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医学者たちの組織犯罪-関東軍第七三一部隊-

2009年09月09日 | 読書日記など
『医学者たちの組織犯罪-関東軍第七三一部隊-』
   常石敬一・著/朝日新聞社1994年

図書館の説明文。下「」引用。

「発見された極秘資料「軍医学校防疫研究報告」が語る細菌戦・石井部隊の医学犯罪。軍医学校防疫研究室が果たした役割、生物兵器部隊の実践、石井部隊の残虐さ、全容を解明する衝撃のドキュメント。」



正規の重要な部隊だったという。下「」引用。

「旧日本軍の資料「陸満密大日記」を、本書に入れることができたことである。この文書は日本の公文書館や防衛庁の戦史資料室が保管しているものである。これによって石井がつくり上げた組織は陸軍の日陰者ではなく、正規の重要な一部分となっていたことが明確となった。-略-」

陸軍軍医学校……。下「」引用。

「東京・新宿の国立病院医療センターの脇を若松町から箱根通り方向へ進むと、右手の公務員住宅と全国障害者福祉センターの間の路地の入り口左側に、奇妙なカタチをした小さな火がひっそりと立っている。形は少しいびつな三角柱で、高さは約七○センチである。一九八九年夏まで前面には太い文字で「医校会」と刻まれていた。現在はペンキで「駐車禁止」と書かれている。-略-かつてここは化学兵器研究室・軍陣衛生学教室が陣取っていたが、現在は厚生省の栄養研究所となっている。ここも、まもなく取り壊されることになっている。」

昆虫学者・篠田統。下「」引用。

「石井機関全体に集められた研究者の顔ぶれは多岐にわたっていた。たとえば北京では京大から部隊に参加した昆虫学者篠田統(おさむ)が、五○人ほどの部下を使ってハエやノミの研究を行っていた。篠田は京大理学部を卒業し母校の講師などを務めた後、北支那派遣軍技師として北京に渡った。戦後は食物史の研究に転向し、一九六五年まで大阪学芸大学(現大阪教育大学)の教授であった。」

関根(旧姓安川)隆、戦後は日本ペニシリン協会の事務局長を長く務めた。

風船爆弾研究。下「」引用。

「風船爆弾に関連して増田は「パイロットとして、高高度で細菌が凍結するかどうかの実験を行った」ことを明らかにしている。」

風船爆弾とウイルス。下「」引用。

「しかし、風船爆弾に病原体を積むことは可能だった。登戸研究所の第七研究班が、牛に死をもたらす流行病である牛痘のウイルスを風船爆弾に積むことを研究していて、可能という結論を出していた。この研究は一九四三年四月に始まっていた。」

風船爆弾と凍結乾燥。下「」引用。

「風船爆弾に病原体を積むには凍結乾燥すればよいのである。これは人間がかかる病気の病原体でも同じことである。牛痘についてのこの情報は石井たちに伝わっていたいたはずである。それは凍結乾燥の専門家である内藤を通じて伝わったと思われる。-略-」

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免責--亀井貫一郎。下「」引用。

「このように考えると、鎌倉会談は石井自身が仕組んだものと考えると自然である。そこでは、石井がGHQ/SCAPの対敵諜報部に捕らえられた後、石井と米軍の間を取り持ち、戦犯免責についての取引を、できるだけ日本側にとってダメージの少ないやり方で成立させたのではないかと考えられる。-略-」

「ペストノミ」の開発。下「」引用。

「部隊で生産されたノミはその体内にペスト菌を入れ「ペストノミ」という兵器として使用されていた。」

石井部隊関係者リストがあった……。
(例)林一郎 京大助手→陸軍技師→京大講師→長崎医大教授。
戦後、東大、京大、信州大、慶応大学など教授など、エリートコースをまっしぐらである。

「病理標本」を持ち帰った石川太刀雄丸

--全文SCANする。


731部隊関係者のその後および厚労省との関係









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