磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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AERA ’12.3.12

2012年05月05日 | 読書日記など
『AERA ’12.3.12』
   一色清・編/朝日新聞出版2012年

特集名 3・11の「A級戦犯」たち



「「3・11」の「A級戦犯」」 
……嘘をついて、原発推進した自民党議員こそ、「A級戦犯」でしょうね……。

「原発推進4人組」 下「」引用。

「経産省は、電力護持派の中核をなしてた松永和夫事務次官と細野哲弘資源エネルギー長官が退いたものの、柳瀬やその系譜に連なる後藤収エネ庁総合政策課長、吉野恭司原子力政策課長、香山弘文原子力国際協力推進室長という「原発推進4人組」を中心にした電力護持勢力が依然健在だ。-略-」

「放射能分断を乗り越え 深刻化する溝とつながろうとする試み」 下「」引用。

「「ツナミ」に向き合う妻と、「フクシマ」に目を向ける自分。避難すべきか、とどまるべきか。溝は埋まらず離婚も考えている。自分の選択を正当化しようと思うと、相手へ向ける言葉に刃がまじる。この1年、それを痛いほど感じてきた。だが、妻にこういわれてハッとした。
「避難が原則で、しなければダメな人間だと思っていない?」」

思って当然だと思いますが……。
でも、一番ダメなのは、御用学者などの原子力ムラの人たちですね。
いや、この人たちがいなければ、ダメだなんて多くの人たちは、感じなくともすんだのでは???

一般人は東大話法なんて使えないし、使ったらバカ丸出し……。

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フランスでの測定。下「」引用。

「原発事故から1カ月後、フランスのジャーナリストが野菜の土壌のサンプルを自国に持ち返り、専門の測定機関で測ったところ、石森さんの畑から2キロの地点で採れた小松菜から、1キログラム当たり3610ベクレルの放射性セシウムが検出された。国の暫定規制値の7倍以上にあたった。
 県で測った数値でないため、賠償の対象にならない。県にデータを提出すると、
「外国のデータでしょう?」
 と一蹴された。日本の測定機関に依頼して再度提出しても、
「福島の原発事故との因果関係があるとは認められない」」

やはり、「風評被害」では、賠償しないということでしょうかね?
責任転嫁をする政治家や東電などの側にたつ、農家の人たちの気持ちがボクには理解できない。

「生産者が開いた測定室」 下「」引用。

「仙台市中心から南へ車で40分ほどの山里の民家にある「小さき花 市民の放射能測定室」。畳4畳ほどの部屋の奥に鎮座するのは、1体450万円もする精度の高い放射能測定装置。持ち込まれた野菜や土などの検体を容器に入れ、機械にかけること約40分。-略-」

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「地震と津波、放射能から生きのびた13人の証言」
「深刻な人手不足 高齢化も進む」中山大(かしま病院・社団医療法人養生会理事長 福島県いわき市)。下「」引用。

「震災後は医師不足に拍車がかかりました。地震やその後の放射能汚染問題で、若い世代が流出。配偶者の職場がなくなり、仕方かなく辞める職員もいます。スタッフは常時募集していますが、応募は減り、医療従事者の不足がひときわ深刻です。
 いわき市の場合はさらに特殊事情があります。原発の避難地域から多数の高齢者が流入しているため、かなり多忙なのです。系列の老人介護施設も、行政の決定によって地元以外の人を受け入れるため、もとからの入所待ちの人にはわだかまりもあるようです。
 このように、若い世代の流出と高齢者の流入が同時に起こっていることは、日本がこれから迎える超高齢化社会の先取りでもあります。放射線に敏感な子どもの医療には、とりわけ難しい対応を迫られるのに、医療再生に向けた国からの支援は必ずしも十分とはいえません。」

「県外で皆で非難 独自判断で克服」鯨岡栄一郎(介護保険施設「小名浜ときわ苑」施設長 福島県いわき市)。下「」引用。

「昨年3月下旬、原発事故が長引く中、入所者約120人と職員のほとんどが千葉県鴨川市の「かんぽの宿」に県外避難しました。地元の病院が医療的な支援をしてくれて、食事や入浴も不自由なく過ごした後、4月上旬に福島へ戻りました。
 戻った後、原発から20キロ圏内にあれる別の老健施設の入所者約50人が避難してきたため、本館と別館あわせて定員150人のところ約180人が生活していました。個室に2人、4人部屋でも5人や6人が生活しています。-略-
 来年1月、空いた土地に仮説の老健施設が建設される運びとなりました。-略-」

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「被災地の少年少女たち」 下「」引用。

「苦難の中で成長する魂
東日本大震災直後に出会った子供たち。その成長を追い、岩手県陸前高田市に通い続けた。この1年、彼らの表情はどう変わったのだろうか。-略-」

「チェルノブイリから4キロの町「プリピャチ」」 下「」引用。

「映画「プリピャチ」-略-東京電力の福島第一原発事故を受けて、日本でも公開されることになった。-略-
 ゲイハルター監督は、-略-昨年暮れに来日した際には、「廃墟を記録したい」と、長崎の軍艦島を訪れている。彼はその来日の際のイベントで語っている。
「福島の事故は不思議とは思いませんでした。まさにこういう事故が起きるだろうと思っていたのです」
 プリピャチ撮影で被曝した彼は言う。
「原子力に未来はない。放射性廃棄物をどう最終処理するのか、人類は解決策を見つけていない」-略-」

【反原発歌】佐藤祐禎(農民歌人)。
アルバイトで感じた危険。下「」引用。
 
「さて、そんな人生の傍らで、原発の建設以後、町の風景は見る見る変貌していった。誘致の時点でこそ、賛成した佐藤だが、その危うさは建設段階から感じていたという。
「アルバイトでみんなが建設現場に行ったので、私も2カ月ほど、工事の現場に行きました。でも、これでいいのか、と思うくらい、いい加減なんです。設計図ではぴったり合うはずの配管の合流部が、何十センチも食い違っている。するとそれを、急遽折り曲げて溶接してしまう。そんなことが当たり前のようにありました」
 疑問を感じると、とことん掘り下げるのも、佐藤の性分である。それこそ原子物理学の専門書に至るまで関連資料を読み漁り、原発の危険性を確信するようになった。」

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