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原発とプルトニウム-パンドラの箱を開けてしまった科学者たち- PHPサイエンス・ワールド新書 017

2010年07月03日 | 読書日記など
『原発とプルトニウム-パンドラの箱を開けてしまった科学者たち- PHPサイエンス・ワールド新書 017』
   常石敬一・著/PHP研究所2010年

科学者がこういうのは納得できますね……。下「」引用。

「核廃絶においても、地球環境保全においても大国となる道は、核燃料サイクル推進の断念がその一歩となるだろう。」



ポロニウム、長崎原爆の起爆剤……。下「」引用。

「ポロニウムは夫人(*キュリー)がその祖国ポーランドにちなんでつけた名称だが、発見からほぼ半世紀後に、長崎原爆のプルトニウムの核分裂連鎖反応の起爆装置に使われるとは思わなかっただろう。ポロニウムが原爆の起爆装置に使われたのは、それが中性子発生装置に重要な役割を果しているためだ。」

オバマとアイゼンハワーは同類でしょうね……。下「」引用。

「原子力発電所に反対する人々の間でアイゼンハワー演説は評判がわるい。他方、オバマ演説は核廃絶に向けた大きな一歩として受け止められ、オバマ大統領は二○○九年のノーベル平和賞を受賞した。僕はこの核廃絶の流れを維持推進すべきだと考えている。危惧するのは、今後の世界情勢の変化で、オバマ演説がアイゼンハワー演説のような、原子力利用拡大の走狗(そうく)、という位置づけになってしまうことだ。」

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ベクレルは焼き栗のかわりにラジウム塩……。

マリー・キュリーの死。下「」引用。

「マリーは一九三四年に六六歳で死亡している。主治医は「再生不良性悪性貧血症である。骨髄が、おそらく長年の放射作用の蓄積のために変質してしまって、反応しなくなったのであろう」と書いている。」

フェルミに反対したフランコ・ラゼッティ。下「」引用。

「フェルミのグループで、フェルミからマンハッタン計画への参加を誘われ、道徳的理由で断ったのは、フェルミのピサ高等師範学校以来の友人でローマ大学教授を務めた実験家で一○○歳まで生きたF・ラゼッティ(1901-2001年)だった。彼はフェルミたちに、「原子核研究の成果を戦争に使うことに反対だ」と述べたという。グループのうち彼だけがユダヤ人でなく、また配偶者もそうではなかったが、ムッソリーニの人種政策に反対し、一九三九年にカナダの大学に移った。そして、戦後の一九四七年米国のジョンズ・ホプキンス大学に移り、また専門も実験物理学を捨てたわけではないが、古生物学に精力を注いだ。晩年はベルギーの老人ホームで過ごした。」

イダ・ノダックの指摘。

従軍したマイトナー。毒ガスとハーン。下「」引用。

「またマイトナーはM・キューリーと同様、X線技術者として従軍したが、その間も二人はの研究は断続的に、時間を見つけ、互いに連絡を取り合いながら続けられた。
 第一次世界大戦中も継続的に共同研究が可能だったのは、マイトナーが一九一六年夏以降はプラハの赤十字病院の勤務となり、休暇にはベルリンに戻ることができたこと、ハーンが化学将校だったことによる。化学戦を指揮していたハーバーはカイザー・ウィルヘルム協会の物理化学研究所長だった。ハーンがいた化学研究所はハーバーの物理化学研究所の隣にあり、ハーンは化学戦についての打ち合わせや研究開発などでその研究所を訪れる機会があった。そうした折に、ハーンは自分が室長を務める放射化学研究室にも立ち寄ったのだった。化学研究所に放射物理研究室が創設され、その室長にマイトナーが任命されるのは、戦後の一九一八年だった。」

マイトナー、シュトラースマンもユダヤ人。






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