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昭和の宰相 第3巻 東条英機と軍部独裁

2010年08月05日 | 読書日記など
『昭和の宰相 第3巻 東条英機と軍部独裁 講談社文庫』
   戸川猪佐武・著/講談社1985年

東条のことだけが書かれているわけではないが……。
ひどいことをした、ファシスト東条としか思えない……。



阿部信行内閣も軍人。下「」引用。

「このとき政権は、阿部信行陸軍大将の内閣になっていた。」

米内光政内閣へ。下「」引用。

「阿部信行内閣が総辞職したあと、組閣の大命は海軍大将・米内光政に降下することになるのだが--そこにいたるまで、曲折があった。そのなかにクローズアップされるのは、軍部政権をつくろうとする陸軍の陰謀である。-略-」

斎藤隆夫反軍演説」1940年2月2日。陸軍と対立。下「」引用。

「この斎藤の演説は、ただ単に近衛声明を批判したということ以外に、変哲のない演説であった。もっとも斎藤としては、その背後にいた陸軍に対して、批判の矢を放ったつもりであった。-略-陸軍で、斎藤を除名できないような議会なら、解散してしまえという。軍務局に牧という六尺豊かな大男の中佐がいたが、書記官長室に来て、『まだ除名できませんか、斎藤はまだいますか』と恣意運動をするんだ。-略-斎藤の議員除名ということは、結局は陸軍が米内内閣をつぶしにかかる意図の一端であった。」

離党勧告と聖戦。下「」引用。

「やむなく、民政党の首脳部は明けて三日の朝、小泉又次郎、俵孫一(元商工相。政治評論家・俵孝太郎の祖父)の二人が斎藤隆夫の自邸を訪ねた。
「君の演説は、内閣の生命にも影響する。民政党としては、看過できないところがある。君は民生党を脱党してはくれまいか」
 斎藤は、この離党勧告に応じた。-略-
 二月三日の本会議では米内首相、畑陸相、吉田海相の三人がそろって、改めて聖戦目的を明らかにするという態度をとった。その裏では陸軍と海軍とは、
 --斎藤を衆議院議員から除名せよ。
 と、主張しはじめた。-略-」

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だらしない政治家。下「」引用。

「だらしないことには、陸軍のこうした強硬な態度に、政友会革新同盟、時局同志会、社会大衆党などがすべて乗ってしまったことである。」

東条内閣……。下「」引用。

「近衛文麿が総辞職したあと、これまで重臣たちが協議して、後継を取り決めるしきたりであったのを、この場合、木戸幸一内府がほとんど一存で、東条英機陸相を推した。-略-」

「候補者推薦制度」と軍・官僚支配……。下「」引用。

「実に異例の五年任期満了で行われる総選挙によって、東条内閣は“翼賛議会”を確立しようとはかった。-略-昭和にいたって、政治進出をはかる軍部は、政党を否定し、議会を無力化することに、その鋒鋩を向けつづけてきた。彼らにとっては、政党をなくし、議会そのものを、完全な協議会にすることが理想であった。軍部勢力の高まりとともに、すでに政党は解消され、議会も協賛化されて、ほぼ軍部と官僚たちの思いどおりになってきた。-略-軍部、官僚を批判し、戦争遂行に必要な予算、法案に反対するような人物を議員から除外し、東条内閣に協力するような人物を、候補者として推薦し、それを当選させて、一国一党のなかに網羅しようというのが、この目的であった。」

メディアの大勢はこの推薦制度に賛成……。

もくじ

安倍寛(安倍晋三の父方の祖父)も選挙妨害されたという。下「」引用。

「安倍寛(鈴木善幸内閣の通産相・安倍晋太郎の父)も、非推薦なるがゆえに、二十四時間、警官がついて監視された。中学四年の晋太郎までもが、警官にしつこく訊問された。-略-」

東条ファシズムと対立しはじめる中野正剛。下「」引用。

「このときの中野は、太平洋戦争讃美であった。右翼の一方の雄としては、当然の論理的帰結であった。
 ところが、東条ファシズムが、膨張して、中野みずからや東方会を圧迫する状況にいたると--中野は俄然、一変したのである。-略-」

憲兵が中野グループ(近衛、岡田たち重臣)へ。下「」引用。

「中野や、近衛たちの動きが臭い……」
 東京憲兵隊長の四方諒二(しかたりょうじ)は、すでに嗅ぎつけていた。四方から報告を受けた東条は、
「つまらんことをせんように、近衛を脅かしておけ」と、吐き捨てるようにいった。四方の意向を受けた憲兵司令部の某大佐が、近衛を荻外荘に訪ねた。
「最近、公爵は、中野、天野たちと、よくお会いになっていると、うかがっております。それも倒閣運動であるという流説を、耳にしております。もしそうであれば、これはおやめになったほうがよろしい。でないと……私のほうでも考えなければならない」
 近衛はその怒りを心頭に発した。
 --いよいよもって、東条は独裁者だ。われわれ重臣まで、脅迫するのか。-略-」

中野逮捕。下「」引用。

「中野が、警視庁の独房十号から、憲兵隊に移されたのは、二十五日の午前四時半であった。中野の義足の音にそれぞれの独房にいた三田村と天野は目ざめた。-略-」

中野自殺……。下「」引用。

「中野が釈放されて、代々木の自邸に戻ったのは、二十五日の午後二時である。-略-
 中野は、その十月二十六日の深更、自邸二階の居間で、割腹自殺を遂げた。これに先立って、つねに居間に飾っておいた写真を、片づけさせている。それは、自分とヒットラーとが並んで写っている写真であった。
 かつては日独伊三国同盟の推進者、米英撃つべしの主唱者中野も、このときファシズムの憑きものが落ちて、リベラルな政党人に戻っていたことを、それは告白している。-略-」

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