磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

読書日記は続けております。鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

週刊新潮 2011年11月17日号

2012年02月12日 | 読書日記など
『週刊新潮 2011年11月17日号』
   酒井逸史・編/新潮社2011年

表紙絵「葉っぱの木の下で」成瀬政博(表紙のはなし)



【口絵カラー】 二人の写真家が見た“3.11からの1年” 下「」引用。

「現在入院中の福島第一原発で働く男性。
−−何故入院を?
 血液をつくる造血幹細胞を保存する手術を明日からするから。かなり線量食っているから。万が一、白血病にかかった時のためにね。−略−
−−原発で作業してほしいという要請はすぐに?
「直後だからね」
−−怖くなかったですか?
「オレはこの地域で育ったからね。やるしかないっしょ」
−−体調に変化は?
「爆発直後から1週間くらい鼻血が止らなかった。顔中のリンパというリンパが張ってしまって驚いた」
−−現場の環境は?
「冬はいいんですよ。防護服は密閉されてるから暖かい。夏はマジで暑くてキツかった」
−−ほかの地域の人ちの被災地への関心が徐々に薄れつつあると思いますが、どう思いますか?
「しょうがないんじゃね。自分らも阪神大震災のときは何もしなかったから。他人の痛みはわからないでしょ。ただ、阪神のときと違うのは原発があること。いまも20キロ圏内は何も変わってない」」

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【口絵カラー】「地元カメラマンが撮った南三陸」佐藤信一。死亡した人たちが写っている。 下「」引用。

「東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県三陸町五日町で「佐良スタジオ」を営んでいた佐藤信一さん(45)は、3月11日自宅で作業をしていた。
 大きな揺れを感じて、家族を指定の避難場所に誘導し、自らはカメラバッグ一つを抱えPTA会長を務める志津川小学校に向かった。そこで見た光景は、白色の4階建ての志津川病院まで迫る津波。その手前の防災対策庁舎の屋上にいる20人の人影だった−略−。
 それから4分後−−10メートルを超える津波は、病院の3階にも達し、庁舎屋上の人々を呑み込んだ。受信用のアンテナ支柱に掴まって何とか、波を凌いでいる人の姿が見える。
 その8分後の15時41分、大津波は庁舎の外壁を破壊し鉄骨のみが残った(−略−)。非常用怪談の手すりなどにしがみついていたのであろうか。10人の生存者。30人以上の尊い生命が奪われた瞬間だった。−略−」

佐藤信一の写真集「南三陸から 2011.3.11〜2011.9.11」(ADK南三陸復興支援プロジェクト)発売中。








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東日本大震災 阪神大震災 造血幹細胞 福島第一原発
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