オセンタルカの太陽帝国

私的設定では遠州地方はだらハッパ文化圏
信州がドラゴンパスで
柏崎辺りが聖ファラオの国と思ってます

自分のルーツ探し(笑)

2006年09月19日 07時04分10秒 | 自分について言う

例えば少女漫画に出てくる、「卑しい家の出のあなたに彼は似合わないわ!」とか「成り上がり者のクセに!身の程をお知りなさい!」とか「まぁ、なんて下賤なご趣味だこと! 下々の方たちの考える下賤な好みは、わたくしどもには理解の及びもつきませんわ!」などと言ってのける高飛車な登場人物を見ると、無闇に殺意が沸いたり、また日本の皇族の方々がとても嫌いだったり、またはネット上で自分のご先祖を不必要に延々と語る人たちなんかを目にしてしまったとき、「ぉぃぉぃ」などと思ったりする。
そんなひねくれた私の性格は、思えば「自分のご先祖のことがまったくわからぬ」という自分自身の焦りから発するものだったのかもしれません。

 

ちょっと前に、「自分の名字について検索してみよう」と思いました。
私の名字は関東地方にある地名の由来するもので、当然ながら埼玉県・茨城県・千葉県あたりに多い名字だそうなのですが、一方でいろいろと調べてみると、なぜだか西日本でも意外と目立つ、ということに少し前に気付いたのです。小さい頃から「自分の名字って珍しいよなぁ」と思ってはいましたが、それは静岡県に住んでいるからでありまして、「日本の苗字7000傑」というサイトで調べてみると、私の名字の順位は2000番台。全部で30万ぐらいの苗字が日本にはあるそうなので、2千番ぐらいだったら、私が思っていたほど珍しい名字ではなさそうです。そしてこのサイトには私の名字について、「豊後の大族、大友氏(藤原氏秀郷流)の支流。ほか武蔵などに存す」などと書いてあったのでした。(※わざわざそんなことする人も無いと思うけど、これで私の名字が何かを特定しないでね。家族のいない私は、確実に伊豆ではたったひとりの名字だから。) は!? なんで豊後? と思って調べてみると、戦国時代の大名・大友宗麟の次男が、(どういう理由でかわかんないんだけど)私と同じ名字を名乗っていまして、それが我が「名字の祖」とみなされているらしいのです。(そのサイトには、関東のあの川について触れていないことが不可解なのですが)

でも、というわけで、

祝☆ 自分と同じ名字の戦国武将発見♪

いやー、そんなの絶対にいないと思い込んでいたんですよ。勝手に思い込んでいたからこそ、この事実は嬉しい♪ すごくこれまで残念だったんですよ。変な名字を持っている方だったら、きっと分かってくださることだと思います。また、信長の野望ファンの方だったら、たったそれだけでゲームののめり込み方が格段に変わってくる、ということも分かって下さると思います。
九州の大友氏か~。道理で私は意味もなく大友宗麟に愛情を強く感じていると思っていたよ。私、大分県に非常な愛着を持っているんです。。(本当はこのブログのIDにも使っている龍造寺氏関係だったら良かったんですが…)
もちろん、この戦国武将は本当の姓が「大友」であり、次男だったので分家し、紆余曲折を経たのちに主家が滅びてしまった(豊臣秀吉に取りつぶしにあった)ので、肥後の大名のもとに寄宿することになって、その際にこの性を名乗ることになったそうで、結局その由来は「謎」でありまして、そしてまたまた、当然、この人と私の本当のご先祖は何の関係も無かったんでしょうが、(多分、御一新の時に関東のこの地名の付近に住んでいたから、そう名乗ったという簡単な理由の人たちも大勢いたんでしょうね)、でも、私の心の中ではこの際この人を「私の先祖」だということにしときますよ。豊後の大友氏は、源頼朝の物語にも太平記にも頻繁に出てくる名族ですから、また私が強く感情移入する対象が増えた、ということでこれはとても喜ばしいことです。わたしももし洗礼を受ける機会があったら、「セバスチャン」と名乗ろうっと♪

大友親家 (永禄4(1561)~寛永18(1641))
豊後の戦国大名・大友宗麟の次男で、大友義統の弟。
覇気のある息子で、そのあまりの気性の荒さから父・宗麟は僧籍に置こうとしたが、親家はこれに反して還俗し、
1575年にはみずからキリシタンとなって、ドン・セバスチャンという洗礼名を得た。1579年、家臣の田原氏の養嗣子となって、その家督を継承した。このため、田原親家と名を改める。
兄の義統とかねてから犬猿の仲にあり、1586年にその兄が家督を継承したことに不満を抱いて、島津義久と内通(ぉぃぉぃ)。これを知った兄は彼を毒殺しようとし(失敗)、九州平定後に豊臣秀吉は不忠を咎めたが、父が熱心に取り成しをしたおかげで助命された。しかし、所領は没収されたという。
大友氏が改易された後は、立花宗茂(わーーい♪)細川忠興に仕えた。


 

しかし、なんで豊後のコイツがこの名字なんだろうね?
そしてまた、どうしてこの姓が西日本に多いんだろうね?
一応、私は現在は伊豆に住んでいますが、もともとの生まれは浜松です。父は名古屋の生まれで、その父(=私の祖父)は新潟からやってきたというのですが、大戦から復員してきてまもなくお亡くなりになってしまった。分かっていることはこれだけです。(つまり、全然わからないってこと)
ただ、浜松に住んでいるときに、私と同姓の方がノー○ル賞を受賞する、という事件があって、その人も浜松の出身だという。「もしかして親戚なのかも」と思っていろいろ調べてみたら、その人は広島の福山藩から来た一族だったという。(だから全然関係がないんですって)。結局、なんなんだろう、私の名字。

 

調べてみようとすると、名字関係のサイトって、やたらといろいろ種類のがありますよね。便利です。
やっぱり、興味を持つ人が多いんでしょうか。
ちなみにミケ嬢の名字は上位200位以内。かなりメジャー。これは悔しい。
で、名字以上にわたしの「名前」のはみょうちくりんなもので、実はとあるアラブ人の名前に由来するもので、絶対に同じ名前は他には無いと断言してもいいものなのですが、(※あとで試しに検索かけてみましたら、同字同名の方は結構いらっしゃいました。適当なこといってごめんなさい)。驚くべき事に、こちらの「名前占い」というサイトには、同じ漢字の私の名前、さらには同じ漢字の「名字+名」の名前が存在する(笑) このサイトさん、どういう仕組みになっているんでしょう?(笑) 
なお、私と同名同姓の方の今日の運勢は「今まで無理をしてきたために疲れがたまり、無理がきかなくなってくる日です。表面上は健康でも、精神的な面でストレスが溜まっているので、できればゆっくり休むようにしてください。一人で好きな音楽を聴いたり、読書をしてゆったりとくつろげば、気力も回復し、ポジティブな気持ちも湧いてくるでしょう。外出して、予想外の幸運に恵まれるということはあまり期待できないので、今日一日はおとなしくしていたほうがよさそうです。 ○○さんの今日のラッキーアイテムは、ドライヤーです」 …まぁ、そういうんなら家で静かにしてあげてもいいけど(でもでかける予定があるんだよー)、私はドライヤーを持っていない。というか、最近の私は全然無理をしていないのでねまったく疲れていない。そして、このサイトで一番の驚愕の事実。「ちなみに「○○」という名前の多さは全国第3703位です。名前のありがち度は11ptです」 ・・・・・うそつけーー

 

…と、今日は「苗字の日」ということでこんな日記を書いてみましたが、やっぱり思った以上にバカバカしい感じになっちゃったー。あはは。


最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
坂東太郎は「アイヌ語」由来だそうです (播磨の法師)
2006-09-20 08:53:21
こんにちは^^

掛川さんの「TOME」には、私もお世話になってます(とマニアにしか判らない挨拶から入ってみる^^;)



 日本の川の長男、坂東太郎は、アイヌ語で「大きな谷」を意味する“tonne”から転じたもの─という説があります。

 北上して中央構造線と交差する坂東太郎は、古来から関東の古代製鉄の拠点として栄えていた土地で、元々鹿島を拠点としていた祭祀氏族である中臣氏も(祭祀で火を扱うところから)古代製鉄民の末裔であって、聖徳太子没後の政変でそれまで中央で権力を握っていた渡来系製鉄民族だった秦氏が播磨へ亡命して播磨陰陽師の祖へ転じるのと逆に、中臣氏が新たな製鉄/祭祀氏族として中央に迎えられた─という國學院大學名誉教授・樋口清之氏の説があります。

 また、この中臣氏(藤原摂関家)の故地を掌握されてしまった為に、朝廷は平将門に手を出しかねたというなんだかアヤシゲな話もあったりします(ホントかな?)

 また一説に、万葉集で太郎が「刀禰」と表記されていることから、平安京の条坊制の地域単位である保(4町が1保)に置かれた刀禰(とね)。保長に替わって、より現実的な地域の有勢人が、京内の警察・裁判をもっぱら一手に引き受けるようになった検非違使の配下で、民政や治安を請け負ったもの─から転じた姓という可能性もあります(関西の方は、これが由来かもしれません)。

 少々グレッギングが入った解釈ですが、お役に立ちますでしょうか?(苦笑)

(泣)。 (麁鹿火)
2006-09-20 19:00:01
ですから、「特定しないで」って言ってるのにー(泣)。

初めまして。播磨の法師さんは秦系で陰陽師のゆかりの方なんですね。で、「掛川さん」って言ってるってことは、あの方々の関係者のお方? 私も(一方的に)お世話になっております。ナムナム。



坂東の名の由来がアイヌ語だという事は、私も聞いた事がありました。でも改めてそう言われてみると、昨日の記事に書いた「石田三成と大谷刑部吉継の友情」や「シルクロード」にこんなに強く心が惹かれているのは、アイヌ語つながりであったのか。わーーい。(←ルーツ探しの意味を誤解している私)

中臣氏が「製鉄の氏族」だということは初めて聞いたのですが、そ、そうだったんですね。樋口清之教授・・・ メモメモ。

で、藤原秀郷とは、鹿島神宮つながりなんですね。



さて。

結局の所、九州のアノ人がどうして坂東姓を名乗ったかに、引っ掛かってしまうんですよね。我が姓の「祖」と書かれているのですから。何か意味が無いと困る。

「刀禰」のことについては一時私も気が引かれたんですけど、余りにも意味がわからないので考えを留置してました。「平安京で、坊の4分の1を表す単位の「保」ごとに置かれた警察職のことを、刀禰という」(つまり京にしかいない)て書いてあるのに「薩摩や駿河の正税帳では国司史生・郡司主帳・軍団少毅などが刀禰と称された」と書かれていたり。結局のところ、これは11世紀にはもう消滅してしまった職なんですよね。これを「わが姓の由来」と考えるのも(検証が)めんどくさそうです。で、平凡社の世界大百科には「神社の所領や港湾・浦などには刀禰を称する有力者が中世を通じて広範に存在した。地方の神社では神官を兼ねている場合も多い。港湾や浦では,刀禰職と公文職を兼帯する者がいたり,運輸管理の代官や船頭にも刀禰の称が用いられている例がある。このように,神領や港湾,浦に後世まで広範にみられるのは,古い慣行が維持され,また私的所有が浸透しにくい地域であったことによるものと思われるが,なおつまびらかでない点も多い」とあるのですが、そうするとなおのこと私の家系(笑)のように新潟→名古屋→浜松→伊豆と流転の著しいのは状態がそぐわない気がするので、「刀禰」系の類似した苗字は、坂東系の私の家系とは関係がないと(勝手に)決めつけることとします。それに一文字流れを付け加える意味も全然ないので、私のイトコ(笑)でノー○ル賞を受賞したあの人も、関係が無いと思っています。





関係ないですが、俄然グローランサ関係の記事やイラストを増やす野望に燃えてまいりました。グレッギング、、、 美しい言葉ですね(^=^)。
房総の古社 (播磨の法師)
2006-10-14 17:38:48
こんにちは^^



 RPGデザイナーの朱鷺田祐介さんのブログに面白い記述がありましたので、コピペですがご紹介します。





●房総の古社

 帰りに、つつじヶ丘駅前、線路沿いの古本屋に寄ると、意外に、神道や仏教の関係書があることに気づく。有峰書店の「房総の古社」と學生社の「相模の古社」を購入。どちらも菱沼勇氏と梅山義彦氏の共著で、昭和40年代後半の本だが、『延喜式』に名の残る古い神社を紹介したもので、なかなか興味深い。

 私は千葉県匝嵯市(昨年まで、八日市場市)の出身であるが、利根川流域の利根町に、蛟(みづち)を祭った神社があるとは知らなかった。同じ市内の老尾神社もかなり古いとは聞いていたが、匝嵯氏自体が物部氏の流れを組む国造であったとは初めて知った。高校の頃に色々市内の寺社は回ったはずなのに、若い頃は気づかないものである。面白い。



 ...奥州へ逃れた物部氏の話はNHK大河等でも有名ですが、やはり坂東太郎流域にも定着していたんですね。それも妖しく「蛟信仰」なんかを抱え込んだ状態で(笑)。やはり大和三輪山や出雲の「蛇神/オロチ」信仰と関係があるんでしょうか?

物部麁鹿火 。 (麁鹿火)
2006-10-15 01:16:20
おぉ、書き込みありがとうございます。

NHKの大河ドラマで物部氏のものなんてあったですか? 興味津々です。

さすが博学の朱鷺田氏ですね。蛇の神社か~。なんともタイムリー。実は私はこれからこのブログで伊豆の大蛇伝説について多々述べようとしていたのでした。ただ私は「蛇=大蛇=龍=うなぎ=蛭=蛭子=漂着神」というやや異端の視点で話を展開しようとしていたんですけど。でもそういえば蛇は当然他地域でも盛んに信仰されてしかるべきなのに、パッと思いつくところでそれを祀っているのは諏訪大社、三輪神社、九頭竜明神ぐらいしか思いつきませんね。蛇の神社はもってありそうですのにね。千葉のその蛇神社にはすごく惹かれるものがあるです。九頭竜というのはもちろん間違いなく「アレ」ですね。一方で自然現象としての「暴れ川=龍=蛇」の連想は誰でも思いつくところです。日本の全ての川には(坂東川にとどまらず)多少なりとも蛇信仰の名残はあるものだと思います。(平凡社の世界大百科には「水辺湿地に多く生息するので,水の神の姿またはその使者とみて蛇に雨乞いをし,また水利の豊かなことを祈る習俗も各地にある」とあります)。いまちょうど手元に吉野裕子の『蛇~日本の蛇信仰~』(講談社学術文庫)という本がありまして、それを読むと「カカ」というのが蛇の古名で、「カガ」が含まれる言葉(例えば加賀とか案山子とか鏡とか鏡餅とか孫悟空のサイヤ星での本名とかカカァ天下とカラッ風とかフォンセ・カガチとか)すべて太古の蛇信仰の名残だ、とか書かれているのでさすがにそれは蛇推しすぎだと思うのですが。

私は諏訪大社の迸りの裔たる天龍川の畔の生まれなので「川は龍」という思想を目の当たりにして育ってきましたが、他の地域の他の大河はどうなのでしょうか? そういえば、伊豆の暴れ川の狩野川には川にはそのような思想が見あたらないなぁ。大蛇は山の産物で、龍は沼地の生き物だ。



・・・・とここまで書いたんですが、法師さんの書き込みの中の「蛇信仰」と「坂東川」と「物部氏」と「私のルーツ」にはなにか関連性があるのですか? 私は物部氏のことを「変な名前の人が多いから」好きなのですが(物部麁鹿火はすごくまともな方ですよ)、そんな物部氏の中でもヘビや坂東川に関係のありそうなのは「物部十千根(とちね)大連が垂仁天皇26年に出雲の神宝を検校したこと」ぐらいかな。十千根、、、、 八岐大蛇の正反対を想像させるお名前です。要するに、私のルーツは長くうねうねとした蛇っぽいものであったと、そういう感じになるんですね。
もれた。 (麁鹿火)
2006-10-15 01:36:27
大事な事を言い忘れていました。



古事記において、出雲の土着の神族はよそからやってきた神々(天孫族)にいいようにやりこめられて服属をしいられ、ただひとり建御名方だけが「蛇の土地」である諏訪に逃げるんですよね。一方、その諏訪の土地では土着のミシャグチ神(蛇神)を祀る「洩矢(もれや)氏」が建御名方に追いやられ、諏訪の主神の座を明け渡すのです。しかし現在ではやっぱり漂流神である建御名方よりもミシャグチ(蛇)信仰の方が形勢が強くなっている。



一方で、日本の歴史の中では太古から天皇家と共に二人三脚で栄光の歴史を作ってきた物部氏が、推古天皇の時代に新興の蘇我氏に追いやられて衰亡のうきめを見る。そのときの物部家の当主が物部守屋(もりや)。なにか不思議な符号があると思いませんか。



物部氏は日本全体の武力を司り、一方、諏訪の洩矢氏はそののち諏訪の神職全てを司って諏訪氏と名乗り、南北朝期の中先代の乱やに積極的に介入し、また武田信玄の息子の四郎勝頼を送り出し、日本の戦国の激化と統一の重要な契機となさしめるのです。

コメントを投稿