ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 





横河民輔旧邸。神奈川県小田原市南町2
2012(平成24)年4月7日

国道1号の箱根口交差点から南へ行くと突き当りの三叉路に出る。ちょっとずれて海岸へ出る細い道があって、それを含めれば四つ角である。今、Googleマップを見ていて、その三叉路のすぐ西に名所マークの「横河民輔旧邸」があるのに気が付いた。
横河民輔は、ウィキペディアのリード部分に「1864(元治元)年-1945(昭和20)年)、明治・大正・昭和期の建築家・実業家。横河グループ創業者。日本の鉄骨建築の先駆者」とある人。小田原に居住したのは『静閑荘~邸園交流でまちづくり~』では、1910年頃から亡くなるまでだ。
三叉路の西側はすぐ南へ入る路地でまたすぐ西へ曲がる。それが1枚目の写真で、海側は石垣で土地が高くなっているのは砂丘なのかもしれないと思ったが、『小田原城街歩きガイド>御台場』では小田原城総構の土塁の上に住宅が建っているのではないかと推定している。石垣沿いに小田原用水の分流が流れている。石垣の上には横河邸の建築時に造られたと思われるレンガ塀が残っている。
2枚目の写真は三叉路の方向を振り返ったもの。小田原用水は奥へ流れて宅地内は暗渠になり、新川に合流するようだ。新川というのは「ちょっとずれて海岸へ出る細い道」に沿って海に出る小田原用水の海との河口部分で、小田原町詳細図(1929年)にその名称が書き込まれている。
横河民輔の建築家としての仕事を『近代建築ガイドブック[関東編]』(東京建築探偵団著、鹿島出版会、昭和57年、2300円)でチェックすると、設計=横河民輔となっているのは、三越本店(日本橋室町、昭和2年、現存)、東京証券取引所(日本橋兜町、昭和6年)。設計=横河工務所が、東京銀行協会(丸の内、大正3年)、三信ビル(有楽町、昭和4年)、交詢社(銀座、昭和4年)で、日本工業倶楽部(丸の内、1920年、ファサードは松井貴太郎)、電通ビル(銀座、昭和9年)、日証館(日本橋兜町、昭和3年)が現存している。

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