ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 





海幸橋。築地5、6
1987(昭和62)年9月15日

築地川東支川に架かっていた。築地場外市場の方から渡ると海幸橋門から中央卸市場へ入ることになる。川は海幸橋までが1994(平成6)年に埋立てられ、残った波除神社横の水面も1998(平成10)年に埋立てられた。海幸橋は、しばらくはほおっておかれたが、2002(平成14)年3月末に撤去が完了した。
海幸橋は1927(昭和2)年10月に東京市によって架橋された。設計は東京府道路局。「ランガー式補剛タイドアーチ橋」という構造形式で、日本初のランガー橋になるという。見た目はアーチ橋だが、主構造は桁橋で、アーチは補強材である。桁とアーチの接合部は桁の上にあってヒンジでつながっている。この構造はきわめて珍しく、他には江東区塩浜の平久川に架かる白妙橋(昭和12年架橋)が知られているだけだという。
海幸橋の親柱は左右で形が違っていた。現在、橋本体は撤去されたが親柱は現地保存ということで残っている。しかも補修され架橋時の色に塗りなおされている。橋本体は、ヒンジを中心にした桁とアーチの一部が、日大理工学部の大型構造物試験センター(船橋市習志野台)に保存された。どうでもいいのだろうが、どこの場所の部分なのかちょっと気になる。
鋼鉄製の親柱は「アムステルダム派」のデザインで、日本では希少な実作ということである。
参考: 「特異な構造の鋼下路アーチ橋―海幸橋―について」(『土木史研究』第19号、1999年5月)
   「CSTミュージアム史料群>⑥海幸橋ヒンジ」( 『大型構造物試験センター(日本大学理工学部・理工学研究所―CST)』



海幸橋巡視詰所。築地5-2。1990(平成2)年4月7日

海幸橋から卸売市場に入った橋の脇にあった小屋。現在も、建て替わったが同じ名称の建物がある。写真の旧詰所はコンクリート製だろうか。詰所の後ろの平屋の建物はトイレだった思う。さらに後ろの建物は事務所棟で、組合とか連合会とかの事務所が入っていた。現在は解体されて、その跡地から後退して、かつての川の上に建った低層のビルに建て替わったのかもしれない。

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