龍の声

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「日本における氷づくりの歴史」

2012-08-05 07:06:13 | 日本

氷のひと欠片を口の中に入れ、夏の暑さを楽しもう!


さて、日本における氷づくりの歴史であるが、明治時代までの電気の使われなかった時代、人びとがいかに「夏の氷」を珍重してきたか。毎夏、氷は貴重な献上品の1つとして、地方の氷室から中央の権力者に運ばれてきたのだ。そんな氷が「お氷さま」と呼ばれる時代もあった。

現代に通じるような製氷技術が本格的に使われだしたのは、明治時代中期からだ。製氷機の導入により、技術的には「夏の氷」をどこででもつくれるようになった。

製氷技術が日本に輸入されたのは1879(明治12)年。横浜にジャパン・アイス・カンパニーなる製氷工場ができ、2年後の1881(明治14)年に、オランダ人のルドヴィカス・ストルネブリンクが、ヨコハマ・アイスワークスと社名を改めて、機械氷を推し進めた。
一方、1883(明治16)年に東京の新富町で開業した東京製氷が、技師の和合英太郎のもと機械氷を製造・販売していった。

この2つの製氷会社とも、その後、合併や吸収を繰り返し、最終的には戦時下の水産統制で1942(昭和17)年、帝国水産統制株式会社(現在のニチレイ)にまとまった。
日本の製氷業界の系譜は変化に富むものだったものの、「氷は300ポンド、約36貫、つまり135キロ程」という基準は手を加えられることなく、ずっと続いてきた。


一般的な製氷機による角氷のつくり方は、「原料水」を、縦50センチ、横30センチ、高さ100センチで300ポンドの氷ができる「アイス缶」に流し入れる。いくつも並んだアイス缶の外側を囲むプールに、凝固点が摂氏0度より低い液体を満たし、-12度が保たれるようにして、アイス缶を48時間かけて冷やす。アイス缶の中心部には棒状のエアレーション装置を入れる。缶の壁側から中心側に向けて氷がつくられていくので、最後にエアレーション装置を抜き取る。こうして、300ポンド、135キログラムの角氷がつくられる。

-12度というのは、それより低い温度で凍らせると、氷が白くなったり割れたりするため。-8度のような甘い温度でゆっくり凍らせるとよい氷になるが、時間はかかる。-12度であれば、氷は透明となり、時間的にも区切りのよい48時間サイクルでの製氷が可能になる。エアレーション装置を使うのは、原料水の中の不純物がアイス缶の壁に付いて氷が白くなるのを防ぐためである。

氷の結晶構造は不純物などの微粒子を入れさせない。つまり、水から氷ができていくとき、氷が不純物をまだ水である部分へと押しやるのだ。氷は壁側から中心に向かってつくられていくから、不純物が最後に中心部分に集められる方が都合がよい。中心に集められた不純物を捨てる。また、エアレーション装置も抜き取る。

いまや日本の製氷技術は世界一と評価されるまで高まっているという。
氷の質の高さとは、透明であることや、空気の含有量が少ないことなどが要素となる。



「たかが氷、されど氷」
貴重な氷である。感謝、感謝、感謝だ。

感謝のこころで猛暑を乗り越えよう。



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