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「慰安婦“捏造”吉田氏の長男が真相激白」

2017-05-15 05:52:49 | 日本

大高未貴さんより、最新号「新潮45」のリポート吉田清治 長男、衝撃の告白 『慰安婦像をクレーン車で撤去したい』 と題して、慰安婦問題で衝撃的なリポートが発表された。


私は十数年前から、日本軍による強制連行説を世界に広めた「吉田清治」という人物に興味を持っていた。吉田証言については、現代史家の秦郁彦氏が、吉田氏が慰安婦狩りの舞台になったと証言した韓国・済州(チェジュ)島で現地調査を行い、1992年に産経新聞でその「虚偽性」を指摘している。吉田氏も96年に週刊新潮の取材に「創作話」であったことを認めている。

安倍晋三首相も、自民党青年局長時代の97年5月27日、衆院決算委員会第二分科会で「そもそも、この『従軍慰安婦』につきましては、吉田清治なる詐欺師に近い人物が~」と指摘し、首相就任後の2007年3月5日、参院予算委員会でも「(吉田)証言はまったく、後にでっち上げだったことが分かったわけでございます」と答弁している。

一連の批判に耐えきれず、朝日新聞は14年になって、ようやく吉田証言を虚偽と判断し、16本の記事を撤回した。

本来ならここで終わる話だ。ところが、奇妙なことに吉田証言は生き続け、世界各国に次々と設置される慰安婦像の説明文に憑依して、国際社会で現在もなお増殖しているのだ。

吉田証言を重要な証拠として採用し、国連人権委員会で日本への非難勧告を行ったクマラスワミ報告も、外務省の申し入れにも関わらず、いまだに撤回されていない。

誤解を恐れずに言えば、吉田証言はプロパガンダとしては大成功だったのではなかろうか。

だが、このプロパガンダを行った「吉田清治」という人物の来歴は、謎に包まれたままだった。生年も出生地も定かではなく、学歴も経歴も不明だ。そして、名前はいくつもある。さほど年齢も違わない朝鮮人を、何故か養子にもしている。一体、「吉田清治」とは何者だったのか?

私は、その謎を解明したい衝動にかられ、吉田氏の長男を訪ねた。長男は関東北部の県で、質素な一人暮らしをしていた。最初の取材で、重たい口から発せられた言葉は、以下のようなものだった。

「父が犯した慰安婦強制連行の捏造について、吉田家の長男として、日本の皆様に本当に申し訳なく思っております。できることなら、クレーン車で世界中の慰安婦像を撤去したい…」

「父の責任は重大ですが、一方で、あれだけの創作話を父1人でできるはずがありません。慰安婦問題を既成事実化したい人々の何らかの関与があったはずです」

それから、私は何度も長男のもとに取材に通った。そして、過去の記憶をたどるうちに、驚愕の事実が続々と明らかになってきた。

「父は済州島なんか行っていません。家で地図を見ながら原稿を書いていました」「謝罪行脚のため訪韓した際、父のパスポートに入国スタンプは押されていませんでした。なぜなら…」

朝日新聞は、吉田氏の戦後の経歴を「サラリーマン」などと報じていたが、吉田氏は人生の大半は定職につかず、その生活費は息子たちが賄っていたという。著作、講演活動を繰り広げながら満足にお金を得ることもなく、生活は常に困窮していた。吉田氏は一体、誰のために、何のために活動してきたというのか?

その謎を解くカギの1つは、吉田家と家族ぐるみで長期にわたって付き合いがあった、神奈川県警の元刑事A氏から教えてもらった。

吉田氏は「朝鮮半島のある組織にお金を借りていた」というのだ。吉田氏の韓国謝罪行脚をテレビで見ていたA氏は「正直なところ、可哀そうだなと思いました。(略)痩せちゃっているし、おびえている姿そのものでしたよ…」と当時の印象を語っている。

誰よりも吉田氏を知る長男の告白は、ジワジワと慰安婦問題の虚構の化けの皮を剥がしてゆくこととなろう。


【ソウル=名村隆寛】

韓国紙、中央日報(電子版)は13日までに、朝鮮半島で女性を強制連行したと偽証した吉田清治氏(故人)の長男が、父親が韓国・天安市の国立墓地「望郷の丘」に建てた「謝罪碑」の碑文の説明も虚偽だとして、関係者を通じ碑文を書き直していたとの産経新聞(12日付)の報道を引用して伝えた。

同紙は「『日帝強制徴用謝罪碑』を慰霊碑に変えた張本人が、ほかでもなく吉田の長男ということが分かり、衝撃を与えている」と報じた。

産経新聞の報道について中央日報は電子版のみで伝えた。他の韓国主要各紙も紙面上で報じていない。

日本による慰安婦の強制連行を謝罪するために日本人の吉田清治氏が韓国中部の忠南天安(チュンナム・チョナン)国立望郷の丘に建てた「日帝強制徴用謝罪碑」を慰霊碑に変更した張本人が吉田氏の長男ということが分かり、衝撃を与えている。

12日、産経新聞は、謝罪碑を書き直したのは吉田氏の長男で、彼は慰安婦強制連行に関する父親の発言が虚偽だったため、謝罪碑を変更したと報じた。

吉田清治氏は、1943年から1945年まで主に韓半島(朝鮮半島)南部に位置した旧日本軍による慰安婦強制動員の任務を担当していた人物で「戦時に韓半島の女性を慰安婦にするために済州道(チェジュド)から多くの女性を無理に連行した」と主張し、日本国内で論争を巻き起こした。

朝日新聞は、関連内容を1980~1990年代に約16回にわたって報じたが、2014年8月に吉田氏の発言内容に根拠がないとして32年ぶりに関連記事を公式削除した。

吉田氏が天安に謝罪碑を建立したのは、それより早い1983年だ。吉田氏は自身の行動を懺悔するという内容の自伝『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』を出版し、その印税で望郷の丘に謝罪碑を建てた。

当時、彼は除幕式に参加して碑石の内容を直接読み上げた。

謝罪碑には「あなたは日本の侵略戦争のために徴用・強制連行され、強制労働の屈辱と苦難の中で家族と故郷を懐かしみながら貴重な命を奪われました。私は徴用と強制連行を実行指揮した日本人の一人として非人道的なその行為と精神を深く反省し、こちらに謝罪するところです。老いたこの体が亡くなった後もあなたの魂の前で両手を集めて容赦を望むばかりです」と書いた。

しかし、吉田氏の長男は父親の証言が偽証として謝罪碑を慰霊碑に変更した。彼は3月、自衛隊の元自衛官に依頼して謝罪碑の撤去を試みたが、撤去が難しくなると謝罪費碑の上に別の碑石を張り付ける形で慰霊碑に変更した。

慰霊碑には韓国語で「慰霊碑 吉田雄兎(ゆうと) 日本国 福岡」と書かれている。吉田雄兎は吉田清治氏の本名と知られている。

産経新聞は、吉田氏の長男が「父が発信し続けた虚偽によって日韓両国民が不必要な対立をすることになった」とし、「父が私費を投じて建てた碑であれば、遺族の権限で撤去が可能だ」と報じた。














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