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被ばくと補償-広島、長崎、そして福島- 平凡社新書 620

2012年04月12日 | 読書日記など
『被ばくと補償-広島、長崎、そして福島- 平凡社新書 620』
   直野章子・著/平凡社2011年

表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「3・11の東京電力福島第一原発事故発生以来、
長期にわたる影響が懸念される放射線被害の実態。
受忍を強いられてきた被爆者の歴史を繰り返さないために、
その現実を原発被害者が直面する状況へと接続し、
原子力を受け入れてきた国家による補償の在り方を考える。
奪われた福島の未来を取り戻すために、
いま被爆者たちの遺産を受け継ぐ。」



責任は国民に転嫁……。下「」引用。

「敗戦も原発事故も、その原因は科学技術の未熟さや不備にあり、科学技術を発展させることで解決するかのように問題の所在をずらしながら、根本的な要因として横たわる政治や社会構造には切り込まず、多くの被害者を生み出したことに対する反省もない。国家エリートととしての責任を果たすことはなく、責任は国民に転嫁される……。」

海外メディアでは……。下「」引用。

「事故からひと月ばかりは、原爆を原発と関連づける報道は、ほとんどなかった。「放射能パニック」を怖れて、避けていたという面があるのだろう。しかし、ネットや海外メディアでは、原発事故と「ヒロシマ、ナガサキ」を直結させる言論があふれていたし、なかには、終末観的な語りさえみられた。
 ひと月の空白の後、日本のマスメディア上でも「被ばく」という観点から原発事故と原爆を結びつける言論が増えていった。」

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被爆地を原発推進に利用。下「」引用。

「そうした歴史的検証のなかで、被爆地が原発推進に「利用された」と主張する論者もいる。日本における原発建設は、冷戦下、米国による核戦略の下に推進されたが、被爆地もそのターゲットにされたというのだ。たしかに、一九五五年には米国下院シドニー・イエーツ議員が広島に原発を建設する法案を下院に提出し、翌年には、米国と正力松太郎が手を結んで取り組んだ「原子力平和利用博覧会」が広島で開催されている。前年にオープンしたばかりの原爆資料館が会場となり、原爆被害を訴える展示資料が取り払われた。しかし、広島の人々が無条件に原子力「平和利用」を迎え入れたわけではない。
 イエーツ議員の提案に関して、あくまでも米国側の「善意」を信じるという浜井信三市長に対し、広島大学文学部長・渡辺鼎(当時)は「放射能は防げてもまだ世界の平和への切り替えが完全にできていない現在、原子力発電所を持ったら広島がいつまた有力な“軍都”にならんとも限らない」と広島の歴史を踏まえて警鐘を鳴らしている。また、広島での「原子力平和利用博覧会」開催について、日本原水爆被害者団体協議会・初代事務局長の藤居平一が、博覧会の開催そのもには反対しないが、原子力を戦争に使った場合、どれほどの破壊力を持ちうるのかも合わせて展示してほしいと要望している。-略-」

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「「被爆者」の誕生」(法的地位)。下「」引用。

「「被爆者」という法的地位は、申請者が国家によって承認され、被爆者健康手帳を交付されることを通して、初めて付与されるものだ。-略-」

同じころにすすめられた。下「」引用。

「つまり、山下(*山下義信 社会党議員)案(*「原爆症患者援護法案要綱」(社会党私案))が作成されていた頃、政府は原発建設に向けた体制を整えつつあった。そして、自民党だけでなく社会党も原子力の「平和利用」推進に賛同していた。」

国側は低線量被曝を認めず。下「」引用。

「大阪地裁判決以降の口頭弁論で、国側は「佐々木・草間意見書」を根拠に、遠距離被爆者や入市被爆者が被爆直後に脱毛や下痢などの症状を呈していたとしても、それは心理的な要因、栄養不良、チフスなどの感染症によるとした。残留放射線による被曝線量は極めて限定されており、低線量被曝が人体に影響を及ぼすことないと断じたうえで、「原告らは、ほとんど被曝していない」と法廷で原告たちに言い放ったのだ。-略-
 たとえば、意見書をもとに国が主張している「脱毛ストレス説」だが、被爆地点が爆心地に近いほど脱毛発症頻度が高いという調査結果がいくつも出ていることを、どのように説明するのだろうか。-略-」

政治的および政策的な思惑によって判断されている。下「」引用。

「-略-「被爆者」の認定にしても、「原爆症」の認定にしても、「科学的な知見」というよりは、政治的および政策的な思惑によって判断が下されているということだ。そして、放射性起因性を論じる「科学」は、けっして「政治」から独立した領域ではない。」

「米国合同調査委員会」 下「」引用。

「一九四五年一○月一二日、マッカーサーは、それまで別々に調査していた三つの米国チーム(陸軍チーム、海軍チーム、マンハッタン管区)が協力して調査にあたる合同委員会を組織するよう命じた。「米国合同調査委員会」は、原爆による攻撃があったときに、放射線の被害者の治療優先順位を決める基準を確立するためのデータを得ようとした。そのせいでもあるのか、委員会は内部被曝や残留放射線による被曝を考慮に入れていない。原爆投下後に救援に市内に入った者のなかにも放射線障害と思われる症状を呈した者がいたことは認めたが、残留放射線は障害を起こすには微量すぎると示唆している。」

日本側予算3000万円。治療方法調査はわずか100万円。下「」引用。

「日本側は、予研に対する原子爆弾影響研究費という名目で、ABCCの調査に金銭的にも協力していた。一九四七年から五○年にかけて、三○○○万円以上もの予算が使われているのだ。治療方法調査のため、被爆者援護にかかわる国家予算が初めて出されたのは五三年のことで、その額たるや一○○万円にしかすぎなかったことを思い起こしておこう。
 ABCCは被爆者をモルモット扱いしたことが悪名高いが、たしかに、被爆者を「実験対象」としてしかみておらず、被爆者の苦しみに配慮した形跡は薄い。-略-」

「平等負担の欺瞞」 下「」引用。

「受忍論では、戦争という「非常事態」においては、国民がみな多かれ少なかれ犠牲を「余儀なくされた(される)」、そして、その犠牲を「等しく受忍しなければならなかった(ならない)」と説いている。あたかも被害実態そのものが平等であり、被害が平等に負担された、もしくは、されるものであるかのように表現しているのだ。
 しかし、アジア太平洋戦争当時の「日本国民」が、すべて同じような被害を受けたわけではない。そもそも、生命、身体、財産における「多少の」犠牲を同列化することなどできない。被害自体が等しくないのだから、被害を耐え忍ぶという点について、当然ながら等しくないことになる。それにもかかわらず「憲法が予想しない」として、一律に補償が拒絶されたならば、被害が甚大な者が、より多くの「受忍」を強いられるという不平等な結果となる。それどころか、援護政策によって、「受忍」しなければならない度合いにおける不平等論は是正されるどころか、拡大してきたのだ。」

軍人、軍属は……。下「」引用。

「軍人や軍属が受けた被害も、他の国民が受けた被害と同様に「受忍すべき」ものだとされているが、被害に対する補償・援護施策が講じられることによって「受忍すべき」ものではなくなった。旧植民地出身者の元軍人・軍属に関しては、国際条項や戸籍法適用の要件を理由に、日本人と同様の援護措置を受けることができない。にもかかわらず、当時「日本国民」であったという理由で、受忍論が適用されている。つまり、これら「元日本人」は、何重もの意味において被害を受忍させられていることになるのだ。そして、空襲被害者を含む「一般戦災者」と呼ばれる被害者たちは、戦争被害を受けたことのみならず、その後、国から放置されてきたという意味において、二重に受忍を強いられていることになる。」

ひどく胸が痛んだという……。下「」引用。

「被団協結成から五五年目の年に原発事故は起こった。
「被爆者をつくらないため運動してきたのに、つくってしまったではないか……」
 長年運動に打ち込んできた被爆者に、こう言わせてしまったことに、ひどく胸が痛んだ。
 そして、申し訳なく思った。」








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