磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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朝日選書687 飢餓と戦争の戦国を行く

2009年03月17日 | 読書日記など
『朝日選書687 飢餓と戦争の戦国を行く』
   藤木久志・著/朝日新聞社2001年

「日本の戦国時代は飢餓の時でもあった。餓死するよりは奴隷になった方がまし、いや他人を奴隷に売り飛ばした方がさらにまし。戦国の世の実相を面白く分かりやすく説く。」



「はしがき」 下「」引用。

「飢餓と戦争
 七度の餓死に遭うとも、一度の戦(たたか)いに遇(あ)うな。
 これは、日本で飢饉と戦争の深刻さを言い伝えた、衝撃的なことわざです。(『岩波ことわざ辞典』)。あいつぐ餓死を逃れるのも大変なことだが、その餓死に七度あうより、一度、戦争にあう方がもっと悲惨だ、というものです。また「三度の飢餓に遇うとも、一度の戦(いくさ)に遇うな」ともいわれていた、といいます。-略-」

「餓死よりも奴隷に」 下「」引用。

「あの寛喜の大飢饉のさなか、十三歳と八歳の二人の幼い男の子をもつ父親が、「すでに餓死に及ばんと欲す、父子共に餓死の条、はなはだもってその詮なし」といい、このままでは父子三人が共倒れになってしまう。それよりはというので、なんとかともに「存命」できるように願って、飢饉の年の春に父親が男の子二人を他人に売り渡したのでした。ところが飢饉が収まると、その息子たちが二人とも逃げ出してしまったため、父親が買い主=奴隷主から訴えられているのです。-略-」

「なぜ生産地が飢えるのか」 下「」引用。

「では、なぜ生産地が消費地より先に飢えたのか。飢饉難民たちは、なぜ周縁の生産地の村々から、大消費地の首都へ向かったのか。これは大きな問題で、じつに大胆な仮説がだされています。今から五○年ほど前、敗戦前後の激しい食料難のさなか、食を求める人々は、いっせいに都市=消費地から農村=生産地に向かいました。この都市から村々への「買い出し」の奔流という、私たちのかつての体験と、中世のそれとは、まるで動きが逆だからです。-略-政権都市であり荘園領主の拠点都市でもある首都に早くから従属し、京に食糧や物産を供給する基地(プランテーション)として、地域ごとにきまった作付け(モノカルチャー)が強制され、それを上納し販売することで、ようやく村の暮らしが保証されるようになっていた。
 だから、いったん凶作となると、この偏った受給システムをもつ生産地が飢えに襲われ、食を求めて生き延びるために、権力があらゆる富を集中させていた、-略-」

平和と飲食で……。下「」引用。

「平和と飽食で「死を忘れた」といわれる、幸せな現代の私たちにとて、こんなすさまじいサバイバルの物語は、あまにも唐突で、偏見にすぎるのでしょうか。しかし、現代でも海の彼方からひしひしと伝わる戦争・難民・飢餓のきびしさを感じるままに、「死を想う」のが日常だった。-略-」

しかし、添加物などはいったもので……。

そして、これから地球温暖化などで、食糧不足も考えられるという……。

エネルギー危機より、水不足の方が深刻であるという……。

--大河ドラマもウソくさいだろうなあー。

平和憲法下の大河ドラマとは思えない、戦争好きですね……。








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