龍の声

龍の声は、天の声

「聖経『甘露の法雨』解釈③」

2013-07-18 08:31:53 | 日本

◎聖経『甘露の法雨』



「神」


或る日天使生長の家に来たりて歌い給う

創造の神は 五感を超越している、六感も超越している、
聖 至上 無限 宇宙を貫く心 宇宙を貫く生命 宇宙を貫く法則 真理 光明 知恵 絶対の愛。

これらは大生命 絶対の神の真性にして 神があらわるれば乃ち 善となり、義となり、慈悲となり、調和おのずから備わり、一切の生物処を得て争うものなく、相食むものなく、病むものなく、苦しむものなく、乏しきものなし。

神こそ渾ての揮て、神は渾てにましまして絶対なるが故に、神の外にあるものなし。
神は実在のすべてを蔽う。
存在するものにして 神によって造られざるものなし。
神が一切のものを造りたまうや 粘土を用い給わず、木材を用い給わず、槌を用い給わず、鑿を用い給わず、如何なる道具も材料も用い給わず、ただ『心』をもって造りたまう。

『心』はすべての造り主、『心』は宇宙に満つる実質、『心』こそ『全能』の神にして偏在したまう。

この全能なる神、完全なる神の『心』動き出てコトバとなれば 一切の現象展開して万物成る。
万物はこれ神の心、万物はこれ神のコトバ、すべてはこれ霊、すべてはこれ心 物質にて成るもの一つもなし。
物質はただ心の影、影を見て実在と見るものはこれ迷。
汝ら心して迷いに捉わるること勿れ。
汝ら『実在』は永遠にして滅ぶることなし。
『迷』は須臾にして忽ち破摧す。
『実在』は自在にして苦悩なし 『迷』は捉われの相にして苦患多し。
『実在』は真理、『迷』は仮相、実在は五官を超越し 第六感さえも超越して 人々の感覚に映ずることなし。



「霊」


感覚はこれ信念の影を視るに過ぎず。
汝ら霊眼を備えて霊姿を視るとも 実在を視たるに非ず、感覚にて視得るものは すべて心の影にして第一義的実在にあらず、霊姿に甲乙あり、病める霊あり、苦しめる霊あり、胃袋もあらざるに胃病に苦しめる霊あり、心臓も有たざるに心臓病にて苦しめる霊あり、これすべて迷いなり。

斯くの如き霊、人に憑れば 憑られたる人或いは胃病を顕わし、或いは心臓病を顕わす。
されど霊覚に映ずる さまざまの苦しめる霊は、第一義的実在にあらず、彼らは誤れる信念によりて 流転せる迷の影なり。

迷い迷いて流転せる心は その信念が形となりて仮の相を現ずべし。
されど如何に相を現ずるとも 仮相は永遠に仮相にして実在となることを得ず。
汝ら、実在にあらざる物を恐るること勿れ、実在にあらざる物を実在せるが如く扱うこと勿れ。

実在にあらざる物には実在をもって相対せよ。真にあらざるものには真をもって相対せよ。仮相に対しては実相を以て相対せよ。闇に対しては光をもって相対せよ。
非実在を滅するものは実在のほかに在らざるなり。仮相を破るものは実相のほかに在らざるなり。虚妄を壊するものは真理のほかに在らざるなり。闇の無を証明するものは光のほかに在らざるなり。

彼らに生命の實相を教えよ。
彼らに生命の實相が神そのものにして完全なることを教えよ。
神はすべてなるが故に 神は罪を作らざるが故に 神のほかに造り主なきが故に 此の世界に犯されたる罪もなく 報いらるべき罪もなきことを教えよ。

三界の諸霊 三界の諸生命 この真理を観じ、この真理をさとりて、一切苦患の源となるべき 顛倒妄想を摧破すれば、天界の諸神ことごとく真理の合唱を雨ふらし、現世の生命ことごとく光を仰ぎ、惑障ことごとく消滅し、此世はこの儘にて光明世界を示現せん。




最新の画像もっと見る