ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




旧館の玄関。中央区明石町9。1987(昭和62)年9月15日

現在の聖路加国際病院が建つ以前に、その敷地にあった建物。上と下左の写真は本館(ここでは、レーモンドやバーガミニーの設計で1933(昭和8)年に竣工した6階建てのビル)の東の通りに向いている。この玄関とそれに続いている棟の裏側に主要な平屋の建物が建ち並んでいた。「旧館」というのは『聖路加国際大学>大学の歩み』や、『図説占領下の東京』(佐藤洋一著、河出書房新社・とんぼの本、2006年、1600円)で使っている用語で、ここでも明石町9番地に建っていた木造の建物に対して言うことにする。
1986年の住宅地図では「聖路加国際病院付属高等看護学校」。『日本近代建築総覧』では「聖路加国際病院付属高等看護学院、建築年=1924(大正13)年、木造平屋、設計・施工=清水組」。
見たところ、関東大震災で病院が崩壊したので、とりあえず大急ぎで建てたバラック建築だろう。当初は十数棟の長屋のような、兵舎のような建物を建てている。1933(昭和8)年に本館が建つまでは、旧館の建物のほとんどが病棟として使われたのかと思う。



左:玄関棟の前の通りの北から、右:煙突。1986(昭和61)年11月3日
玄関のある棟だけは2階建てである。右写真は本館の北東部分が(上部だけだが)写っている。



右:『中央区立図書館>地域資料室』より、「航空写真 明石町付近、北川千秋撮影、書誌番号001702124」。左:『地理院地図』より、「1984年~1987年写真」

上左写真は聖路加病院本館の前庭がまだ整理されていないので竣工直前の様子ではないかと思う。写真右手には敷地いっぱいに平屋の病棟などが建てられている。
右写真は解体前の様子。全体の半分くらいは取り壊されていて駐車場に替わっている。同サイトの「1979年~1983年」の写真ではほとんどの建物がまだ残っているので、1980年代になってからの変化らしい。



左:敷地の南西角にあった棟。1987(昭和62)年9月15日
右:南西角の棟と玄関を結ぶ廊下。1987(昭和62)年10月9日

上左の写真は敷地の南西角にあった棟。その写真では木が邪魔でよく分からないが、下左の写真が同じ建物を裏から撮ったもの。仮建築にしても洋館といっていい外観である。病棟ではなく病院のかなり偉い人の執務室だったのだろうか? 
なんとなくフランク・ロイド・ライトを想起させるデザインである。ぼくは見ていないが、函館元町にあるライト風の住宅、日和茶房(昭和3年、設計=田上義也)と共通する造形がある。ライトの影響があるとすると、本館の設計をしたレーモンドとの関連性はどんなものだろう?




1988(昭和63)年10月9日

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