磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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岩波新書286 原水爆実験

2008年04月26日 | 読書日記など
『岩波新書286 原水爆実験』
   武谷三男・著/岩波書店1957年、1974年13刷

水爆にもいろいろな種類があるようで、液体水素、リチウム、コバルト、ウラン……。原爆実験に反対してきた日本の物理学者たち……。



アメリカは核を独占し、恫喝的な外交をしようとした。それを『原爆外交』という……。下「」引用。

「一九四六年暮に国連に米国が、原子力管理の「バルーク案」を出したのと呼応して、四七年にはソ連も原子力管理の「グロムイコ案」を出し、国連で論争されることになったのです。一貫して米国が示した態度は、いわゆる原爆による恫喝外交という態度でした。これに対してソ連側は、原爆をもっていないという不利な条件で論争が行われたのです。」

独占状態ではなくなったが、『原爆外交』は今も恫喝だと思う。

こんなことをする国家が、民主主義国家だとはボクは思わない。

アメリカもこの部分では、もちろん恫喝外交をつづけたファシズム国家だと思う。

上辺は理想的に装った恫喝外交である「バルク案」を仁科芳雄は支持。
著者は、占領下であるが、批判!

水爆もソ連は4年以内につくるだろうと予測するローレンス以外の科学者たち。下「」引用。

「つまりローレンスは、ソ連は当分水爆はつくり得ないということをいったのですが、科学者たちは、四年よりももっと接近した時間で水爆をつくるだろうといったのでした。」

英国独力で原爆開発。下「」引用。

「米国と共同で原爆計画を進めてきました。しかし、原爆が製造される段階にくると、英国の学者ちは全部シメ出され、米国が原爆を独占するということになったのです。そこで戦後英国の政府は、独力で原子兵器をつくることを推進したのです。英国の原爆ができたのは一九五二年でした。」

--1957年、英国水爆完成、クリスマス島海域で実験。
日本の物理学者500名近く、英国の物理学者に2月22日付けで中止要望。
日本の原水爆禁止運動協議会は「座り込み船団」を派遣。
岸首相も英国に特使派遣し、実験禁止を訴える。
松下立教大学総長も派遣。
--アイゼンハウアー大統領と英国のマクミラン首相「水爆は必要である、その汚染は問題ではない」

きれいな水爆など存在しないという。下「」引用。

「アイゼンハウアーがいうような、「絶対的にきれいな水爆」などは存在しないのです。」

降灰予報はほとんどはずれるという……。

1953年、ソ連がリチウム水爆の爆発実験。
--米国の水爆とちがって、実用可能。
米国は「湿性の水爆」、水素の液体を使用していた。

1954年、米国、天然ウラニウム水爆実験。
第五福竜丸被曝……。










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