オセンタルカの太陽帝国

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2012年01月27日 02時09分29秒 | 伊豆の歴史


長い休日を貰ったので、3日ぐらい伊豆に行ってきました。
去年の大地震が起こった頃、ちょうど伊豆旅行を計画していたのですが、計画停電がなんとかで旅行を中止して、それから1年も伊豆には足を運んでいなかったのでした。
「伊豆が好き」とこんなに言っているはずなのに、停電ごときで二の足を踏んだ去年の自分がもどかしい。伊豆と同じぐらい岩手県(の遠野)が好きなので、こっちもちゃんと行かないといけませんよね。(なかなかできぬが)


<1月24日>
朝の6時ぐらいに家を出発。昔の私だったら国一を使っていたので、伊豆に行くにはもっと早く出発しなくてはなりませんでしたが、今回は東名高速を使うことにしました。だって下道を通っていくといつも余計なところに寄ってしまうんだもの。国一で行くと伊豆まで4時間ですが高速だと2時間。わずか2時間の差ですが、旅行にとってこの2時間は大きい。

最初の目的地は沼津港。
知らぬうちに、沼津港に「深海魚水族館」というのが出来たというのです。
私の深海魚好きは知らない人はいないと思いますが(笑)、昨年の12月にオープンしたばかりのこの施設、けっこう話題を呼んでいるらしい。
世の中に深海魚好きってどれぐらいいるんだろうか。(新しい本が意外と相次いで出ているので、静かなブームが来ているらしいことを知る)
しかし、伊豆で深海魚って言ったら戸田か土肥。それが沼津港って… 食べられるのっ? もしかして“深海魚刺盛り御膳”とか“深海魚の掻き揚げ富士山盛り”とか食べられたりしちゃうのっ!?
が、前日カップラーメン1つしか食べてなかった私は、お腹が空いて、富士川のあたりでサービスエリアに寄り、朝ご飯を食べてしまっていたのでありました。


「富士川楽座」にて「ミニ丼セット」(950円)
5種類のミニ丼から2つを選べるんですが、由比に近いので「桜エビ掻き揚げ丼」と「釜揚げシラス丼」を。
別セットで「生シラス」と「生桜エビ」のミニ丼セットもあって、真剣に悩んでしまったのでした。
しかし私は海老アレルギー体質。これまで桜エビでアレルギーが出たことが無いのですが(だって生桜エビ食べたことないもん)、そこで躊躇してかきあげにしてしまったの。






しかし、桜エビのかきあげってめちゃくちゃ美味いな。ちょっと塩気が強いけど。
そしてシラス丼も、ご飯の醤油味がめちゃうまー。


でもって懐かしき伊豆に着いたのは朝9時前。
水族館が開くのが10時だというので、時間を過ごす場所として選んだのが、沼津の町並みを見下ろす香貫山。香貫山は登山人に人気の高い「沼津アルプス」の最北で、標高は193mとお手軽で(もちろん山頂近くまで車で上れるし)、遺跡もあり、なかなかに面白い山なんですが、私はこれまで機会に恵まれなかったのでした。香貫山にあるっていう遺跡は平安時代の経塚だそうで、修験道との結びつきを窺わせるものだという。そういえば頼朝の同母弟の希義が平治の乱後に香貫に逃れていたって、さがみさんが言っていたっけ。

香貫山はそれはもー分かりづらいところに入口がありまして、細いうね道をうねうねのぼっていますと、予想以上に沿道にいる人が多いのです。(山道の落ち葉を掃除している近隣の皆様のようです)。小雪がちらつく寒い空だってのに、ごくろうさまなこってす。

香貫山のシンボルって言ったらこの五重の塔。



沼津駅からも見えますからね。でもこれはどこかのお寺の塔なのではなくて、戦後に建てられた戦没者慰霊碑らしい。へー。そして、思ったよりちっさかった。



この五重塔から少しくだった道端に、原田濱人の歌碑がありました。実はこれが今日私がこの山に登った一番の目的かもしれない。原田濱人ったってどなたもご存じないと思いますが、最近の私のマイブームなのさっ。
さて、この五重塔は香貫山の山頂にあるのではなく、「展望台までここから900m(もしくは1.2km)」と案内板に書いてあります。立派な道が続いているらしいのですが、車で入れるのはこの五重の塔(香稜台)までで、ここからは歩きです。「900m(もしくは1.2km)なんてすぐそこだろ」と思って歩き始めたのですが、なかなかどうして、なかなかな距離がありました。


山道の途中にいた「ぼうこちゃん」なる、この山のマスコットキャラクター?

この香貫山の展望台には、各テレビ局のカメラが設置されているそうです。
とりわけ、私の部屋で常に点けられている静岡だいいちテレビの画面では、県内の天気状況を説明するニュースが流されるとき、静岡市よりも浜松市よりもなぜか、常に香貫山から見た沼津市の景色が流されるのです。ここからは富士山もきっと綺麗にみえるはずなのだけれど、そうじゃなくて駿河湾の映像なのね。この光景が「最も静岡県らしい景色」とされているのかね。私は香貫山に登ったことはありませんでしたが、それでもさすがにその映像には望郷感に胸を締め付けられるんですよね。(それは十国山から見た景色、もしくは箱根の坂から国道一号線を三島方面に下ってくる景色と同一でもあるからだが)


今から行く沼津港方面。どれが目指すべき水族館の建物なのか、貴方はわかりますか?


これだね、この景色。千本浜方面。


そして南の方の伊豆方向に目を向けると、、、 雪雲だぞーー。

とにかくこの日は、「関東地方で大雪が降った」というニュースがあった日だったのです。こんな日に東へ向かわねばならぬ自分にチッと舌打ちしながらの旅だったのに、30分ぐらい歩いてこの展望台に来れば、なぜか壮年と言うよりさらに上の年代の人でひしめいていた。えっ。ここは南国だというのに小雪舞う異常な日だぞ。この人たちはどこから湧いたんだっ。…と、私はその中の一員な己が身の況にはちっとも気付かず、「さすが沼津アルプスは人々に愛されているなー」と、呑気なことを考えていたのでした。


さて、ここでわたくしどもはこの香貫郷と、源希義のつながりについて考えてみなければなりませぬ。
なんで希義は沼津で平家に捕まえられたんでしょうね?
情報をまとめておきましょう。源希義(みなもとのまれよし)源頼朝の8人いた兄弟の中で唯一の同母弟。(浜松の伝説では範頼卿の母も頼朝の母と同一とされているのですが、残念なことに一般的にはこれは邪説とされています)。頼朝と希義の母は由良御前(ゆらごぜん)といって、名古屋の熱田神宮の大宮司である藤原季範(ふじわらのすえのり)の娘でしたが、季範は久寿2年(1155年)には死んでしまい、その没年がどう関係あるのかどうか分かんないけど保元の乱(保元元年=1156年)には熱田神宮家は源義朝に援軍を送っているけど、平治の乱(平治元年=1159年)には義朝の要請を完全無視。
保元の乱と平治の乱の時の熱田大宮司は藤原範忠(ふじわらののりただ)で、この人は藤原季範の息子なんですが頼朝の母とは異父兄弟で、そして父の存命中は父と仲が悪かったとされています。
そして、この範忠が平家方として沼津の香貫において希義を捕らえて京に送り、希義が土佐へ流罪となったのは平治の乱の4ヶ月後のことなのです。
でも、なんで希義が沼津で捕まったの?
なんで熱田大宮司が沼津で希義を捕まえたの?
なんで沼津?

源頼朝と源希義は兄弟でしたが、その年齢差は10歳もありました。13歳の時に平治の乱で初陣した頼朝でしたから、その弟である希義は3歳で、当然、平治の乱で参戦できるような年齢では無く、ではどうして幼児であるこの彼が沼津にいたのだろう。『平治物語』の希義についての記述はあまりにも少ないのですけれど、どうもこの幼児が戦い勃発時には名古屋にいて、負けを知ってたまたま沼津まで逃げたときに捕まった、という風では無いんですよね。なんらかの希義を保護する勢力が沼津にあったとするべき。戦いに先立って希義が沼津へ疎開させられたのか、そもそも希義が沼津で育ったのか。さがみさんは「頼朝の父義朝の乳母子鎌田正清の娘が「香貫局」と称していたとしている本がある」と書いています。でも私はその本を知りません。鎌田氏って磐田の土豪ですよ。沼津との関わりがさっぱり分からない。でもしかし、鎌田氏と伊豆は深い関わりがあります(伝説がいくつかある)。伊豆っていうか、伊豆についてはたくさん資料があるんだけど平治の乱当時の沼津がピンポイントでどんな状態だったのかを知る材料が全く無いのですわな。
香貫の局とは、鎌田の娘が香貫のそれなりの豪族に嫁いで、それが義朝の勢力に賛同できるほどの力を持っていたって事でしょうか。

伊豆北部と源氏との結びつきを思い出すにふさわしい語句は、沼津にはいっぱいあります。「源頼政と三戸御厨」「大岡郷の牧氏」「阿野全成と阿野庄」「黄瀬川の対陣」「千本松原の六代松」等々。しかし、どれもが頼朝遺跡としてはかなりの後期のものばかりで、源平合戦が始まる20年も前の平治の乱の直後に、沼津がどんな状態だったのか、さっぱりわかんないです。



一番わかんないのは、『平治物語』で香貫郷のある場所が「駿河國」と記されていることで。
これは「沼津市って伊豆地方なの? そうじゃないの?」という問題にも繋がることだと思いますが、これはあくまで私の価値基準なんだけど、「伊豆と駿河の境は狩野川と黄瀬川」だと思っています。なので沼津っていう町は半分が伊豆で半分が駿河。繁華街のある沼津駅周辺は狩野川の北にあるので駿河域ですよね。だけど、香貫郷ってどう見たって伊豆じゃん。
平安時代には狩野川の河口って(天龍川や富士川と同様)もっとグチャグチャしていたと思うし。狩野川の河口を整備したのは鎌倉時代になって北条氏が、っていう伝説があります。隠れるにふさわしい混沌の地だからこそ源希義もここに隠れようと思ったのだろうし、結局のところ、希義はなんでここにいたのだろう?
寿永元年(1182年)に希義の仇討ちの為に頼朝によって源有綱(=源頼政の孫。伊豆右衛門尉と呼ばれた)が土佐に派遣されたのは何か意味があるのかな。記録によるかぎり源頼政が伊豆の知行国主であることが分かるのは仁安2年(1167年)からなんですけど、それ以前からの頼政と伊豆との関わりは無いとも言えない。それとも、それよりも伊豆の修験道が何か関係があるんでしょうか? 『源平盛衰記』には為義と箱根山について何か仄めかされているし。
結局のところ、源希義という人の前半生はかなりの謎なんです。個人的には「源希義って満良親王(=後醍醐天皇の皇子)に似てるなー」と思って、なんとなく興味を持っている。少しだけね。
……といっても源希義の謎について、香貫山の上から町を見下ろしたぐらいで分かるはずもないので、(10時になったので)そそくさと私は水族館に向かうのでありました。




沼津港と深海魚は、意外と意外な組み合わせであります。
そりゃー、「深海魚と言えば駿河湾」という認識は近年とみに高まっていることだとは思いますが、沼津港は駿河湾の中でも一、二を争う良港。深海魚などに頼らずとも、沼津はウマイ魚で満ちあふれている。魚の有名店がいくつもある沼津港に行って、なんでわざわざ深海魚を見なくちゃなんないのか。でも、だからこそおもしろいものなのかもね。深海魚よりも価値のある魚がたくさんあつまる大港で、深海魚が集まるのも沼津港以上の港は他に無い、ってことで。
伊豆に住んでいた頃、私はお魚には人並みの興味関心しか持っていなかったため、沼津港にお魚を食べに行ったことがありませんでした。私が住んでいた頃から沼津港は「お魚のテーマパーク」として勇名を馳せていましたが、沼津港地区の外れに「松福」というラーメン屋さんがあって、ここには頻繁に足を運んだんですが、お魚など食べにわざわざ出かけることなど考えられなかった。
それが、伊豆から引っ越して5年経ち、こんなにお魚大好きに自分がなっているだなんて、どこの自分が想像しただろう。(※いまの私は、浜名湖のお魚のウンチクを毎日語る仕事をしています)。でも、浜名湖には深海魚がいないんですよね。(いるという噂もあるが)。やっぱり深海魚といえば伊豆、駿河湾。私の「深海魚好き」は今の「浜名湖の魚好き」とは別方向から由来する物でした。今から十年ぐらい前に、ダイドーの「ミウ」という飲み物に「深海生物コレクション」(※参考)という小さなフィギュアが付いてまして、これに夢中になった。やはりその当時の私の興味は「深海魚の奇抜な姿」に対する物で、その頃手軽に読める本は北村雄一氏のものぐらいしか無かったんですが、『イラスト事典深海生物図鑑』(1998年)と『深海生物ファイル』(2005年)がバイブルでした。今はカラーの本がたくさん出ていて、とても楽しいですね。
で、伊豆には“深海魚の町”として知られる戸田村がありまして、そこでは深海魚料理が食べられる。
コウモリダコやホウライエソを想像しながら深海魚を食べに行くと、それとは全然美的感覚の狂った、ゲホウやらトロボッチやらメギスやらという物が出てきて、これはこれで面白かった。深海は奥が深い、と思った物です。

ところで、深海魚水族館は沼津港のどのあたりにできたんだろう?
と思って行ってみると、うおー、あんなに通い詰めた松福のすぐ近くじゃん。こりゃー驚いた。

玄関を入って正面にいるのは大王具足。うをー。



いつのまにやら、こういうのが深海生物の代表格になってしまったんだな。入口に真っ先に現れるくらい。十年ぐらい前に、下田の海中水族館に、この半分ぐらいしかない普通の具足虫が飾られていたことを思い出しました。大王具足虫は日本にはいないことになっていますが、唯の具足虫の方は海底に無数にいるはずです。その具足虫が飾られてはいず、大王具足の方がいたことに、この水族館の方向性が表れているのかも知れない、と後になって思いました。

全体を見回してみると、一階の入口は小さな水槽がメインです。いろんな生物がいるのですが、なぜだか深海生物じゃ無いのも多い。



それにはちゃんとした理由があるのだそうで、普通の生物と深海生物の形状の違いを並べて対比させるためだったいうのですが、なるほどねー、へー。
しかし、深海生物をたくさん見たいと思ってきているのに、チンアナゴとか見てしまうと、苦笑してしまう。
しかしながら、地味ながらもそこそこ面白い生き物もかなりいるっ



入口付近にいたコレ。
うひょー、千手海鼠の一種だっ。いや、千手海鼠は10cmぐらいしか無いと本に書いてありますから、30cmくらいあるこれは別の生き物でしょうが(説明版に何て書いてあったか忘れた、単に「深海ナマコの一種」とか書いてあるだけじゃなかったっけ?)、でもこりゃーセンジュちゃんだっ。私の持ってるミウのフィギュアではツルンとしているんですが、本当のセンジュナマコはショウガのようなボコボコだそうで、でもこのサイトを見ると、千手の前の形にはいろいろなバリエーションがあるみたいですね。ていうかネット上にあるセンジュナマコの写真は同一の生物だと思えない。私の好む優美な姿の物も、捜せばあります。いずれはここ沼津港水族館で、千手の前を飾ってもらいたいものだ。



「深海はナマコだらけで、全ての生物の90%がナマコ」と書いている人がいます。ほんとうだろうか。千手の前(10cm)は中深層にいる人で、それより下の超深層にいるのが熊御前(10cm以下)の仲間になるそうです。その流れで行くと、沼津港のコレは比較的低深層のものなはずですよね。私の手もちの図鑑では、ナマコの仲間は「千手海鼠」「熊海鼠」「夢海鼠」「烏帽子海鼠」「禿海鼠」ぐらいしか載ってない。深海にはもっと沢山の種類のナマコがいるはず。「詳細なナマコ図鑑が欲しいな」と私は思うのでした。検索すると「ナマコ・ガイドブック」というのがありますが、この本で深海ナマコが充実してるとも思えないな。この件については沼津港が負うべき課題だと思いますよ。

…なんだか書いているうちにまた行きたい気分になってしまったので、後の記事は流します。忘れた頃にまた行こう。

















全般的なことを言いますと、深海魚じゃない水槽が多くを占めていることは、全体的に明るさを増していて、カップルのデート等には最適だと思う。でもそれは、この水族館が開館したばかりで展示物が揃ってないためで、おいおい深海魚の珍しいのが増えていくんじゃないのかな。「深海魚水族館」という名前を聞いて、深海魚図鑑に載っているような奇妙奇天烈なものを想像して行くと、それらはほとんどいないので、ガッカリすることになるのだと思う。この水族館の開館当時のメダマは「メンダコ」だったらしくて、でもそれはすぐ死んでしまったらしい。私の後ろでおばちゃん連れが「麺蛸どこー?」とか言っていて、物の哀れを誘いました。でも、私が行ったときにおばちゃん連れがやたらと多かったのも象徴的で、「深海魚」っていうのはかなり広い年代層にアピールできる素材ではないかな。現在の展示物は、人によってはがっかりするものかもしれない。でも、よーーく見てみると、小さい展示槽の片隅に、なかなかニヤリとできる物も多かった。私は楽しかった。テヅルモヅル見入ってしまう。「ヒカリキンメ水槽」なんかも、なかなか凄いと思う。
「シーラカンス」というのがこの水族館の最大の目玉で、確かにそれは見事で確かにそれは深海魚なんですが、私には微妙でしたな。いづれ、数年後に「駿河湾の地味な深海魚コーナー」が充実していることを望みます。戸田港で食べられる魚たちが泳いでいる姿を見たいな。

実は静岡県には他に2つの深海魚の展示が充実しているところがあります。
清水港の東海大学水族館と戸田港の深海魚博物館で、この二つは別の形で深海魚をたくさん陳列している。ただし両方とも、生きている深海魚では無くて、おびただしい数の深海魚の標本です。それらに対して沼津港は数は少ないけれども、生きている魚がメインだと言うことは評価できる。(標本も少しあったけど)。
一方、全国的には、そんなに遠くない鎌倉の新・江ノ島水族館の深海魚コーナーが見事なものです。ピンクに照明されたザラビクニンとか、あれには沼津港ごときでは太刀打ちできないだろうなー。しかし、あそこは本格的すぎるのです。ゴエモンコシオリエビとかミョウジンシンカイコシオリエビとか、シロウトが観て楽しめるものでもない。
沼津港は沼津港で、独自の道を行って欲しいと思います。
でもかつて、油壺マリンパークでも深海魚特別展をやっていたし、箱根水族園でもザラビクニンを観た思い出もある気がする。つくづく私の住んでるところは深海魚天国だなー。


…さて、12時前後に水族館を出ました。
目の前には沼津港。そして水族館前にはやはり深海魚を食べられるお食事屋さんがありました。でも、しかし、ぐぬぬ、、、、 朝のサクラエビとシラスが効いていて、まだ食べられぬ、、、 グヌヌ、、、 桜エビも深海魚だし、我慢するしかないのか、、、

当然目の前にある松福も食べられぬ。
泣く泣く沼津を後にして伊豆の国に向かい、懐かしい伊豆長岡を一周して伊豆長岡駅に向かうと14時ごろ。
ようやく何か食べられる気がしてきた。とすると、向かうべきは、クジラ屋さんだな。



注文するのは、夢にまで見た大人の時間・薬味たっぷりR-30ラーメン(750円)。
うわーーい。
なんだか記憶にある物より見た目がおとなしくなっていますが、食べてみると、記憶にある物よりも遙かに美味しくなってるぞっ!!!
うわーーーい。すごいな。
ここ数回、このラーメンのデフォルトが細麺で、太麺にしてもらうと言うのを忘れてしまい、悲しい思いをしたのですが、今回は「オススメは太麺」に変更されていました。



数年ぶりにR30を太麺で食べたけど、この太麺凄い。そもそも私は6年前にこの麺で太麺好きになったのでした…(遠い目)
それにしてもR30はウマイ。薬味感というかスパイシーさが図太くなっている感じがする。

(…つづく)

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