磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ポプラ社文庫A20 あしたの風

2008年12月10日 | 読書日記など
『ポプラ社文庫A20 あしたの風』
   壷井栄・著/ポプラ社1978年

二十四の瞳』で有名な著者ですね。
原爆関連の作品は「石うすの歌」です。



■もくじ■
まつりご  4
港の少女  19
妙貞(みょうてい)さんの萩の花  44
柿の木のある家  62
石うすの歌  103
あたたかい右の手  118
坂道  137
あしたの風  171
 解説  182
 年譜  194
   カバー絵 さし絵 岩淵慶造(いわぶちけいぞう)

差別として語られている便利屋。下「」引用。

「チリンチリンというのは、腰に鈴をつけ、車をひいて家々の大きな荷物をはこんだり、買い物の用たしをしたりする便利屋のことでした。」

今、高齢化社会を迎え、こういう人がいたら、ありがたいというご老人もおられるかもしれませんね……。

荷物も運ばないと、生活できないものです……。

そして、その母のことを語る……。下「」引用。

「わたしの母の仕事は軽便屋(けいべんや)です。ときには重いものをつんで、母はつかれきって家へ帰りますが、この萩を見ると心がやすまり、一日のつかれをわすれるともうします。もうすぐ六十歳に手のとどく母は、じょうぶではたらいているとはいえ、はげしい仕事のために、村のおない年の人たちにくらべますと、すっかり年をよせ、しらがもたくさんです。」

--「石うすの歌」
広島からやってくる瑞枝。下「」引用。

「お盆がくるのといっしょに、千枝子にとってもうひとつうれしいことがありました。それは広島にいるいとこの瑞枝(みずえ)がくることです。-略-」

そして、瑞枝の母は瑞枝を置いて、広島へ帰る。それは、あの日……。下「」引用。

「おばさんが広島のおうちへ帰りつかれたのは、八月六日の早朝のはずでした。おばさんはきっとおうちへ帰りつくなり、おうちのかたたちのために、朝のお食事のしたくをなさったでしょう。-略-」

そして、その時の瑞枝。下「」引用。

「瑞枝がうちの人たちわかれて、はじめていなかでむかえた八月六日の朝はこんにたのしい朝だったのです。そのとき、広島のうちが原爆でけしとんでしまって、瑞枝のおとうさんもおかあさんも、どうなったかわからなくなってしまったなど、どうして考えられたでしょう。-略-」

「くず屋」などと書かれてありますが、リサイクルは今も昔も大切な仕事ですね。

「解説」でこう書かれてある……。下「」引用。

「-略-栄が小学校にはいるすこし前に、日本はロシアと戦いをはじめました。村から何人もの若者が戦地へでかけ、そのなかには、白木のはこにはいった骨になって帰ってくる人もいました。おさない栄の心には、このころから戦争のむごたらしさがやきついてはなれないようになったのでした。
 戦争が終わったあと、うちつづく不景気で、父藤吉の出入りさきのしょうゆ工場がつぶれ、仕事をひきうけていた岩井の家も、たる作りをつづけていくことができなくなりました。大勢の職人たちもひまをとり、やがて一家はくらしにこまるようになりました。栄が十二のときです。-略-」

やはり、戦争は経済でも、まともなものではなく、麻薬ですね……。

麻薬に溺れたブッシュ米大統領……。


石うすの歌を分析する

占領下の広島-反核・被爆者運動草創期ものがたり-




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