磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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【小説】横井小楠

2009年12月07日 | 読書日記など
『横井小楠』
   山下卓・著/熊本日日新聞情報文化センター(制作)1998年

この本は歴史小説です。



あげくの果て……。下「」引用。

「そこでおとなしく藩校の学問に励んでおれば、将来教授ということなったのであろうか、平四郎はどうも時習館の学問の方向が間違っているのではないかと考えたのである。
 取り上げている学問は朱子学に違いないのだが、荻生徂徠派であったり、山崎闇斎派であったり、振り子のように揺れながら、あげくの果てに字義章句の細かい解釈にうるさい学風になってしまった。」

今も、そんな意味のない学者がいっぱいですね。
というよりは、現実では、意味がないというより、利権(ポスト)を守る“邪悪”な学者かもしれませんね……。

学校党から敵視された。下「」引用。

「地方の郷士や豪農の子弟たちは、だれはばかることなく小楠塾に集まって来たが、城下に住んでいる肥後藩士の子弟は、昼間堂々と小楠塾を訪ね難い状況になった。このころの実学党は藩内の大多数を占める学校党からは敵視され、藩政府からは官学に弓を引く異端者とみなされ、全く四面楚歌の状態であったのである。」

--「四時軒」。下「」引用。

「四季折々に変化する景色をめでて、小楠はこの家を「四時軒(しじけん)」と名づけた。」

長州藩では、高杉晋作だけ……。下「」引用。

「小楠をもっとも理解していた勝海舟が後に、
「横井小楠は分かりにくい。特に長州人には到底分かるまい」
 と言ったが、高杉晋作だけは例外で、その自由奔放な思考の軌跡は、どこかで小楠と相接していたのかもしれない。-略-高杉晋作も後に武士団のつまらなさにあきれて、「奇兵隊」という武士以外の兵士を組織して軍隊をつくった。これが大村益次郎に引き継がれて日本陸軍を編成することになる。
 晋作は福井での数日間、「兵法問答書」を読みながら、小楠の考えの基礎になっているものを読み取ろうとしていたのである。-略-」

アメリカ帰りの勝海舟からアメリカの情報を得る小楠。下「」引用。

「小楠にとっては意外だったのは、アメリカが思っていたのとは大違いだったことである。ペリーの現われ方からすれば無道の国に違いないと思っていたのに、案外民のための理想的な政治が行われていることを、海舟の口からじかに聞いて、自分が開国論を主張してきたことが間違っていなかったと思うのであった。」

ロシアが対馬に居座ったが、イギリスの東洋艦隊司令長官が軍艦二隻を率いて対馬に赴き、強硬に抗議をし、ロシアは退去したという。

龍馬暗殺日、大久保上京。下「」引用。

「そして不思議なことに、竜馬が憤死した十一月十五日、ちょうどその日に大久保一蔵が薩摩から上京して来た。-略-」

もくじ

龍馬のおかげで登用されたという。下「」引用。

「これは暗殺された竜馬が死ぬ直前に、新政府の参与として肥後から長岡良之助と横井小楠を採用するように提示していたものを、岩倉具視が実行に移したのであったが、徳川幕府との対立が頂点に達して一触即発の状態の中で、岩倉は冷静に着実に事を進めていた。」

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