ラヂオアクティヴィティ[Ra.] 第二部・国境なき恐怖 176三歳の少年、人体実験 「一例を紹介しよう。実験室が開設されて五年後の一九六五年六月、三歳のドウェイン・セクストン少年が病気になった」 まだ、小さな子供だ。 画面にはあどけない表情がうつっている。 博士は、その少年に顔をじっと見つめられた気分になった。 僕は学者になりたいと思っている。 きみのような患者をなおす。 そんな医療技術を生み出す手助けができたら幸福だろうと思う。 僕は決してこのような学者になろうとしているのではない。 何か言いたいのだが、弁護士は何も言えなかった。 涙がこぼれてきた。 この少年はおそらく、酷い目に遭うだろうことは、弁護士には理解できた。 「このドウェイン少年はオークリッジで絶望という診断を受けた」 その診断だけではここに送られていることはない。 「ある治療が有望であると教えられた。三年半にわたって、少年はこのクリニックでさまざまな治療の実験台にされた」 少年は大きくなっていた。 博士にはわかった。この施設のみで彼は大きくなったのだ。 人生の大半をここで実験動物として暮らしたのである。 見るからに顔色が悪かった。 痩せて、少年にとってこの治療は有効ではなく、むしろ受けなかったほうがよかっただろうと博士は思う。 「一九六八年、それは感謝祭前夜のこと。鼻から出血がはじまり、喉の背部から血が滲み出しはじめた」 ベッドで苦しむ少年を博士は見つめた。 そして、また涙がこみあげてきた。 何かしてあげたいのだが、何もできない自分自身に腹が立つ。 「止血不能の状態で、医師は放射能の大量照射だけを推奨した。少年の体は、細菌に対する免疫能力も完全に失われることが明白で、きわめて危険な行為だった」 ネズミたちは鳴き声をあげていた。ネズミが幾匹も死亡していた。 「もし、実験でなく治療というならば、完全な感染防止室でなければならない。しかし前述のような状況の中で、ドウェイン少年の体を放射線が射抜き、そのときデータ収集が行われた。明らかな過大照射だった」 ドウェイン少年の体重は十四キロを割り、枕から頭をあげることもできなかった。母親のメアリーは隣に寝て、片時も子どものそばを離れなかった。 「泣かないで、マミー」とドウェインは話した。 悲しむ母親の顔をみて、人類の福祉に貢献すべき学者がこんなことをしているなんて、許せないと思った。 「僕はイエス様のところへ行くよ」 ドウェイン少年は天国へ旅立った。 母親は泣いていた。どこの世界でも、これは同じことだろう。 博士は、僕はこんな学者にはならない。 悪魔のような人間にはならない。 どんなことがあっても、 僕はそのような人間にはなりたくないと思う。 「モルモットにされた患者の数は、政府が実験停止を命ずるまで八十九人におよびました。生体実験を行った博士こそ、ブラジルの怪事件で私たちの目の前に姿を表したリックスとラッシュバウのコンビでした」 イネッサの声は落ち着いている。はっきりと我々の脳に刻まれた。 「ラッシュバウは、この実験が明るみに出てから、“自分の役割は生体実験ではなく、解析を行うことだった”と弁明しました」 そんな言い訳が通用しないことを望むと博士は強く思った。 「彼のもとで働いていた看護婦は「ラッシュバウ博士が、この実験室の全体を取り仕切っていました。彼は毎日か一日おきに患者を診ていました」と証言しました」 そう証言してくれた看護婦に感謝する、そうしないとまた被害者が増えるだろう。
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