龍の声

龍の声は、天の声

「切紙神示とは」

2017-04-06 08:18:58 | 日本



◎あなたにもできる予言「切紙神示」の不思議


「切紙神示」とは何であろうか。引用の記事には「紙剪り宣伝」とか「紙切宣伝」という言葉が使われているが、今では「切紙神示」という言葉で定着している。まず一枚の半紙とハサミを用意する。半紙は昔から日本人にはなじみのあるタテ二十四―二十六インチ、ヨコ三十二―三十五センチの薄手の和紙だが、切紙神示に使用するのはこのタテヨコの比率が一番適当なのである。西洋紙だと固いので、切りにくい。ところで一枚の半紙を折り、一ハサミで九片の紙切れが得られるだろうか。これだけでも難題である。まず一図から順に三図まで折ると、四図の形になる。四図では、下から点線に沿って次々に三度折る。最初に折る幅は全体の約五分の一。だから五図のように、上部五分の二が残る)。

折った紙を五図のように置き、一番下の折れ目にハサミを入れ、一気に切り放つ。ハサミの入れ場所が間違わなければ、七枚の紙切れが得られたはず。それを開かずに、六図のように長い順に並べ、番号をつけてみよう。問題は九枚の紙切れを得ることだったが、後の二枚はどこかに潜んでいる。まず三番の紙切れを聞くと、その中から一枚の五番と同じ太短い紙切れが得られる。次に四番の紙切れを開くと、七番と同形の小さな二等辺三角形が出てくる。説明の便宜上、後から現われた二枚のうち、太短い方に6番、8番と同形の小さな二等辺三角形に9番と打ってみよう。そこで六図の6は7に、7は8に番号が変わる。すると七図のようになる。半聞きのままの紙切れを八図のように並べると、「火」と「水」が得られる。万物の霊と体との根源である火素(霊素)と水素(体素)の出現である。言霊学上火と水でカミ、水と火でイキ、命の誕生を意味する。

大本でこれに相応する火と水は、出口直(厳霊)、出口王仁三郎(瑞霊)に象徴される。伊都能売神諭は示す。変性男子は肉体は水、霊体は火であるなり、変性女子は肉体は火で霊体が水であるから、男子の旅立ちには水の守護なり、女子の旅立ちには火の守護となりたのであるぞよ。変性男子の霊魂は天の役、夫の役なり。女子の霊魂は地の役、妻の御用であるぞよ。火と水の守護で、天地を開く火水の経論であるから、この先は天と地との神の働きが明白にわかりてくるぞよ。紙は音で神に通じるが、聞いたままの半紙は、第一章の「宇宙創造の゛からくり゛ を解く」の項で述べたように、宇宙成立以前の大虚空、「幽の幽」の段階と考える。そこで火と水ができ、言霊が生まれる。

「幽の顕」に進んで半開きの紙切れの御用は終った。九枚全部を開いてみよう。九図のようになる。この九枚の組み合わせで言葉が生まれるが、原則として九枚すべてを使わねばならぬ。さらに、重ねてはならない。まず十図のように、十とHELLが現われる。十の縦の棒は火の用、横の棒が水の用で合わせて神を意味する。大本の裏紋も○<宇宙、世界>の中に十(十曜の神紋の略)であり、キリスト教でも十字架は神のシンボルだ。HELLは地獄のこと。地獄は悪魔のいるところである。だがHELLでは日本人になじみにくければ、十一図のように、十とアクマに変化する。筆先は、この世界は悪魔に支配されている「悪の世」、「獣の世」と示すが、九枚の紙切れのうち八枚までがHELL、またはアクマを構成し、それに対してただ一枚の紙で十を表す。神と悪魔の戦いというが、暗示的ではないか。

神は善も悪もすべてを包含するから、九枚全部を使うと、十二図のように、漢字で見事な「神」の文字が現われる。十で示される神は救いの神であり、弥勒の大神だ。弥勒の大神は救いの神、すなわち「スクヒ」の「十」(十三図)である。また弥勒は十四図のように「ミロ九」と出るが、筆先では「ク」はすべて「九」の字を使う。芸が細かい。ではその神はどこに出現するか。「タニハ」と「十」(十五図)、丹波である。タンバはタニハのなまったもので、昔のタニハは丹波、丹後、但馬を合わせた広い国で、今でも三丹という。

また弥勅の神の経給地は綾部で、「アヤベ」と「十」(十六図)と示される。大本の文字は最初は十七図であったが、十の上に9が重なるので、原則からはずれる。そこで十八図に変わったが、最後に十九図に落ち着いた。まさに「日に日に変わる大本」である。では神はどういう形で出現するのか。艮(二十図)の金神であり、坤(二十一図)の金神で、十が字の要になっている。大本では、三千年選び抜かれた神人が現界的には出口直、出口王仁三郎だとされる。そこでまず「出口」(二十二図)。次に二十三図のように「ナヲ」と「ヲニ」と現われる。しかし当時はワニのほうが通用していたので、しからばワニにもなろうというので、「ワニ」にも変化する。

そこで二大勢力の激突は本宮山神殿破壊の大正十年十月、旧九月二十日午後一時は切紙神示でどのように現われるか。「大正十」(二十四図)、「九月」または「十月」(二十五図)、「二十日午后一」(二月十六図)となる。だが「掃き寄せ集」では、「二大勢力が衝突するのは何時かと見ると、明らかに大正十年九月二十日午後一時と出る」として、この日しかないように書かれているが、二十を逆に置き換えれば十二にもなる。だからその日が十二日であってもよいわけだ。つまり王仁三郎は切紙神示に責任を押しつけて、神殿破壊を予言したと思われる。

さらに驚くべきことは、十二の二を八に置き換えれば、新暦、旧暦ともに霊界物語口述開始の日が示される。ここまで読んでも偶然と疑う人もあろう。それなら九枚の紙切れを使って、自分で意味のある新しい言葉を作り出してみるといい。プロバリティ(蓋然性)の問題からも、九枚の紙切れで大本や王仁三郎に関したことが現わされると言うのは、天啓としか表現できない。これもなお偶然と言い張る人なら、天地が逆さになっても、偶然ですますだろう。









ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 「韓国と北朝鮮はやはり分断... | トップ | 『宇宙平和の野望』 »
最近の画像もっと見る

日本」カテゴリの最新記事