磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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戦争があった日のはなし1 チコ、あの空をとべ

2009年05月10日 | 読書日記など
『戦争があった日のはなし1 チコ、あの空をとべ』
    菊池敬一・作/鈴木たくま・絵/太平出版社1984年

BC級戦犯として逮捕され巣鴨プリズンに入れられていた死刑囚のことが書かれてあります。
--アメリカ人たちにもハートが……。



表紙の裏(右ソデ)に書かれてあります。下「」引用。

「「チコ、おれは、やがて死刑になるんだよ。
おまえは、おれのぶんまで、
自由にあの空をとんでおくれ。」
刑務所の、くらくて小さなへやのなかで、
安夫は、一羽の子スズメに語りかけました。
戦争のさなかにおきた、
あの、信じられないようなできごとを、
なんどもなんども思いだしながら……。」

原爆のうわさ……。下「」引用。

「しかし、そのおそろしい被害のうわさは、みるみる日本じゅうにひろまっていきました。
 かくしきれなくなった軍部は、やっと、広島と長崎におとされた爆弾が、いままでとはべつな「新型爆弾」である、と発表しました。
 長崎に原子爆弾がおとされた日から三日後の、八月十二日のことでした。金田少尉が、安夫たち勤務者全員を集合させました。
 少尉が興奮しているようすから、みんなは、ただごとではないことがおきたのだ、と思いました。」

原爆を投下したアメリカは鬼! 下「」引用。

「少尉は、
「広島と長崎におちた爆弾は、『特殊爆弾』である。これをおとしたアメリカ人は、鬼とおなじで、人間ではない。」
と、軍刀をにぎりしめた手をふるわせ、いいました。」

プリズン(刑務所)にいれられた安夫。下「」引用。

「十二月十七日、安夫は、東京にある占領軍の巣鴨プリズン(刑務所)にいれられました。
 巣鴨プリズンは、大きな建物が三つあって、たかいへいとバリケードで厳重にかこまれていました。機関銃をもったなん人もの監視兵が、きびしく監視していました。夜は、サーチライトがまぶしくてらして見はっていました。-略-」

アメリカ兵の虐待……。下「」引用。

「ところが、監視のアメリカ兵が、ときどきわざと食事をけとばしたりして、食べさせてくれないこともありました。
 それだけではありませんでした。
 ちょっとでも気にくわないことがあると、わけのわからない大声でどなりながら、ようしゃなくなぐったりけったりしました。
 なぐったりけったりするのは、監視兵だけではありませんでした。
 巣鴨プリズンには死刑になるぐらいわるいことをした日本軍の囚人がいる、というので、毎日のように占領軍のひとたちが、かわるがわる見物にくるのです。
 へやのまえには、その囚人がどういう罪で刑務所にはいっているかをかいたふだが、さげてありました。」

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自殺する人々……。下「」引用。

「ところが、この入浴のとき、自殺をはかるひとがつぎつぎにではじめたのです。
 ひげをそるためにわたされた安全カミソリで、じぶんの首の欠陥をきって自殺をはかるのです。
 あわてた占領軍は、入浴のときの監視兵をふやして、それをふせごうとしました。入浴場の四すみにひとりずつ、四人もの監視兵がたって、囚人たちを見はりました。-略-」

それでも、自殺する人……。下「」引用。

「安夫の右どなりでひげをそっていた囚人が、突然、うう、とうなってうつぶせになりました。石けんのあわにまじって、赤い血が、安夫のほうにながれてきます。
 監視兵がふたり、大声をあげて走ってきて、その囚人をけりつけながら、大声で仲間をよびました。
 入り口にたっていた監視兵は、ピーとふえをふきました。
 五、六人の監視兵が、浴室を走りこんできました。
 安夫は、ぼんやりと、自殺をはかった囚人が、血まみれのままひきずりだされていくのを見ていました。
 その囚人の体じゅういちめんに、むらさき色のはん点がついていました。監視兵や占領軍のひとたちになぐられたきずあとだったのです。」

毛布でヒモをつくって自殺しようと試みる安夫……。
--しかし、できない安夫……。

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子スズメのチコと仲良くなる安夫。

面会がゆるされると死刑の日が近づいたと噂されていた……。下「」引用。

「八月になって、まもない日でした。
 とつぜん、安夫に、家族との面会がゆるされたのです。
 安夫はびっくりしました。死刑がちかづくと、家族といちど面会をゆるすそうだ、ときいていたのです。-略-」

面会には家族だけでなく、アメリカ人もいた。下「」引用。

「安夫は、白いりっぱな服をきたアメリカ人を見たとき、はっと思いだしました。
 西山鉱山の捕虜のひとりであった、カールだったのです。」

代表カール……。下「」引用。

「西山鉱山で安夫が監督した、捕虜のなかにカールが、まだ日本にいたというのです。正子たちは、ようやくのことでカールを見つけて、安夫が死刑を求刑されていることを話したのです。
 カールはびっくりして、じぶんたちの恩人である安夫を、ぜったい死刑にしてはならない、といったのです。
 そして、仲間たちに連絡をとって、代表三人ほどで、裁判の無罪の証言をすることになった、というのです。」

一九四七年(昭和二十二年)十一月十三日、釈放……。








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