵倒します。
左翼イデオロギーには「宗教の自由」があるとは限らないからです。
ある共産主義にはなく「宗教は麻薬」という。
しかし、医療の現場では、麻薬が、かつてのソ連でも使用されていましたね。
それとも、左翼イデオロギーは使用しないのでしょうか?
風邪薬にも入ってますよ。
なのに、誰かが方針を決めたら、「もう一つの原爆ドーム」と政治色にそまった運動をします。
あれれ、長崎では、記念碑に宗教的な文字があっても、削除させた人たちの系譜が、教会の保存ですか? もちろん、教会の人たちのことは考えない、彼らの政治行動でしょうが……。
いつでも、何でも彼らが正義・無辜の人たち……。
とても子どもっぽい合理性のないことをいっていますね。
もちろん、彼らが正義のわけがなく、無辜でもありませんね。
--恥を知りなさい! と同じ人がいっていたら、ボクは思います。
どちらかしか、まともな判断のできる大人なら、できないはずだからです。
「わだつみ像爆破事件」などというテロリズム。
ジョン・レノンを愛する人たちならば、「平和は平和な手段から」というでしょうが……。
テロリズムで平和が訪れるわけがありませんね。彼らの愛したソ連は、テロリズムによって作られましたね。
そういうイデオロギーの人たちが、都合のわるいことは棚上げしている。
そして、卑怯にも、戦中の人たちの環境や感情も理解されているとはボクには思えません……。
目 次
しかし、右翼イデオロギーの人たちへの批判はうまいです。
曽野綾子と沖縄。下「」引用。
「これらの動きに対し、沖縄サイドの反発は大きかった。『鉄の暴風』(一九五○年)のなかで集団自決事件に関する取材・執筆を担当した太田良博は、一九七三年、『琉球新報』に「渡嘉敷の惨劇は果たして神話か--曽野綾子氏に反論する」を一一回にわたって連載し、「なぜ〔武器弾薬が底を尽きかけていたにもかかわらず〕戦闘必須の兵器である手榴弾が多数住民の手に渡っていたか」と曽野を批判した。
「住民虐殺」をめぐる議論もエスカレートしていった。沖縄戦下の久米島では、鹿島正兵曹長が、スパイ容疑と命令不服従で、村民一九名、兵士一名を殺害した。それから二七年後、鹿島は『サンデー毎日』(一九七二年四月二日号)の取材のなかで当時を振り返り、「ワシは悪いことをしたと考えていないから、良心の呵責もない。ワシは日本軍人として誇りを持っていますよ」と語っていた。曽野綾子も『ある神話の背景』のなかで、赤松隊の住民殺害を機密漏洩や部下の士気低下を防ぐためにやむを得ない措置だったとして、その正当性を示唆していた。
当然ながら、沖縄メディアはこれにつよく反発した。」
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占領下の日本。これも学んでいただきたいと思います。
今の日本ではなかったこと。これも歴史として学ぶことが基本。
それから、批判でしょうね。
「アトム長崎」 下「」引用。
「鐘が鳴る「アトム長崎」は、「文化日本のモデル都市」であり、戦後の「夜明け」「朝」を象徴する。こうした明るさをもって、被爆は語られていた。」
リフトンという戦争人間マシーンをつくりだす学者が、左翼イデオロギーにもいいようですね。
この本にも、ABCC→放影研。重松のこと書かれてありません。
どうしてなんでしょうかね?
それは彼らも権威主義だからでしょうか?
新しい権威にとってかわりたいからでしょうか?
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永井隆のように休みの日には、貧しい人たちのところへ、無料で訪問して診察した医師。
そのような人を罵倒しているよりも、このような御用学者を非難していてくれたら、フクシマでは多くの子どもたちが救われたかもしれません……。今でも、まだ遅くありません……。
イデオロギー論争よりも、命や健康を守ろうとして欲しいものです。
もくじ
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なぜなら、重松のあとには、ドイツでは日本のメンゲレといわれている山下俊一など、御用学者の列があるのです。長崎は平和だけに関連しているわけではありせんね……。日本のメンゲレさえ作り出したのです。被爆二世というのが彼が売りですね……。
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こんなことを書きましたが、左翼の人たちのなかにもリベラルな人たちはいます。
長岡弘芳、『原爆文献を読む会会報』から去る。下「」引用。
「長岡は政治主義が先行する議論のあり方が好ましく思っていなかった。長岡は、『原爆文献を読む会会報』第四号(一九六九年)に寄せた文章のなかでこう記している。
七○年安保、沖縄奪還、解放もいい、霞ケ関解放区の実現もいい、必要だろう。また平和運動・原水禁運動と被爆者救援運動との両輪説も、あながち間違いではなかっただろう。しかしそれらの網の目から盛れた部分、大問題ではないが、人間が人間らしくあり得べきための、人間一個のいのちのを何ものにもかえがたく大切にしてゆくといった、だから網の目から洩れた部分を僅かながら埋めてゆく、そうした方向が、貧弱なこの私に出来る仕事であろうかと思うのだ。
やみくもに政治主義や運動に走るのではなく、「月に一度集まって文献を読む。そのことを通じ、夏だけのお祭りだと言われていた原爆の事実が、各人のなかに相応に積み重なる。それだけでもいいじゃないか」というのが、この会を発足させた長岡の意図であった。一九六九年に行われた合宿討論会においても 、長岡は、「読むだけじゃむろんしょうがいないが、さりとてゲバ棒もって先頭に立つのがこの会の第一義だとは毛頭思わない。もう一度ノラクライズムを強調しておこうと思う」と発言していた。
だが、若い世代は長岡の姿勢に苛立ちを募らせていた。この長岡の発言に対して、反戦運動や学生運動に近い者からは、「そういうけど今度の佐藤訪米は、本土の沖縄化を狙っている。そうなら文献の会としては精一杯のアピールを試みることが必要だろう」「会の現状は教養主義以外の何ものでもない」という反論が出されていた。
そうしたなか、長岡はこの会のなかで孤立感を抱くようになった。そのときの心境を、長岡はのちにこう綴っている。
次第に私の思惑をこえて動いてゆく若い人たちを、例えば読み続けることも一つの思想運動ではないのかと、強引に説得することは、とても私には出来なかった。私は今でもそうであるように、非力であり無能であり小心であった。念のために書き添えるが、《読む会》の若い人たちが歩み出そうとした方向も一つのあり方であろう。そうだとしても、ある程度自分の力のほども判っている私としては、彼らにすっかり、ついてゆけなかったのである。
こうした思いもあって、長岡は「原爆文献を読む会」を組織して三年ほどのちに、そこを離れることとなった。」
この長岡さんがいなかったら、こんなに多くの原爆の文献を手にすることは、ボクには不可能だったでしょう。
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しかし、長岡は去らねばならず、
同じ左翼からの罵倒……。そして自殺……。
まったくソ連とかわらない……。腐った輩たち……。
「核兵器を平和の武器という輩は、平和の邪魔! 人類の敵!」
……右翼であれ、左翼であれ! どこに属していようが、属さないでいようが……。
「平和は平和な手段でしか作れない!!!」
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そして、読書会はイデオロギー集団の粗暴な活動よりも大きな力を得る。
それは、杉並区の主婦たちの読書の会から「原水爆禁止運動」が生れた……。
杉並の女性史 --明日への水脈--
革新的な左翼イデオロギー、平和でない手段では平和どころか、殺人まで犯した学生運動とは大きなちがいだろう……。
長岡の考えが正しかったことを歴史が証明しているのではないか?
その運動の軒先をかりて、自らがはじめたように伝えたのが、また左翼イデオロギーの人たちで、平和運動の邪魔をしたことも歴史として残さねばならないことだろう。
しかし、イデオロギーの人たちは、彼らに都合の悪いことは伝えないだろう……。
反省なき人たちが、平和の邪魔をしようと。
今の権威ととってかわろうと、目論んでいる……。
そのようにしかボクには思えない……。
今も暴力的な言動をして、多くの人たちをデモから遠ざけようとするイデオロギーの人たちがいることも忘れてほしくないものです。
彼らがなしたこと……。
民主主義の素晴らしさを知らない者たちにだまされないでください。
偽せの民主主義にもだまれないでください。
もくじ
福間良明・著/新曜社2011年
戦中派ではなく、それよりは若い人が書かれたようです。
当時に生きていたわけではなく、文献から推察しているようです。
ボクと同じですが、ボクはイデオロギーに属してはおりません。
人類に属しているつもりです。
--この本から離れます。
フクシマに関連した反原発デモ。
左翼イデオロギーの輩が、その勢力を伸ばすために、幟をたて同じハチマキをしてという従来の方針をかえたとか?
以前から、このようにした方がいいと書いていて、左翼イデオロギーの人たちから陰険なコメントをいただいていますが、若い世代も集まってきたとか?
いかに共産主義が嫌われているか? そのくらい感じる能力はもっておいて欲しいものですね。
この本でも、右翼イデオロギーを非難・罵倒をしますが、左翼イデオロギーも同じですね。
両者は“合わせ鏡”ですね。
もっとあきれるのが、「平和勢力(陣営)の武器は平和の武器」と大量殺戮しかできない核兵器まで左翼のは平和の武器と主張しましたね。もちろん、一部の人でしょうが……。
この本ではそのような左翼に都合の悪くなるようなことは書かれてありません。
ボクの感じですが、山田かんも、その平和の武器で、ある左翼イデオロギーの人たちと対立した感じをうけます。山田かんは「すべての核兵器に反対」すると述べたのですから……。
山田かんの永井隆・罵倒の文章を何度も何度ものせてありますが、当時の状況を把握していないと思う。そればかりではなかった山田かんであることも文献を調べれば理解できるはず……。
左翼イデオロギーは永井隆などのカトリック教徒を、罵倒します。
左翼イデオロギーには「宗教の自由」があるとは限らないからです。
ある共産主義にはなく「宗教は麻薬」という。
しかし、医療の現場では、麻薬が、かつてのソ連でも使用されていましたね。
それとも、左翼イデオロギーは使用しないのでしょうか?
風邪薬にも入ってますよ。
なのに、誰かが方針を決めたら、「もう一つの原爆ドーム」と政治色にそまった運動をします。
あれれ、長崎では、記念碑に宗教的な文字があっても、削除させた人たちの系譜が、教会の保存ですか? もちろん、教会の人たちのことは考えない、彼らの政治行動でしょうが……。
いつでも、何でも彼らが正義・無辜の人たち……。
とても子どもっぽい合理性のないことをいっていますね。
もちろん、彼らが正義のわけがなく、無辜でもありませんね。
--恥を知りなさい! と同じ人がいっていたら、ボクは思います。
どちらかしか、まともな判断のできる大人なら、できないはずだからです。
「わだつみ像爆破事件」などというテロリズム。
ジョン・レノンを愛する人たちならば、「平和は平和な手段から」というでしょうが……。
テロリズムで平和が訪れるわけがありませんね。彼らの愛したソ連は、テロリズムによって作られましたね。
そういうイデオロギーの人たちが、都合のわるいことは棚上げしている。
そして、卑怯にも、戦中の人たちの環境や感情も理解されているとはボクには思えません……。
目 次
しかし、右翼イデオロギーの人たちへの批判はうまいです。
曽野綾子と沖縄。下「」引用。
「これらの動きに対し、沖縄サイドの反発は大きかった。『鉄の暴風』(一九五○年)のなかで集団自決事件に関する取材・執筆を担当した太田良博は、一九七三年、『琉球新報』に「渡嘉敷の惨劇は果たして神話か--曽野綾子氏に反論する」を一一回にわたって連載し、「なぜ〔武器弾薬が底を尽きかけていたにもかかわらず〕戦闘必須の兵器である手榴弾が多数住民の手に渡っていたか」と曽野を批判した。
「住民虐殺」をめぐる議論もエスカレートしていった。沖縄戦下の久米島では、鹿島正兵曹長が、スパイ容疑と命令不服従で、村民一九名、兵士一名を殺害した。それから二七年後、鹿島は『サンデー毎日』(一九七二年四月二日号)の取材のなかで当時を振り返り、「ワシは悪いことをしたと考えていないから、良心の呵責もない。ワシは日本軍人として誇りを持っていますよ」と語っていた。曽野綾子も『ある神話の背景』のなかで、赤松隊の住民殺害を機密漏洩や部下の士気低下を防ぐためにやむを得ない措置だったとして、その正当性を示唆していた。
当然ながら、沖縄メディアはこれにつよく反発した。」
index
占領下の日本。これも学んでいただきたいと思います。
今の日本ではなかったこと。これも歴史として学ぶことが基本。
それから、批判でしょうね。
「アトム長崎」 下「」引用。
「鐘が鳴る「アトム長崎」は、「文化日本のモデル都市」であり、戦後の「夜明け」「朝」を象徴する。こうした明るさをもって、被爆は語られていた。」
リフトンという戦争人間マシーンをつくりだす学者が、左翼イデオロギーにもいいようですね。
この本にも、ABCC→放影研。重松のこと書かれてありません。
どうしてなんでしょうかね?
それは彼らも権威主義だからでしょうか?
新しい権威にとってかわりたいからでしょうか?
index
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永井隆のように休みの日には、貧しい人たちのところへ、無料で訪問して診察した医師。
そのような人を罵倒しているよりも、このような御用学者を非難していてくれたら、フクシマでは多くの子どもたちが救われたかもしれません……。今でも、まだ遅くありません……。
イデオロギー論争よりも、命や健康を守ろうとして欲しいものです。
もくじ
index
なぜなら、重松のあとには、ドイツでは日本のメンゲレといわれている山下俊一など、御用学者の列があるのです。長崎は平和だけに関連しているわけではありせんね……。日本のメンゲレさえ作り出したのです。被爆二世というのが彼が売りですね……。
index
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こんなことを書きましたが、左翼の人たちのなかにもリベラルな人たちはいます。
長岡弘芳、『原爆文献を読む会会報』から去る。下「」引用。
「長岡は政治主義が先行する議論のあり方が好ましく思っていなかった。長岡は、『原爆文献を読む会会報』第四号(一九六九年)に寄せた文章のなかでこう記している。
七○年安保、沖縄奪還、解放もいい、霞ケ関解放区の実現もいい、必要だろう。また平和運動・原水禁運動と被爆者救援運動との両輪説も、あながち間違いではなかっただろう。しかしそれらの網の目から盛れた部分、大問題ではないが、人間が人間らしくあり得べきための、人間一個のいのちのを何ものにもかえがたく大切にしてゆくといった、だから網の目から洩れた部分を僅かながら埋めてゆく、そうした方向が、貧弱なこの私に出来る仕事であろうかと思うのだ。
やみくもに政治主義や運動に走るのではなく、「月に一度集まって文献を読む。そのことを通じ、夏だけのお祭りだと言われていた原爆の事実が、各人のなかに相応に積み重なる。それだけでもいいじゃないか」というのが、この会を発足させた長岡の意図であった。一九六九年に行われた合宿討論会においても 、長岡は、「読むだけじゃむろんしょうがいないが、さりとてゲバ棒もって先頭に立つのがこの会の第一義だとは毛頭思わない。もう一度ノラクライズムを強調しておこうと思う」と発言していた。
だが、若い世代は長岡の姿勢に苛立ちを募らせていた。この長岡の発言に対して、反戦運動や学生運動に近い者からは、「そういうけど今度の佐藤訪米は、本土の沖縄化を狙っている。そうなら文献の会としては精一杯のアピールを試みることが必要だろう」「会の現状は教養主義以外の何ものでもない」という反論が出されていた。
そうしたなか、長岡はこの会のなかで孤立感を抱くようになった。そのときの心境を、長岡はのちにこう綴っている。
次第に私の思惑をこえて動いてゆく若い人たちを、例えば読み続けることも一つの思想運動ではないのかと、強引に説得することは、とても私には出来なかった。私は今でもそうであるように、非力であり無能であり小心であった。念のために書き添えるが、《読む会》の若い人たちが歩み出そうとした方向も一つのあり方であろう。そうだとしても、ある程度自分の力のほども判っている私としては、彼らにすっかり、ついてゆけなかったのである。
こうした思いもあって、長岡は「原爆文献を読む会」を組織して三年ほどのちに、そこを離れることとなった。」
この長岡さんがいなかったら、こんなに多くの原爆の文献を手にすることは、ボクには不可能だったでしょう。
index
しかし、長岡は去らねばならず、
同じ左翼からの罵倒……。そして自殺……。
まったくソ連とかわらない……。腐った輩たち……。
「核兵器を平和の武器という輩は、平和の邪魔! 人類の敵!」
……右翼であれ、左翼であれ! どこに属していようが、属さないでいようが……。
「平和は平和な手段でしか作れない!!!」
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そして、読書会はイデオロギー集団の粗暴な活動よりも大きな力を得る。
それは、杉並区の主婦たちの読書の会から「原水爆禁止運動」が生れた……。
杉並の女性史 --明日への水脈--
革新的な左翼イデオロギー、平和でない手段では平和どころか、殺人まで犯した学生運動とは大きなちがいだろう……。
長岡の考えが正しかったことを歴史が証明しているのではないか?
その運動の軒先をかりて、自らがはじめたように伝えたのが、また左翼イデオロギーの人たちで、平和運動の邪魔をしたことも歴史として残さねばならないことだろう。
しかし、イデオロギーの人たちは、彼らに都合の悪いことは伝えないだろう……。
反省なき人たちが、平和の邪魔をしようと。
今の権威ととってかわろうと、目論んでいる……。
そのようにしかボクには思えない……。
今も暴力的な言動をして、多くの人たちをデモから遠ざけようとするイデオロギーの人たちがいることも忘れてほしくないものです。
彼らがなしたこと……。
民主主義の素晴らしさを知らない者たちにだまされないでください。
偽せの民主主義にもだまれないでください。
もくじ