磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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もう一つのヒロシマ

2006年08月21日 | 読書日記など
『もう一つのヒロシマ』
     中国新聞社・編/中国新聞社1985年

新聞記者だった司馬遼太郎、
中国新聞社のいい意味でサムライのような記者たちを
主人公にした作品を書いてもらいたかった……。



新聞社の被爆体験が書かれたものといっていいと思います。

新聞社もできごとをただ伝えるマシーンではなく、人間ですね。

血のかよった温かい記事がかけるとしたら、それは人間だからですね。

中国新聞社にこんなすごい人たちがいたんだと驚きました。

今の日本とは感じがだいぶ違うような気もしました。

当時は輪転機まで疎開させてあったようです。

原爆にパラシュートはつけられていないということが明確に書かれてあります。下「」引用。

「広島への原爆投下を目撃した人はかなり多い。「パラシュート」と「光」と「キノコ雲」と「轟音」の連想から、原爆はパラシュートをつけて投下された、と長く信じられていたが、パラシュートは爆発の威力を測定する測定器につけられたものだ。」

ラジオ・ゾンデにパラシュートがつけられたという。
他のページでもラジオ・ゾンデのことが書かれてありました。

松原美人カメラマンのことが、わりと詳しく書かれてありました。

やはりカメラマンといえども、シャッターを押せなかった人もおられるようです。下「」引用。

「同じプロのカメラマンが“写せなかった”被写体を、松重カメラマンは三枚も撮影している。この事実は変わらない。あの混乱と極限状況の中で、松重カメラマンは記者としての仕事を見事にやったのである。誇ってよいはずだ。」


一挙に社員113人失われたそうです。

軍の統制乱れたことも書かれてありました。

「一県一紙」と戦時中の新聞社の体制が書かれてありました。今もそれがほとんどの地方で続いてるわけですね。


この本とは関係ありませんが、『京都新聞』は1942年に、『京都日日新聞』と『京都日出新聞』が合併してできています。

今もその制度がつづいている感じですね。


自警団があったことも書かれてありました。

米兵の犯罪を書いて同盟通信社が解散されたり、中国新聞社では更迭されたと書かれてありました。




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