磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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「女の気持ち」三○年 5 戦争と-平和

2008年05月14日 | 読書日記など
『「女の気持ち」三○年 5 戦争と-平和』
   毎日新聞大阪本社学芸部・編/新評論1987年

表紙の裏に書かれあります。下「」引用。

「「女の気持ち」が誕生してことしの秋で三十四年を迎えますが、新聞休刊日を除く毎日、一編ずつ、時には特集で三、四編いちどに連載したこともありましたから、その数は一万を越えます。そしてこの一万編は、戦後の日本の歩みを具体的な形でうつ出しています。暮らしの中で感じ、考えた女たちのいきいきとした戦後史--。「女の気持ち」三○年をまとめようという声が毎日新聞大阪本社学芸部のスタッフとペン・グループの間であがったのは、ここに理由がありました。
    (毎日新聞編集委員 南部ひろ)」



原爆関連だけではありません……。

1955年、軍人恩給について書かれてあります。下「」引用。

「国のために戦って、いま年老いた人に、文官並の恩給を出すのはいいことだけれど、これが昔の軍国時代を再現する前ぶれならば、私はマッピラだ。人と人の争いのために、私の夫を、子供を犠牲にするのは、もうごめんだ。幾多の犠牲の上に築いたこの平和を、少額の恩給で買収されてたまるものか。どうか、これが「消えゆくのみ」と嘆く老兵への過去の慰労と感謝のみにとどまり、未来の不幸を招く原因とならないようにと祈りながら、私も神前にぬかずいたのだった。」

やはり無料(タダ)ではくれないものですね……。
--そしてタダほど高いものはない……。

「原爆記念日」というタイトルで書かれています。下「」引用。

「また原爆記念日がやってきた。まだお下げ髪の学生だった私は、あの朝「行ってまいります」といって出たっきり両親に会わない。翌日やっとの思いで帰ったわが家には、崩れて半分の丈になった石ベイが残っているだけだった。-略-あれから十幾年……。思えば無残な死に方をした両親のめいふくを祈ることも、原爆投下の非道さを憤ることも十分でなかった……。ただ生きることに一生けんめいな月日であった。-略-世界のそここで相変わらず水爆実験が続けられ、地球上の空気が汚染されつつあるという。-略-みんなが力をあわせてこの問題にとっ組んだらなんとかなると思うのだが--(昭32・8・9)」

原爆ドームをなくしたい人たちがいた……。下「」引用。

「立派なビルが建ちならんでいる町に、さびしくドームが立っているように、完全に復興したかにみえる町の片すみには、古いバラックが残っていて、いまだに立ち上がれぬ被爆者がひしめいている。原爆症の不安なからだで、その日ぐらしの生活にあえいでいるのだ。こんな現状では、犠牲者のみたまも安らかに眠れないだろう。
 最近「悪夢は忘れたい」とドーム取りこわしの声が有力になってきているが、原爆ドームの消え去る日は、被爆者の人々全員が幸福によみがえる日であってほしい。   (昭35・8・12)」

この人たちが悪いなどということは、誰にもできないと思う。
--ただ、残してくれたことは人類の遺産と……。
それは負をプラスにかえた人たちがいたことも、忘れてはならないだろう……。
--それは、「折鶴の会」の子供たちやそれを支える人たちだったろう……。

レイノルズ博士がアメリカでも訴えておられことが書かれてある。下「」引用。

「アメリカの『タイム』誌に抗議したレイノルズ博士の記事は、そうした危険性がひしひしと身に迫るようだった。
 核禁止運動は政治的だ、などという考えこそ偏見ではないだろうか。子供のいのちを守り、育てていく、ひたむきな親の願いと祈りをこめて、全国のPTAあたりが率先して地球上から核兵器を追放する運動を起こすのが本当ではないかと私は思っている。   (昭37・6・12)」

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このころは、クリーンで安全なエネルギーと洗脳されていた……。下「」引用。

「「ついに日本にも原子力による電灯がともる」のニュースを聞いたとき、私たちは思わず「ああ、恐ろし」といって子供たちに笑われた。原子力といえば反射的に連想するのはあの恐ろしい原爆、そして私の青春時代のほとんどをぬりつぶしてしまった戦争なのである。-略-それは決して原子力と戦争を結びつけてはならない。ただ目を輝かせて喜ぶ子供たちに、しっかり原爆の恐ろしさを教えることである。これは現代の母親の義務といってもいいすぎではないと思う。   (昭38・11・17)」

やはり手塚治虫の「鉄腕アトム」の影響がつよかったと思う。
--原発を推進する読売新聞系列の日本テレビで第二シリーズ(カラー放送)がはじめられたという……。

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『原子力帝国』を築くためには、平気でうそつかれてきた……。
--いつものことが強化されていく……。


こんな映画もあったんですね。下「」引用。

「日米合作映画「日本かく戦えり」を見てきた長男が「一体、日本はどんな気持で戦ってたんだろう。あれで勝てると思っていたんだろうか。それに、サイパンや硫黄島で、敵のこない前に母親たちが子どもと投身自殺したり自害したのは、なんてバカなんだろう。その気が知れんよ」と憤慨ともあきれたとも話にならないという面持ちである。-略-「私は、そのころの優等生の国民だったのよ」といいながら、もう二度と真相をおおいかくすような言論や思想統制の世の中にしないために、私なりに物ごとの真実を見とおす目をしっかりと持って、生活をして行こう。それが生命を大切にすることにつながるのだ。戦争を体験した母親にこそ、そのつとめがあるのだと思ったのである。   (昭40・8・17)」

戦争は終っても、遠い戦地へいくのは大変なことだった……。下「」引用。

「本家の伯母は、先日、三十六年前南方パラオ島で戦死した祖父(夫)の墓参のために、他の遺族たちや戦友と大阪国際空港から飛びたった。-略-今、滅私奉公論が再び盛んに論じられ、防衛費増大、厳しい世界情勢に、またまた軍靴の近づく気配を感じるのは、はたして私の空耳であろうか。決して愚をくり返してはならぬ思いも強く、伯母を見送った。   (昭55・6・7)」

たしかに、広島へ行ってみると、迫力があった……。下「」引用。

「小五の方は、冬休みの作文に「人のとけてしまった階段や、骨のとけた写真やいろんな物を見ていて、だんだん見る気がしなくなったけど最後までがまんして見た。『はだしのゲン』を読んでもこんなに感じなかった。原爆はこわい」と書いていた。
 国会中継を見ていると、敵が上陸する前に迎え撃つ戦闘機とか、上陸してからの戦車の予算とか言っている。自分に何も体験がないからと言ってポオとしていたら、自分達の知らない間に知らないことが起こっていて抜き差しならなくなっていたなんてことになるのではないだろうか。子供だけじゃなしに、大人も勉強していかなければならないと思う。   (昭57・2・23)」







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