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「元ヤオハン代表  和田和夫  ゼロからの出発①」 

2017-05-20 06:28:32 | 日本

1929年(昭和4年)神奈川県小田原市生まれ。日本大学経済学部卒。静岡県熱海市で家業の青果業を継ぎ、事業を拡大して85年に東証1部上場を果たす。最盛期にはアジアを中心に世界16カ国に進出、グループで5000億円の売上げを計上するまでになった。しかし、97年、ヤオハンジャパンが倒産。母・カツさんはNHKドラマ「おしん」のモデルとされる。


◎倒産で分かった辛い立場の人の気持ち

「すべての責任はトップにある。失敗の最大の原因はトップにあるということを自覚することが、問題解決への一番の方法」。
東京・西新宿の高層ビルにある会議室。元ヤオハン・ジャパンの和田一夫元会長(72)が15人ほどの参加者を前に力のこもった声で語りかける。
「東京一(はじめ)塾」と名づけられたこの経営セミナーは月に1回、東京のほか、大阪や福岡などでも開かれている。和田氏がこの経営セミナーを始めたのは一昨年秋から。参加者はIT関連のベンチャーにかかわる青年が中心。
現在、和田氏は福岡県飯塚市に本社を置くコンサルティング会社「アイ・エム・エー」社長の肩書を持つ。しかし飯塚は最近まで足を踏み入れたこともない土地だった。和田氏が当地で活動を始めたのは昨年3月からで、その後5月に東京から転居した。
社員は7人ほど。日本料理店が入っていた3階建の建物を借りて活動。「一塾」のほかにインターネットを使った経営相談や和田氏宅を使って、九州工業大学の学生を中心とする若者相手の起業勉強会も開く。
また全国から講演の依頼が数多く来ている。

「先月は18回もあり、日程調整で苦労するといううれしい悲鳴をあげている」(和田氏)
「つきっきりで、秘書のようなもの」という同社の正田英樹取締役(28)が「私のほうが倒れてしまった」ほどタフだ。2人は講演を通じて知り合い、ソフト会社を経営していた正田氏が和田氏の新事業を支援すると申し出たことから、和田氏が飯塚に移住することに。
自宅で開く起業勉強会には多いときには、約30畳ほどの居間兼台所に30人ほども詰め掛け、きみ子夫人(67)が手料理を振舞う。
夫妻をよく知る土屋高徳氏(75)は「きみ子夫人は徹底して和田代表を立ててきた人。ヤオハンが小さかったときから、寝室の天井に『和田一夫は世界的な経営者になる』と書いた紙を張っていた」と明かす。土屋氏はヤオハンがまだ静岡・熱海で八百屋だった昭和32年に入社して以来、和田氏を支え続けてきた。

きみ子夫人は「天井の紙は人に見られたら恥ずかしいので寝室にしたのですが、それでも20年ぐらいは張っていたでしょうか」と照れくさそうに話す。ヤオハンがいよいよダメだというときも、「もとの八百屋に戻ればいいじゃない」と言ってのけた。和田氏もその一言で気分がだいぶ楽になったという。
和田氏がきみ子夫人のことを「念願の家庭菜園も作るようになって、若い人との交流もあって、張り合いがあると言っている」と話せば、きみ子夫人は「前は大きな荷物を背負っていたけれど、今はそれが消えただけでも主人にとっていい環境だと思う」。
さらに和田氏は「飯塚に来てから自分を省みる謙虚さを学べたと思う。倒産して痛い目にあってみると、辛い立場にいる人の気持ちもわかる。だから人の立場にたってアドバイスができると考えて今の仕事を始めたんです」。夫妻にとって飯塚への転居が再出発のうえで精神的にもリセットにつながっているようだ。


◎矢尽き刀折れから出直し

「まさに『矢尽き刀折れ』といった感じでした」。会社更生法適用の申請を静岡地裁に出した際の心境を和田一夫氏(72)は語る。
ヤオハン・ジャパンが倒産したのは平成9年9月18日。倒産の原因は和田氏も認めるように、転換社債の大量発行によって安易に調達した資金を過剰に投資したことや非効率な経営にあるとされる。

銀行融資に頼らず、転換社債を発行するという資金調達法の根源は、同社の昭和46年のブラジル進出にさかのぼる。リスクの高さから銀行団に軒並み反対され、銀行からの資金調達ができなかった。やむなく海外経済協力基金に頼らざるを得なかったという。
その後も、ヤオハンの急拡大路線に銀行は渋い顔しか見せず、倒産の直前には転換社債やワラント債の発行残高が約630億円にも達していた。8年末から償還が始まることになっていたが、業績の悪化で資金難に陥っており、取引先に支払い代金の繰り延べを要請せざるを得なくなった。
「それで世間からの不信感が加速し、株価も社債の格付けも下がって、悪循環に陥ってしまった。社債は株に転換できず現金で償還しなければならなくなった」と和田氏。

その後リストラ策を発表したり、資産売却を進めたりといった再建策を打ち出すものの、情勢は回復しない。さらに9年5月の2回目の社債返済用にと、ダイエーグループに売却した優良16店舗の代金約330億円も、店舗に銀行の抵当権がついていたため、ほとんどを銀行が差し押さえてしまう。そして、ついに9月18日を迎える。

「前夜に役員会を開いて、今手続きしないと更正手続きをする資金すらなくなってしまう。社員のボーナスの支払いも延ばしている状況だったので、もうこれまでだと、決断した」と和田氏。

妻のきみ子さん(67)はこの時期の様子を次のように証言する。「倒産の前半年ぐらいは本当に息の詰まる生活だったが、倒産まではしないだろうと思い込んでいました。9月18日に夫から電話で裁判所に書類を出したと告げられても実感が沸かなかったんですが、翌朝から夫はずっと会社にいる。しかもお金もない。それで倒産ということをようやく実感したんです」

そのあとは“地獄”の生活が始まった。和田氏は「管財人の弁護士からマスコミや社員に話をしないほうが言いと助言され」て、債権者集会でお詫びをしたあとは一切口をつぐんでしまったが、マスコミは家に押しかけてくる。

「朝6時から夜11時ごろまで家の前でねばっているんです。夫を出してはいけないので私が対応しましたが、一番聞かれたくないことをズケズケ聞かれるもんだから、何回ケンカしたか分かりません。でも今思うとご苦労様でしたという気持ち」(きみ子さん)
その後和田氏は「謹慎生活」が続くことになる。









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