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「お酢の歴史と効能」

2017-03-30 10:01:16 | 日本

調味料は人の味覚などに働きかけ、食べもの風味を引き立ててきた。中でも、甘味、酸味、塩味、苦味、うま味とある基本味のうち、主に酸味の部分を担い続けてきた調味料といえば「お酢」だ。
小皿にお酢を垂らすのは餃子を食べるときぐらいで、同じ使い方であれば醤油よりも頻度は低い。だが、すし、酢あえ、酢漬けと、混ぜたりあえたりする料理で、酢は大切な役目を果たしてきた。「食べものを締めたい」あるいは「保たせたい」といった人びとの求めに長らく応えてきたのだ。
そんな調味料の名脇役ともいえる「お酢」をテーマにしたい。前篇では、日本におけるお酢の歴史を追い、調味料としての役割をいかに果たしてきたかを見ていく。


◎酒つくりの先にお酢がある。

お酢は「苦酒、加良佐介(からざけ)」とも呼ばれ、酒造りとの関わりがとても深い。大まかにいうと、酒の延長線上にお酢がある。穀物などを発酵させて酒を造り、そこに酢酸菌を含む「種酢」を加えてさらに発酵させるのだ。アルコールが分解されていくとともに酢酸が増えていき、さらに熟成させると風味の立つお酢になる。

世界では、酒の造られるところでお酢が造られてきた。日本には5世紀ごろ応神天皇の代に、大陸から酒の醸造法とともに伝わったとされている。平安時代の律令の施行細則『延喜式』には、米、醤(ひしお)の類である蘖(よねのもやし)、それに水を使って毎年6月に仕込むと記されている。
万葉集でも、歌人の長意吉麻呂(ながのおきまろ)により、お酢が詠まれている。
「醤酢(ひしおす)に蒜(ひる)搗(つ)き合(か)てて鯛願ふ われにな見せそ水葱(なぎ)の羹(あつもの)」
野びるを刻んで醤やお酢で鯛を食べたかったのに、水葱の吸いものなんて出さないでくれよ、ということだ。当時も高級食材だった鯛に、味噌や醤油の源流にあたる醤、それにお酢が調味料として使われていたことがうかがえる。お酢は、宮廷用のみならず早くも奈良時代から市で売り買いされていたともいう。

室町時代にかけて日本におけるお酢造りの中心地は、和泉(現・大阪府堺市)の堺港だった。ここで造られた「和泉酢(いずみす)」は、米を原料として、糖化、酒の発酵、酢酸の発酵を同時に行って造る「米酢」の源流とされる。庶民の教科書『庭訓往来』にも各地の特産物として「和泉酢」の名が、「周防鯖」や「近江鮒」などと並び記されてい。


◎江戸の握りずしに貢献した尾張半田の粕酢

江戸時代に入ると、和泉酢の造り方を基本としながら、各地で工夫が加えられていき、お酢に多様性が見られていく。相模で造られ江戸城にも上納された「中原酢」、駿河は富士の麓の東泉院で造られた「善徳寺酢」、兵庫の豪商だった北風家による「北風酢」などだ。
尾張の半田(現・愛知県半田市)からは、今の私たちの食生活ともゆかりの深い「尾張半田の粕酢(かすず)」が造られていた。
当地の酒造家に養子入りした初代中野又左衛門は、1804(文化元)年、旅先の江戸で「早ずし」と呼ばれるすしに出合った。すしといえば、古くは塩漬け魚と飯を発酵させた「熟れずし」や、お酢を加えて発酵を早めた「半熟れ」があったが、当時の江戸で流行り始めていた「早ずし」は、ネタと酢飯で握る、いまの「握りずし」の原型にあたるものだ。

酒を造る傍らで、酒粕を原料とする粕酢も造っていた又左衛門は、この寿司には自分が造る粕酢の風味や旨みが合うと感じ、以来、粕酢造りを本格化させたという。

当時、江戸では寿司はファストフードだった。その後、「握りずし」が食べられるようになる。寿司が、魚や飯を発酵させたものから、酢を使ったものに移るのに伴い、又左衛門の粕酢は江戸の寿司屋で多く使われるようになった。「握りずしには尾州の粕酢に限る」とまで言われたほどという。
和泉酢を源流とする米酢、寿司の発展に貢献した粕酢、そして清酒と種酢と水で仕込んで造る酒酢(さかす)。日本の伝統的なお酢は、この3つに大別されている。


◎健康への注目は近現代以降

調味料の歴史を眺めると、醤油の工業的生産が始まったのは江戸時代以降だ。それまでお酢は、古代では醤、中世では味噌と並ぶ、日本人の大切な調味料であり続けた。そして、味覚の中の酸味の引き立て役を任されるとともに、味以外の機能面でも頼りにされてきたはずだ。
食べものの味を保つという機能がお酢を使う習慣を広めたのは、間違いないだろう。魚介類や野菜などを酢漬けや酢締めにしたのは、主に腐るのを防ぐためだ。

また、鯖、鯵、鰯などの強い生臭さを和らげる働きもある。これらの魚を煮るとき、最後にお酢を入れて生臭さを消す「酢煎(すいり)」という調理法が、室町時代にはすでにあった。室町中期にまとめられた料理書『四条流庖丁書』には、「鯉ニテモ鯛ニテモ差(サシ)ミノ如ニ作リテ……煮テ参ラセザマニ酢ヲ指シテ参スル也」とある。

一方で、もう1つの機能的側面、つまり、お酢が体の健康によいということについては、少なくとも江戸時代には、さほど説かれていなかったようだ。
たしかに、1697(元禄10)年刊の本草書『本朝食鑑』の「酢」の項目には「諸瘡腫、積塊を消し、痰水、血病を逐ひ」とあり、腫れものや腹内のできもの、また水毒や血毒などによる病気に効果的としている。だが、1712(正徳2)年に刊行された百科事典『和漢三才図会』の「酢」の項目では、「多く食えば筋骨を損す。亦、胃を損す」などと、摂りすぎの不益も説いている。

明治時代以降の新聞記事にも当たってみた。古いところでは1937(昭和12)年2月22日付の読売新聞で、細菌学者の前田稲四郎が「少量の酢は人によってよく食欲増進の役目を果たします」と述べている。また1963(昭和38)年の同紙では、酢が疲労回復によいことを、法医学者の秋谷七郎が説いているところとして紹介している。いわく、米に含まれる珪酸が引き起こす動脈硬化を防ぐのに、お酢を飲むとよいとしている。

江戸時代に「医者殺し」などと評された味噌などに比べると、お酢の健康効果への注目や関心は新しめのようだ。
だが、だからこそ、現代の科学によって、お酢の機能性が次々と明らかにされているのではないか。


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