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「日本の包丁の歴史」

2014-05-27 09:18:04 | 日本

澁川祐子さんが「日本の包丁の歴史」について書いた論文があった。
以下、要約し記す。


料理をしている時間というのは、その大半が下ごしらえに費やされている。材料を切り分けたり、薬味をすりおろしたり、下ゆでしたり。しかも手を抜くと、ばっちり味に反映されたりするから、あなどれない。煮たり焼いたりする段階までくれば、あとは火の扱いに気をつけて、味つけをするだけ。下ごしらえさえ済めば、料理は8割がた完成したも同然である。そして下ごしらえのなかでも、とりわけ避けては通れないのが「切る」作業である。
タマネギを使って肉じゃがを作るなら、くし切りに。ミートソースなら、みじん切り。サラダだったら、できるだけ薄くスライス。作る料理によって、種々の材料を適当な大きさに切り分ける。

よく「切れる包丁より切れない包丁の方が危ない」と言うが、その包丁を持つまでは「いやいや、やっぱり切れる包丁は怖いでしょ」と思っていた。だが、新しい包丁を使ってみて、その考えを撤回せざるをえなかった。

トマトにすっと刃が入っていく。きゅうりの輪切りもトントンと軽妙に薄く切れる。清々しい切れ味に、遅まきながら「切れる包丁とはこういうことか」と合点し、「切る」のが楽しくなった。

さて、「切る」道具の歴史を見てみる。

人類史上、最も古い「切る」道具は石器である。それから時代とともに青銅、鉄、鋼へと素材が移り変わっていくのは、世界共通の流れである。青銅は軟らかく、もともと「切る」道具には向いていない。鉄は青銅よりも硬いが、すぐにさびて刃先が丸くなってしまう。鋼は鉄に炭素を加えた金属で硬さや耐久性に優れており、鋼を手にしたことで、「切る」道具は格段に進化した。

日本で最初に包丁の祖先らしきものが現れるのは、奈良時代である。奈良の正倉院には、「刀子(とうす)」と呼ばれる料理用の小刀が保存されている。片刃で、柄から刃が突き出ている「アゴ」とよばれる部分がなく、どちらかと言えば日本刀みたいな形である。また同じ頃、まな板も「切机」と呼ばれて大陸から伝わっている。
平安時代ともなると、刀子は食材によって使い分けられ、料理道具としての性格を強めていく。平安時代に編纂された『延喜式』の内膳司の条項には、1年間で77枚の刀子が計上されており、カキの殻を割ったり、アワビを切ったりするための専用のものが記されている。

「包丁(ほうちょう)」という名が登場するのは、平安時代後期になってからである。包丁はもともと「庖丁」と書いていた。「庖」は、台所を意味する「厨(くりや)」と同じ意味。「丁」は、馬の世話をする「馬丁」、庭を手入れする「園丁」といった言葉があるように、使用人を指す語であった。つまり、「庖丁」とは、厨房の仕事に従事する者、つまり料理人のことを指していた。「庖丁」が使う刀を「庖丁刀」と呼んでいたのが、室町時代になり「庖丁」と略して呼ぶのが定着した。ただし、「庖丁」は魚や鶏などを切るものに使われ、野菜を切るものは区別して「菜刀(ながたな)」と呼んでいた。

一方、まな板は、メインのおかずを意味する「真菜(まな)」に由来するとされる。本来は魚や鶏などを調理する切机が「真菜板」と呼ばれ、一般名称になっていった。当時は床の上に座って作業をしていたため、脚つきのまな板が用いられていた。まな板から脚が消えるのは、流しやガス台といった近代的な台所が導入されてからだ。

こうして「切る」道具が確立されてくるにつれ、今度はパフォーマンスとしての包丁さばきが注目されるようになってくる。

室町時代の絵巻には、「まな箸」と呼ばれる長い箸を左手に持ち、右手で日本刀型の包丁を持って、鶏や魚をさばいている様子が描かれている。こうして客の目の前で数十種類にもおよぶ見事な切り方を披露することで、包丁の技は磨かれていった。

江戸時代になり、武家社会から町人社会へと移り変わると、肉や魚を切る「庖丁師」、野菜を切る「割肴師(きざみさかなし)」といった専門の料理人が登場する。

さらに戦国時代に培われた刀鍛冶の技術が発展し、江戸時代の中期には大阪府の堺や、兵庫県の三木、福井県の武生など包丁の一大産地も生まれた。現在も使われている出刃包丁(魚や鶏をおろす)、菜切包丁(野菜用)、柳刃包丁(さしみ用)といった形が登場するのも江戸時代である。

様々な食材によって包丁を使い分けるのは、ヨーロッパも同じである。ただ、和包丁は両刃よりも片刃が多いという特徴がある。

両刃とは、刃の断面を見たときに、両側面にほぼ同じ角度の刃がついているもの。片刃とは、片方だけに刃がついているものだ。同じ角度で研いだ場合、片刃の方が鋭角にでき、食材に対する刃の角度も微妙に調整できる。それに対して両刃は、食材に対してまっすぐに刃が入り、左右同じように切れるという特長がある。

片刃の刺身包丁で生の魚を引くように切ると、薄くきれいな刺身が出来上がる。つまり、片刃の多い和包丁とは、切り口の美しさを追求して発展したものである。

一方、洋包丁は両刃が基本だ。料理をテーブルの上でナイフとフォークを使って切り分けて食べるため、調理段階で使われる刃物は肉や魚を解体する意味合いが強い。そのため、押して切るのに適した両刃が用いられるようになったのである。

また、日本では包丁とセットで語られるまな板が、洋包丁を使う地域では必須ではないことも付け加えておきたい。

欧米では、空中でナイフを使いながら、食材を直接鍋のなかに切り落とすことをよくやる。煮込んだり焼いたりするのであれば、それほど切り方にはこだわらないのである。しかも先述したように、食べる段階でナイフとフォークで切るため、調理段階で細かく切り分ける必要がないことも、まな板を使わない一因だ。

ちなみに中華包丁は、厳密には地方や目的によって厚みや形に微妙な違いがあるが、両刃でやや重みがあり、幅広なものが基本形である。中国料理は包丁一本で何でも調理してしまうとよく言われるように、一本で薄切り、そぎ切り、細切り、ぶつ切りができ、側面を使ってつぶしたり、切った食材を乗せたりすることもできる。

そうした切り方ゆえに、中国のまな板は、丸太を輪切りにしたものを用いる。これは日本のもののように木の繊維にそった薄い板を用いたのでは、中華包丁を振りおろしたときに刃が繊維に食い込んでしまい、すぐにまな板が傷んでしまうからだ。包丁だけでなく、その刃を受けとめるまな板もまた、切り方によって異なる形をしているのである。

このように、「切る道具」は、その土地、その土地に見合った調理法、食材によって発展してきたのである。明治時代に西洋料理が入ってきて、料理が多様化するとともに、包丁が姿を変えたのも必然だったと言える。

明治時代から大正時代にかけて、家庭に必ずある包丁と言えば、菜切包丁と出刃包丁だった。それが西洋料理の普及に伴い、昭和ともなると、洋包丁の牛刀と和包丁の菜切包丁とをかけ合わせ、肉、魚、野菜に使える「文化包丁」が誕生する。文化包丁は、菜切包丁の角ばった先端を斜めに落としたものだが、さらにその角をカーブさせたものが「三徳包丁」あるいは「万能包丁」と呼ばれる、現在最も普及している包丁である。

こうして日本の「切る道具」は食材によって様々に使い分けるものから、一本化されていくかのように見えが、現代の台所は、果たしてどうだろう。

家庭で魚をおろさなくなり、肉を解体しなくなって久しいが、近年「切る」作業の省略はますます進んでいる。スーパーやコンビニの棚に並ぶカット野菜。1人分ずつ個別包装されたチンするだけのお惣菜。包丁がなくても、食事ができる時代がすでに到来している。

いつの日か、人々が慣れ親しんだ包丁という「切る」道具を手放すときが来るのだろうか。だが、そうは思わない。たとえ刃の形が変わったとしても、きっとその存在自体はなくならないだろう。なぜなら、人々が自らの手で食べる楽しみを求める限り、古代から人類が使い続けてきた最もシンプルな調理法は必ずやついてまわるものだから。






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