磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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青年茂吉 「赤光」「あらたま」時代

2007年01月24日 | 読書日記など
『青年茂吉 「赤光」「あらたま」時代』
  北杜夫・著/岩波書店1991年、1993年3刷

長崎医学専門学校の教授だった斎藤茂吉。その茂吉の息子さんである北杜夫ことドクトルマンボウがお父さんについて書かれています。



茂吉は二面性をもっていたという。下「」引用。

「茂吉は憤怒するときは悪鬼ともなるが、その反面、心のほそい、或いは神経の弱々しい人間であった。この二面性は父の大きな特徴だ。」


○○会とか大きくされる方はこのような特徴をもっておられる方が多いような気がします。

煙草のことが書かれてあります。下「」引用。

「「赤光時代は、敷島二箱を喫ってようやく一首の歌を作った。あんなに煙草を喫って作った歌はみんな駄目だ」
 これは「赤光」に対するのちの自己評価であるとともに、長崎時代に血を吐いて煙草をやめた、茂吉の禁煙論も含まれる言葉であろう。」



たしかに、煙草は体に悪いと思います。
でも、歌とどう関係があるのか、わかりません。

また、精神科医・斎藤茂吉は、ドイツ人と英国人との混血R・Mという女性が入院。茂吉は診察の時に殴られたという。

歌というもは理屈はでなく調べと教えられてもいます。

長崎医学専門学校の教授時代、よく遊廓で遊んだようで、学生にからかわれてもおられたようです。

また、茂吉は軍国主義者だったと書かれています。下「」引用。

「いくら彼が戦争謳歌の歌を作り、軍国主義者であったとしても、そもそも茂吉が、日本の朝鮮侵略について客観的な事実を知っていたとはどうしても思えない。或る物については勉強家ではあったが、思想的とか論理的とかいうものについては、極端に無知であった。」


教授になられたのは養父・紀一の願いで、巣鴨病院長の呉秀三に推薦してもらったという。






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