『高校生が追う戦争の真相
-地域の戦争を掘りおこす信州の高校生平和ゼミナール-』
宮下与兵衛・編/内堀守、嶋崎稔、
平出千文・著/教育史料出版会1991年
高校生というより、教師がすすめたという感じがする……。
最初のほうでこう書かれてあります。下「」引用。
「この報告書は、長野の平和ゼミナール運動にとりくむ高校生と教師が、日本の過去の「拡張、侵略および支配を目的」とした戦争を、あくまで《地域をふまえ》、埋もれていた史実を掘りおこし、それが「許されるべきでないこと」を生き生きと“わが生き方”としてつかみとっていく、その学習-調査-表現(参加)の活動の成果をもるものです。」
地域のことを大切にしているところがいいと思う。下「」引用。
「長野県伊那谷は、全国的にも知られた青年団や教師による反戦抵抗の運動がくり広げられた地域であるとともに、全国で最多の満州開拓移民や青少年義勇軍を送り出し、そのために多くの中国残留日本人孤児を生んだ地域であった。また、本のなかでしか知らなかった『悪魔の飽食』の満州七三一部隊や、「三光」政策という侵略の実態などについて、直接携わった元隊員や関係者から話を聞くことができた。」
■目次・主なものだけ■
I章 家族・地域から戦争を聞く 見る 掘りおこす 11
II章 私たちの学校で風船爆弾をつくっていた 59
III章 証言・七三一部隊で何か゛行なわれていたか 99
IV章 棄てられた「満州開拓移民」 125
V章 朝鮮人による地下飛行機工場づくりを追う 161
VI章 伊那谷での米軍機超低空飛行訓練と湾岸戦争 191
日本の政府は平和憲法下であるが……。下「」引用。
「けれど、実際のところ今の日本は本当に平和な国ではないと思う。国会の予算を見ても軍事費が多くなる一方、その穴うめに老人の医療費や身体障害者の人達のための福祉の予算は減られている。日本は戦争をしない国なのに、どうして軍備を強めなくてはならないのか、どうして自衛隊があるのだろうか。アメリカとの関係もあるだろう。しかし、国民の幸福を妨げてまでも軍備を強める必要はないのではないか。」
憲法を日本政府は守っていません。
現役の総理も核兵器保有論者であり、憲法違反を論じているとボクは思う……。
index
事件をデッチあげる……。下「」引用。
「特務警察は、事件をあげなくては成績が上がらず、工作費としての予算獲得にも影響があり、派手な宴会もできなくなってしまう。だから事件をつくりあげる必要があり、チチハルで三○歳くらいの一朝鮮人を『ソ同盟在満諜報工作員』として検挙したのです。-略-」
そして、拷問、殺人……。
被爆者からの証言も得る……。下「」引用。
「長野県では、修学旅行を実施している高校の八割くらいが広島を訪れて平和学習を行なっている。しかし生徒たちは、原爆被爆者が全国で原爆症と闘いながら生きていること、自分たちの住む地域でともに生活していることは知らない。」
目 次
風船爆弾の指導者は和尚だったという。下「」引用。
「指導者であったという元善光寺の本多賢胤を訪ねた。-略-
「昭和一九(一九四四)年に、当時の飯田高等女学院のなかに伊那工業という会社が置かれて、そこの指導員ということになった。軍の監督官が来て、『これは特別の兵器だ。秘密兵器の元になる物で、どういうところへも知られないように秘密にやってもらいたい』という話をした。-略-」
もくじ
風船爆弾の歴史……。下「」引用。
「この気球を戦争に利用したのがナポレオンで、敵状偵察に使った。その後の欧米の戦争で気球が利用されてきたが、一八四九年のイタリア独立戦争の折りに、オーストリアから爆弾をつんだ無人の熱気球でベニスを攻撃したという記録があり、風船爆弾の初めであるといわれている。
日本では、日露戦争のときから偵察用に気球を使っていたという。この気球に爆弾をつけて敵国に飛ばし爆撃しようというのが「風船爆弾」であった。」
『長野県史』では、記載がないという。下「」引用。
「県内での風船爆弾の球皮作りは、三カ所であったということになる。残念なことに、最近刊行された『長野県史』などにも飯田高女の風船爆弾学校工場の記載がない。」
ラジオゾンデが風船爆弾につけられたという。下「」引用。
「一九四四(昭和一九)年秋には、風船爆弾用のラジオゾンデの比較実験を上諏訪で行なっている。このラジオゾンデを開発した高野泰秋技術少佐を含め、草場季喜少将を科長とする登戸研究所第一科は長野県北安曇地方に疎開した。-略-」
index
元七三一部隊の隊員は語る……。下「」引用。
「胡桃沢氏が生身の人間の首を切り落とした数は多数にのぼる。女性の場合は動揺して泣き叫ぶため、一挙にやってしまうのだという。このようにして殺されるのは「マルタ(丸太)」とは系統が違う。マルタは特務機関がそれとなく連れてくるもので、捕虜として連れてきたというものはなかった。ものかげに隠れて日本人を狙撃するような中国人を捕まえて、大勢の前で首を切るのである。」
使用せずと、この人は語る……。下「」引用。
「結局、細菌兵器を造ろうとのもくろみはあったのだが、ついにはそのようなものは使用せずに終戦になった」と氏は話す。」
それ以外のことも他では語られている……。
帝銀事件のとき。下「」引用。
「軍が極秘に研究し製造した薬品だとし、七三一部隊の元隊員を重点に捜査していた。胡桃沢氏の住む南信濃村にも捜査員が訪ねてきた。氏も捜査の対象の一人であった。」
「原爆の火」を保存しているという……。下「」引用。
「一九八八年、ジェット機問題の研究発表をした文化祭でも、「全校生徒が心を一つにして平和をアピールできる人文字をやりたい」という希望が全校アンケートで強く出された。福岡県星野村で四三年間守りつづけてきた「原爆の火」を、県内最大の高校生の自主活動集会である「仲間の声」の実行委員長を高校生のときつとめた永井君が第三回国連軍縮特別総会の開かれている国連まで届け、その火が県内をリレーされたときに分火してもらい、私がランプで保存していた。」
埼玉などの平和ゼミとの交流もあるという。下「」引用。
「交流会のあと、平和ゼミナールの高校生たちは伊那市の「原爆の火」平和の塔を訪れた。-略-」
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「湾岸戦争について高校生のアピール」をしている……。
……今も平和ではありませんね……。
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もくじ
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-地域の戦争を掘りおこす信州の高校生平和ゼミナール-』
宮下与兵衛・編/内堀守、嶋崎稔、
平出千文・著/教育史料出版会1991年
高校生というより、教師がすすめたという感じがする……。
最初のほうでこう書かれてあります。下「」引用。
「この報告書は、長野の平和ゼミナール運動にとりくむ高校生と教師が、日本の過去の「拡張、侵略および支配を目的」とした戦争を、あくまで《地域をふまえ》、埋もれていた史実を掘りおこし、それが「許されるべきでないこと」を生き生きと“わが生き方”としてつかみとっていく、その学習-調査-表現(参加)の活動の成果をもるものです。」
地域のことを大切にしているところがいいと思う。下「」引用。
「長野県伊那谷は、全国的にも知られた青年団や教師による反戦抵抗の運動がくり広げられた地域であるとともに、全国で最多の満州開拓移民や青少年義勇軍を送り出し、そのために多くの中国残留日本人孤児を生んだ地域であった。また、本のなかでしか知らなかった『悪魔の飽食』の満州七三一部隊や、「三光」政策という侵略の実態などについて、直接携わった元隊員や関係者から話を聞くことができた。」
■目次・主なものだけ■
I章 家族・地域から戦争を聞く 見る 掘りおこす 11
II章 私たちの学校で風船爆弾をつくっていた 59
III章 証言・七三一部隊で何か゛行なわれていたか 99
IV章 棄てられた「満州開拓移民」 125
V章 朝鮮人による地下飛行機工場づくりを追う 161
VI章 伊那谷での米軍機超低空飛行訓練と湾岸戦争 191
日本の政府は平和憲法下であるが……。下「」引用。
「けれど、実際のところ今の日本は本当に平和な国ではないと思う。国会の予算を見ても軍事費が多くなる一方、その穴うめに老人の医療費や身体障害者の人達のための福祉の予算は減られている。日本は戦争をしない国なのに、どうして軍備を強めなくてはならないのか、どうして自衛隊があるのだろうか。アメリカとの関係もあるだろう。しかし、国民の幸福を妨げてまでも軍備を強める必要はないのではないか。」
憲法を日本政府は守っていません。
現役の総理も核兵器保有論者であり、憲法違反を論じているとボクは思う……。
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事件をデッチあげる……。下「」引用。
「特務警察は、事件をあげなくては成績が上がらず、工作費としての予算獲得にも影響があり、派手な宴会もできなくなってしまう。だから事件をつくりあげる必要があり、チチハルで三○歳くらいの一朝鮮人を『ソ同盟在満諜報工作員』として検挙したのです。-略-」
そして、拷問、殺人……。
被爆者からの証言も得る……。下「」引用。
「長野県では、修学旅行を実施している高校の八割くらいが広島を訪れて平和学習を行なっている。しかし生徒たちは、原爆被爆者が全国で原爆症と闘いながら生きていること、自分たちの住む地域でともに生活していることは知らない。」
目 次
風船爆弾の指導者は和尚だったという。下「」引用。
「指導者であったという元善光寺の本多賢胤を訪ねた。-略-
「昭和一九(一九四四)年に、当時の飯田高等女学院のなかに伊那工業という会社が置かれて、そこの指導員ということになった。軍の監督官が来て、『これは特別の兵器だ。秘密兵器の元になる物で、どういうところへも知られないように秘密にやってもらいたい』という話をした。-略-」
もくじ
風船爆弾の歴史……。下「」引用。
「この気球を戦争に利用したのがナポレオンで、敵状偵察に使った。その後の欧米の戦争で気球が利用されてきたが、一八四九年のイタリア独立戦争の折りに、オーストリアから爆弾をつんだ無人の熱気球でベニスを攻撃したという記録があり、風船爆弾の初めであるといわれている。
日本では、日露戦争のときから偵察用に気球を使っていたという。この気球に爆弾をつけて敵国に飛ばし爆撃しようというのが「風船爆弾」であった。」
『長野県史』では、記載がないという。下「」引用。
「県内での風船爆弾の球皮作りは、三カ所であったということになる。残念なことに、最近刊行された『長野県史』などにも飯田高女の風船爆弾学校工場の記載がない。」
ラジオゾンデが風船爆弾につけられたという。下「」引用。
「一九四四(昭和一九)年秋には、風船爆弾用のラジオゾンデの比較実験を上諏訪で行なっている。このラジオゾンデを開発した高野泰秋技術少佐を含め、草場季喜少将を科長とする登戸研究所第一科は長野県北安曇地方に疎開した。-略-」
index
元七三一部隊の隊員は語る……。下「」引用。
「胡桃沢氏が生身の人間の首を切り落とした数は多数にのぼる。女性の場合は動揺して泣き叫ぶため、一挙にやってしまうのだという。このようにして殺されるのは「マルタ(丸太)」とは系統が違う。マルタは特務機関がそれとなく連れてくるもので、捕虜として連れてきたというものはなかった。ものかげに隠れて日本人を狙撃するような中国人を捕まえて、大勢の前で首を切るのである。」
使用せずと、この人は語る……。下「」引用。
「結局、細菌兵器を造ろうとのもくろみはあったのだが、ついにはそのようなものは使用せずに終戦になった」と氏は話す。」
それ以外のことも他では語られている……。
帝銀事件のとき。下「」引用。
「軍が極秘に研究し製造した薬品だとし、七三一部隊の元隊員を重点に捜査していた。胡桃沢氏の住む南信濃村にも捜査員が訪ねてきた。氏も捜査の対象の一人であった。」
「原爆の火」を保存しているという……。下「」引用。
「一九八八年、ジェット機問題の研究発表をした文化祭でも、「全校生徒が心を一つにして平和をアピールできる人文字をやりたい」という希望が全校アンケートで強く出された。福岡県星野村で四三年間守りつづけてきた「原爆の火」を、県内最大の高校生の自主活動集会である「仲間の声」の実行委員長を高校生のときつとめた永井君が第三回国連軍縮特別総会の開かれている国連まで届け、その火が県内をリレーされたときに分火してもらい、私がランプで保存していた。」
埼玉などの平和ゼミとの交流もあるという。下「」引用。
「交流会のあと、平和ゼミナールの高校生たちは伊那市の「原爆の火」平和の塔を訪れた。-略-」
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「湾岸戦争について高校生のアピール」をしている……。
……今も平和ではありませんね……。
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