『ヒロシマの空に開いた落下傘』
河内朗・著/大和書房1985年
いろいろなことが書かれてある本です。ボクにはまだ理解できない部分もありました……。
ダルマストーブというのが昔ありました。下「」引用。
「石炭をくべるダルマ・ストーブは鋳鉄製で、授業中にはその上で大きな湯わかし器のアルミのふたがカタコト踊り、昼食前にはハンカチで包んだ弁当箱の山ができた。」
京都市内の小学校でも、ボクのころは使用されていました。
「湯わかし器のアルミのふた」というのは、ヤカンのフタだとボクは思います……。
やはり排他的ナショナリズムは、相手国が悪いと指摘する……。下「」引用。
「日本軍は暴虐な支那をこらしめるのだと学校では教わった。新聞は在留邦人に対するイヤがらせや日本人小学校の封鎖、商品の不買運動や商店の焼き討ちなどを数え立てて何ゆえに支那はこうまで日本を敵視するのか、アジア大陸に租界を持つのは日本だけではないと論じた。シナ共和国側にも自国を愛する人がいて、彼らは彼らなりに「日本は東洋の鬼」であるとか、日本人は「黄色い仮面の白人根性」とか、大々的に非難を展開したのだが、朗は遊びに夢中であった。」
ラジオでは。下「」引用。
「一方ラジオ放送は繰り返して節約を国民へ呼びかけた、「油の一滴は血の一滴」と。」
今も同じだと思うのだが、節約を呼びかけない現政府。
--金を持っていれば、何でもやりたい放題の醜い国家……。
パーマも禁止。下「」引用。
「開戦直前には日本人特有の真直ぐな毛髪をハリウッド映画、とりわけ子役のテンプルちゃんから影響からパーマを巻くのがはやっていた。パーマは電力を大量に消費したし、また開戦ともなれば敵文化のシンボルを頭に戴くわけにはゆかないと、早速、反対運動が起こった。幼い子たちはが「パーマネントをやめましょう」と手をつなぎ、腕白な子はぶしつけに指さして「鳥の巣だ」と悪態をついた。」
ニューヨークの下町のチャイナタウンでは、「チャイナを救え」とデモをかけ、他の市民の同情を買ったという。
--原爆投下。
人と話していて、落下傘のことに興味をもつ。
--当時は気象ゾンデというよりも、正体わからずに不思議なものと思われたようだ。
アメリカといっても、クエーカー教徒もいれば、マフィアもあれば、CIAすらある……。下「」引用。
「幟町のカトリック教会は、むかし良一がバイオリンを、ついで英語を習った場所だった。いまひとつは上流川のメソジスト教会で、そこの谷本牧師はアメリカ人記者の間で知られ、のちジョン・ハーシーが書いた『ヒロシマ』にも登場する。どちらの教会もアメリカ人の寄附によって再建されたのだと教えられ、おなじアメリカ人からといっても「拡大解釈」と「特定の個人」とは違うことに無知な朗は大いなる皮肉を感じた。」
分割統治と原爆の標的を関連づける……。下「」引用。
「新潟は、そのころまでに原爆の標的から外されていた。日本全土を四分割し、北海道と東北はソ連が占領すると予定されていたので爆撃の残留物をソ連軍に見せたくなかったと説明している。アメリカ軍は関東と中部地方、イギリス軍は近畿と中国、シナ軍は四国と九州を占領するという予定は、半年のあいだに変遷した情勢により実現しなかった。のちに対日賠償を放棄したりして敗戦の日本に寛大な対処をした蒋介石総統が日本の占領参加をこばんだのも大きな理由であった。」
スチムソンが京都を救ったと書かれてあるが、後にそれを否定する本がいつくか出版されている。
そして、『原爆神話』をつくった張本人が、スチムソンだという人もいる……。
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ネットで検索してみる。
「河内朗(こうち あきら)氏(芦屋市在住・被爆者)
原文英語「広島の空に開いた落下傘」をアメリカで出版」
「[JCJふらっしゅ]2007/10/02 1369号」より
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河内朗・著/大和書房1985年
いろいろなことが書かれてある本です。ボクにはまだ理解できない部分もありました……。
ダルマストーブというのが昔ありました。下「」引用。
「石炭をくべるダルマ・ストーブは鋳鉄製で、授業中にはその上で大きな湯わかし器のアルミのふたがカタコト踊り、昼食前にはハンカチで包んだ弁当箱の山ができた。」
京都市内の小学校でも、ボクのころは使用されていました。
「湯わかし器のアルミのふた」というのは、ヤカンのフタだとボクは思います……。
やはり排他的ナショナリズムは、相手国が悪いと指摘する……。下「」引用。
「日本軍は暴虐な支那をこらしめるのだと学校では教わった。新聞は在留邦人に対するイヤがらせや日本人小学校の封鎖、商品の不買運動や商店の焼き討ちなどを数え立てて何ゆえに支那はこうまで日本を敵視するのか、アジア大陸に租界を持つのは日本だけではないと論じた。シナ共和国側にも自国を愛する人がいて、彼らは彼らなりに「日本は東洋の鬼」であるとか、日本人は「黄色い仮面の白人根性」とか、大々的に非難を展開したのだが、朗は遊びに夢中であった。」
ラジオでは。下「」引用。
「一方ラジオ放送は繰り返して節約を国民へ呼びかけた、「油の一滴は血の一滴」と。」
今も同じだと思うのだが、節約を呼びかけない現政府。
--金を持っていれば、何でもやりたい放題の醜い国家……。
パーマも禁止。下「」引用。
「開戦直前には日本人特有の真直ぐな毛髪をハリウッド映画、とりわけ子役のテンプルちゃんから影響からパーマを巻くのがはやっていた。パーマは電力を大量に消費したし、また開戦ともなれば敵文化のシンボルを頭に戴くわけにはゆかないと、早速、反対運動が起こった。幼い子たちはが「パーマネントをやめましょう」と手をつなぎ、腕白な子はぶしつけに指さして「鳥の巣だ」と悪態をついた。」
ニューヨークの下町のチャイナタウンでは、「チャイナを救え」とデモをかけ、他の市民の同情を買ったという。
--原爆投下。
人と話していて、落下傘のことに興味をもつ。
--当時は気象ゾンデというよりも、正体わからずに不思議なものと思われたようだ。
アメリカといっても、クエーカー教徒もいれば、マフィアもあれば、CIAすらある……。下「」引用。
「幟町のカトリック教会は、むかし良一がバイオリンを、ついで英語を習った場所だった。いまひとつは上流川のメソジスト教会で、そこの谷本牧師はアメリカ人記者の間で知られ、のちジョン・ハーシーが書いた『ヒロシマ』にも登場する。どちらの教会もアメリカ人の寄附によって再建されたのだと教えられ、おなじアメリカ人からといっても「拡大解釈」と「特定の個人」とは違うことに無知な朗は大いなる皮肉を感じた。」
分割統治と原爆の標的を関連づける……。下「」引用。
「新潟は、そのころまでに原爆の標的から外されていた。日本全土を四分割し、北海道と東北はソ連が占領すると予定されていたので爆撃の残留物をソ連軍に見せたくなかったと説明している。アメリカ軍は関東と中部地方、イギリス軍は近畿と中国、シナ軍は四国と九州を占領するという予定は、半年のあいだに変遷した情勢により実現しなかった。のちに対日賠償を放棄したりして敗戦の日本に寛大な対処をした蒋介石総統が日本の占領参加をこばんだのも大きな理由であった。」
スチムソンが京都を救ったと書かれてあるが、後にそれを否定する本がいつくか出版されている。
そして、『原爆神話』をつくった張本人が、スチムソンだという人もいる……。
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ネットで検索してみる。
「河内朗(こうち あきら)氏(芦屋市在住・被爆者)
原文英語「広島の空に開いた落下傘」をアメリカで出版」
「[JCJふらっしゅ]2007/10/02 1369号」より
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