磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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大地は死んだ  ヒロシマ・ナガサキからチェルノブイリまで

2006年10月08日 | 読書日記など
『大地は死んだ
   ヒロシマ・ナガサキからチェルノブイリまで』
      綿貫礼子・著/藤原書店1991年

戦争のときは、枯葉剤。
平和のときは、除草剤。
どっちにしても環境破壊!?



枯葉剤についての記載がありました。

1943年、核開発と併行し、枯葉剤はアメリカとイギリスで開発していたという。

戦争がおわると、枯葉剤の一成分「245-T」は除草剤として使用。
1947年ごろから、日本にも、ミラクルな製品として日本にも。

1961年からベトナム戦争で兵器として使用される。
1970年代までは一般の人間は理解できなかったようです。

1976年、北イタリアのセベソで農薬工場大爆発事故。
スイス系多国籍企業の下請け工場で、ベトナム戦争の時には枯葉剤の原料。
製品(農薬)として作り始めたときの大事故。下「」引用。

「ダイオキシンの汚染地域には、当然ながら「ベトナム」同様に、先天異常児の多発がおこったのですが、イタリア政府は、そのデータをねつ造しては、その被害を押えこみました。結局このセベソで起こった子どもたちの異常もはっきり疫学的に確認されるまでには、二○年三○年とかかるでしょう。詳細は私の『胎児からの黙示』にゆずりますが、セベソの事件は「平和」と呼ばれるなかで起こった「ベトナム」であったわけです。」

湾岸戦争やイラク戦争の時のアメリカ兵も、いろいろ苦しんでいますね。
ベトナム戦争での、枯葉剤でも苦しむ兵士がおり裁判を起したそうです。


1984年、インドのポパールでの農薬工場爆発事故。
アメリカ系の多国籍企業であるユニオン・カーバイト社系の工場事故。

チェルノブイリのことも書かれてありました。下「」引用。

「子どものいのちを救おうと「チェルノブイリキエフ」のリーダーとして立ちあがるイリーナ・イワセンコさんとその夫。夫婦ともビリビャーチに住んでいた原発技術者だった」


このスローガンはボクには否定できません。下「」引用。

「エコロジーの運命は、われわれの子どもたちの運命である」


日本の公害輸出も書かれてありました。




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