『胎児からの黙示』
綿貫礼子・著/世界書院1986年、1988年2刷
化学兵器や、工場からのダイオキシン汚染……。
「平和のなかの戦争」と書かれてある……。
--被害者にとっては、とても平和などとはいえないでしょう……。
それは胎児だけでなく、何代もつづく場合もあるだろう……。
プロパガンダ(「ユニオン・カーバイト毒ガス漏洩事件」)下「」引用。
「毒ガス放出直後の企業発言に、「放出したガスはさほど致死性のものではない。(not so deadly)」「ただ眼の角膜を刺激するだけで、非致死性である。(not deadly)」というものがあった。工場側は、それほどまでに親会社から毒性情報をえていなかったのだろうか。それともプロパガンダの発言なのかは、判断しがたいことである。いずれにせよ、周辺住民にとって、これほど、いらただしくも由々しい発言はない。-略-」
インドでも隠蔽。下「」引用。
「医療現場の医師たちは、州政府からのかん口令がしかれており、詳細なデータの公表を禁じていた。これまでの世界の科学誌、科学ジャーナリズムでのボパール情報にも、健康被害のデータはほとんどなく、断片的なスクープ記事に限られていたのも、うなずけることであった。しかし、事実は詳かに暴かねばならない。-略-」
プロパガンダの目的……。下「」引用。
「このような企業側のプロパガンダが飛びだす中に、ボパール住民のおかれた状況を垣間みる思いがした。同博士の発言に代表されるように、被害者を極力低く見積もり、健康被害を、あくまで一過性の、後遺的症状を示さぬものとして、ましてや次世代への影響など起りえないこととして、はげしい情報操作が繰り広げられていると見るべきだろう。」
胎児は警告する……。下「」引用。
「当病院では、胎児へ移行した毒物によって胎児の死がすでに起っていることが確認されたのだという。つまり、それは四つの流産胎の剖検から明らかになった事柄なのだと。こうして、懸念されていたこととはいえ、未発表の、博士の告発とも思える衝撃的発言が、インタビュウで聞かれたわけで、私自身動揺はかくし難く、その毒物がMICそのものなのか、その他の代謝物なのかは聞きもらしてしまった。いずれにせよ、この胎児への毒物移行の事実が、企業側にとっても政府側にとっても、最も暴かれてほしくない重大な被害の一端であるのは確かなことであろう。」
「ボパール戦争」=平和の中の「戦争」。下「」引用。
「こうして、健康をうばわれることに発する女性たちの生命と生活への抑圧は、生涯にわたりつきまとい、彼女らの子供たちに増幅されることにもなろう。
そして、この「ボパール戦争」に象徴される平和と呼ばれる中での「戦争」は、今日の実際之戦争がアジア・中東の第三世界に集中して発生していることともに、第三世界においてとくに頻発する傾向が高いのである。」
ベトナム・化学兵器・枯葉作戦。下「」引用。
「枯葉作戦のはげしい戦場となった南部メコンデルタ、ベンチェ省のルンファ村を尋ねた。この辺り一帯は、一九六九年ごろに繰り返される枯葉剤散布で作物は全滅し、そこでは人々はもはや生きることができず村を離れねばならなかった。戦後再び生活の場に戻ってきた村人たちの中には、今でも自分たちの農地に毒物が浸みていることを信じなて疑わない人も多かった。流産が増えるのも、異常児の誕生が多くみられるのもねその毒物のせいだと村人たちは体験的に感じとっていた。-略-」
無眼球症の姉妹。下「」引用。
「また、ベトナム北部、ハムニン省に住む姉妹は二人とも同じく無眼球症で、生まれながらほとんど全盲に近かった。一九七○年生れと七二年生れの姉妹は、一九八一年、はじめてハノイのベトドク友好病院で診察を受けたとき、前述のツウン博士に自らこう問うている。「なぜ私たち姉妹は眼が見えないのか、そのわけを教えてほしい」と。博士は「あなたたちの父親が戦場で枯葉剤を浴びたためにそうなったんだ」ときっぱり告げ、「点字を習って勉強するよう」なぐさめたとのエピソードがのこっている。-略-」
「アメリカにおけるベトナム帰還兵の訴訟」
原爆製造会社・モンサント、ダイオキシン第一号事件。下「」引用。
「一般に生産工場での労働現場は、環境汚染に先がけて警鐘をかき鳴らすものである。ダイオキシンの場合も例外ではない。一九四九年一一月、アメリカのモンサント者の「245-T」生産工場では、その原料トリクロロフェノール(TCP)の製造中に爆発事故を起こした。ダイオキシンの人体被曝として記録されている第一号の事件である。(しかし当時は、まだダイオキシンの被害とは気づかなかった。)この爆発で一二二人の労働者にクロルアクネ様皮膚障害をはじめ内臓異常などの中毒症状が現われていた。」
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スウェーデンからの警告。下「」引用。
「-略-再びヨーロッパから新たな警鐘が聞こえてきた。一九八四年一二月、日本の生化学者へ私信の形で母乳および人体汚染の実態を告げる論文のコピーを送ってきた。スウェーデンのウメア大学のC・ラッペ博士であった。この衝撃的なラッペ論文は、通常の一般人がダイオキシンをどの程度体内に摂りこんでいるか、そのバックグラウンド値を求めることを対象としたものである。-略-」
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綿貫礼子・著/世界書院1986年、1988年2刷
化学兵器や、工場からのダイオキシン汚染……。
「平和のなかの戦争」と書かれてある……。
--被害者にとっては、とても平和などとはいえないでしょう……。
それは胎児だけでなく、何代もつづく場合もあるだろう……。
プロパガンダ(「ユニオン・カーバイト毒ガス漏洩事件」)下「」引用。
「毒ガス放出直後の企業発言に、「放出したガスはさほど致死性のものではない。(not so deadly)」「ただ眼の角膜を刺激するだけで、非致死性である。(not deadly)」というものがあった。工場側は、それほどまでに親会社から毒性情報をえていなかったのだろうか。それともプロパガンダの発言なのかは、判断しがたいことである。いずれにせよ、周辺住民にとって、これほど、いらただしくも由々しい発言はない。-略-」
インドでも隠蔽。下「」引用。
「医療現場の医師たちは、州政府からのかん口令がしかれており、詳細なデータの公表を禁じていた。これまでの世界の科学誌、科学ジャーナリズムでのボパール情報にも、健康被害のデータはほとんどなく、断片的なスクープ記事に限られていたのも、うなずけることであった。しかし、事実は詳かに暴かねばならない。-略-」
プロパガンダの目的……。下「」引用。
「このような企業側のプロパガンダが飛びだす中に、ボパール住民のおかれた状況を垣間みる思いがした。同博士の発言に代表されるように、被害者を極力低く見積もり、健康被害を、あくまで一過性の、後遺的症状を示さぬものとして、ましてや次世代への影響など起りえないこととして、はげしい情報操作が繰り広げられていると見るべきだろう。」
胎児は警告する……。下「」引用。
「当病院では、胎児へ移行した毒物によって胎児の死がすでに起っていることが確認されたのだという。つまり、それは四つの流産胎の剖検から明らかになった事柄なのだと。こうして、懸念されていたこととはいえ、未発表の、博士の告発とも思える衝撃的発言が、インタビュウで聞かれたわけで、私自身動揺はかくし難く、その毒物がMICそのものなのか、その他の代謝物なのかは聞きもらしてしまった。いずれにせよ、この胎児への毒物移行の事実が、企業側にとっても政府側にとっても、最も暴かれてほしくない重大な被害の一端であるのは確かなことであろう。」
「ボパール戦争」=平和の中の「戦争」。下「」引用。
「こうして、健康をうばわれることに発する女性たちの生命と生活への抑圧は、生涯にわたりつきまとい、彼女らの子供たちに増幅されることにもなろう。
そして、この「ボパール戦争」に象徴される平和と呼ばれる中での「戦争」は、今日の実際之戦争がアジア・中東の第三世界に集中して発生していることともに、第三世界においてとくに頻発する傾向が高いのである。」
ベトナム・化学兵器・枯葉作戦。下「」引用。
「枯葉作戦のはげしい戦場となった南部メコンデルタ、ベンチェ省のルンファ村を尋ねた。この辺り一帯は、一九六九年ごろに繰り返される枯葉剤散布で作物は全滅し、そこでは人々はもはや生きることができず村を離れねばならなかった。戦後再び生活の場に戻ってきた村人たちの中には、今でも自分たちの農地に毒物が浸みていることを信じなて疑わない人も多かった。流産が増えるのも、異常児の誕生が多くみられるのもねその毒物のせいだと村人たちは体験的に感じとっていた。-略-」
無眼球症の姉妹。下「」引用。
「また、ベトナム北部、ハムニン省に住む姉妹は二人とも同じく無眼球症で、生まれながらほとんど全盲に近かった。一九七○年生れと七二年生れの姉妹は、一九八一年、はじめてハノイのベトドク友好病院で診察を受けたとき、前述のツウン博士に自らこう問うている。「なぜ私たち姉妹は眼が見えないのか、そのわけを教えてほしい」と。博士は「あなたたちの父親が戦場で枯葉剤を浴びたためにそうなったんだ」ときっぱり告げ、「点字を習って勉強するよう」なぐさめたとのエピソードがのこっている。-略-」
「アメリカにおけるベトナム帰還兵の訴訟」
原爆製造会社・モンサント、ダイオキシン第一号事件。下「」引用。
「一般に生産工場での労働現場は、環境汚染に先がけて警鐘をかき鳴らすものである。ダイオキシンの場合も例外ではない。一九四九年一一月、アメリカのモンサント者の「245-T」生産工場では、その原料トリクロロフェノール(TCP)の製造中に爆発事故を起こした。ダイオキシンの人体被曝として記録されている第一号の事件である。(しかし当時は、まだダイオキシンの被害とは気づかなかった。)この爆発で一二二人の労働者にクロルアクネ様皮膚障害をはじめ内臓異常などの中毒症状が現われていた。」
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スウェーデンからの警告。下「」引用。
「-略-再びヨーロッパから新たな警鐘が聞こえてきた。一九八四年一二月、日本の生化学者へ私信の形で母乳および人体汚染の実態を告げる論文のコピーを送ってきた。スウェーデンのウメア大学のC・ラッペ博士であった。この衝撃的なラッペ論文は、通常の一般人がダイオキシンをどの程度体内に摂りこんでいるか、そのバックグラウンド値を求めることを対象としたものである。-略-」
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